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『たった6文字のHOPE ~神谷探偵事務所はぐれ事件簿~』  作者: 水由岐水礼
FILE・#7 憤り&不愉快がいっぱい
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      1


 1、2、3、4、5。

 早朝というには遅く、しかし登校時間にはまだ早い時刻。

 6、7、8、9、10。

 涼介と慎也の二人は、目付きの悪い男たちに囲まれていた。

「11、12……13人ね」

 男たちの人数を確認すると、慎也は愛用のサングラスを外した。

「13人とは……やれやれ、俺たちも随分とナメられたもんだな」

 言いながら、サングラスをジャケットのポケットに仕舞う。

 強い敵意が込められた視線が、ぐさぐさと突き刺さる。

 自分たちを囲む男たちを見回して、涼介はため息を吐いた。

 どうやら、ちょっとした騒動は避けられそうにない雰囲気だ。

「涼、大丈夫そうか?」

 慎也が涼介に訊ねる。

 診察の結果、涼介の肩は予想通りの打撲だった。

 とはいえ、決して軽いと言えるものではなかった。

 一晩が過ぎてみると、その肩はそれなりに腫れていた。

 涼介はもう一度、自分たちを取り囲む連中を見回した。

 一人一人の眼差しの中の敵意は強い。しかし、その敵意に見合うだけの迫力や凄味は、誰からも感じられなかった。

 こんな連中、手合わせをして強さを見極めるまでもない。

 ド素人集団……人数を頼みとするだけの烏合の衆、三下以下の雑魚だ。

 少しの緊迫感を抱くこともなく、涼介はすぐにそう判断を下した。

 ……肩に痛みはある。とはいえ、こんな雑魚たち相手のファイトなら、これくらい何のハンディーにもならないだろう。

 ちょっとくらい荒事になったところで、ほとんど支障はない。

「はい、大丈夫です」

 強がりなどではなく、涼介は答えた。

「フッ……そうか」

 慎也の方も、涼介と同じ見立てらしい。

「でも、無理はするなよ」

 それでも、しっかりと涼介に釘を刺してくる。

「なんなら、俺が全部片付けてやろうか?」

「心配要りませんよ、叔父さん。こんな奴ら、オレ一人でも十分なくらいですよ」

「……まあな。確かに、かなり物足りなさそうな連中ではあるよな」

 慎也は苦笑しつつ言った。

 叔父&甥の挑発ともいえる遣り取りに、周囲に漂う空気の険悪さが濃度を増す。敵意の眼差しに、怒りのスパイスが加わったのがよく分かった。

「お二人とも、大した余裕ですね」

 背後から声が掛かる。

 よく通るバリトンボイス。聞き覚えのある声だった。

 いつから居たのか、振り返ると包囲網の少し外に男が一人増えていた。

「あっ……」

 フラレ男……と言いそうになったのを、涼介はなんとか踏み止まった。

 見覚えのある紺色のブレザーに、どこか気取った表情と気障ったらしい態度。

 それはまさしく、涼介の目の前で玲奈に振られていた紺ブレ気障男だった。

「なんだ、涼? 知ってる奴か?」

 涼介の反応に、慎也が訊く。

「ええ、まあ……といっても、顔を見たことがある、っていうだけのことですけど」

「ふーん……。まっ……いいか」

 どうでも良さそうに返し、慎也は紺ブレ気障男を真っすぐに見つめた。

「それで、いったい俺たちに何の用があるんだ? 見たところ、おまえさんがこの連中のヘッドのようだが」

 慎也はわざとヘッドなどという言葉を使い、相手の不機嫌を誘った。

 案の定、気取り屋の紺ブレ気障男にはお気に召さなかったらしい。思いっきり嫌そうに顔を顰めた。

 よほど己の美意識が許さないのだろう。

「その通り、僕がこのグループの指導者であり、リーダーです」

 紺ブレ気障男はまず表現を改めた。

 それから本題に入る。

「そんなこと、言うまでもないでしょう? 我々に気が付いて、こんなところに誘い込むくらいだ。お二人とも、それなりの観察眼なり洞察力はお持ちのはずですよ。なら当然、我々の言いたいことも、お分かりだと思いますが?」

 どうやら、他の男たちのよりも紺ブレ気障男は多少お利口らしい。

 男が言う通り、この校舎裏へと二人が歩みを進めたのは態とだった。

 慎也と涼介は今朝、もう一度昨日の砲撃現場を調査し直していた。その時、自分たちに突き刺さる複数の強い敵意を感じ、二人は調査をする振りをしながら場所を移動してきたのだ。

 そして、表から完全に死角になったこの校舎裏に入ったとたん、待っていたとばかりに飛び出してきた男たちに囲まれたというわけである。

「さあ? 俺にはさっぱり分からないなぁ……涼、お前は分かるか?」

 慎也がとぼけた調子で言った。

「いいえ、オレも叔父さんと一緒です。全然分かりません」

 涼介も慎也に調子を合わせた。

「だよな。やっぱり、ここははっきりと言ってもらわないとな」

「……そうですか」

 叔父・甥コンビのお惚けに、紺ブレ気障男は肩をすくめる。

「わかりました。それでは、はっきりと言わせてもらいます。我々は次のことをあなたがた二人に要求します。今後一切、水島玲奈嬢の側に近づかないで頂きたい」

 要求という名の命令を、紺ブレ気障男は二人に突きつけた。

 余裕たっぷりに、その顔が意地悪く笑う。

「嫌だね」

 しかし。慎也は二秒と置かずに返す。

「こっちは水島さんに頼まれて、警護を引き受けているんだ。だいたい、どんな権利があって、おまえさんらがそんなことを要求するんだ?」

「ふざけるな!」

 ただ一人木刀を持った、革ジャン男が怒鳴った。

「水島玲奈は俺たちのアイドルだ。学園のアイドルを独り占めするような真似など、断じて許されることじゃない!」

「………………はぁ? なんだそれ?」

 あまりにも唐突でバカバカしすぎる発言に、慎也は思いっきり眉を顰めた。

「おれたちは、水島玲奈を独占しようとするものを許さない。そんな不埒者を監視する、それがおれたちの崇高な役目だ」

 と、輪の別のところからも声が上がる。

「……監視する? 不埒者? つまり……俺たちがその不埒者ってわけか?」

 慎也の声は、完全に呆れ返っていた。

 涼介も隣でげんなりとしている。

「そうだ、その通り! 我々〈水島玲奈を守る会〉は、おまえたち二人を断固として糾弾する!」

 再び、革ジャン男が声を大にして言った。

「崇高な役目とか、糾弾って……こいつら、阿呆か……?」

 マジか、大学生にもなって……と、慎也は脱力した。

「水島玲奈を守る会……」

 涼介は呟く。

「……どっちが、ふざけているんだか」

 続けて吐き捨てるように言う。

「本当だよな……。なんだか頭が痛くなってきたぞ。なんとも世も末だ……って感じがするな」

 慎也も甥っ子に同意する。

 うんざりしたように首を振った。

 真面目に相手をするのも馬鹿馬鹿しい。

 ……とはいえ、このまま「はい、バイバイ」というわけにもいかないだろう。

「で? おまえさんが、その〈水島玲奈を守る会〉とやらの会長様ってわけか」

 呆れ口調で、慎也は紺ブレ気障男に確認をとる。

「ええ、そうです。そういえば、自己紹介がまだでしたね。はじめまして、水島玲奈を守る会、会長の高屋一紘です」

 紺ブレ気障男こと高屋一紘は、態とらしい作り笑いを二人に向けた。

「因みに、父は高屋建設の代表取締役社長をやっています」

 と、紹介に付け加える。

 高屋建設といえば、十波市でも一、二を争う大企業である。同時に、高屋家は地元の名士でもあった。おまけに戦前は男爵……華族でもあった家柄だ。

 つまり。

〝だから、僕に逆らうと後が怖いですよ〟

 高屋は暗にそう言っているのだ。

 高屋家と高屋建設の威光。目の前の御曹司殿はそれを最大の武器に、今までに多くの人間を自分の足許に跪かせてきたに違いない。

 当然、今回もそのつもりなんだろう。慎也と涼介の二人も、いつもと同じで自分(高屋家)にこうべを下げるものだと思っているのだろう。

 ……が、物事はいつも同じとは限らないものだ。

 思いっきり冷ややかな視線を、紺ブレ気障男改め高屋一紘にくれてやる。

 慎也の表情は、はっきりと「それがどうした?」と言っていた。

(やっぱり、典型的な金持ちの放蕩息子だったわけだ……)

 涼介もただひたすらに呆れていた。

 あるのは畏れではなく、ただ軽蔑ばかり。

 くだらなすぎて、言葉も出ない。

 しかし、高屋の方はそう受け取らなかったようだ。

「……分かってもらえたようですね」

 二人の沈黙の意味を、自分の意に沿わせて解釈し、彼は一人勝ち誇ったようにニヤリと笑った。

 この御曹司殿は、骨の髄まで「虎の威を借る狐」であるらしい。

 そんな虎の威を借る狐が、率いているような集団だ。

 やはり、烏合の衆という判断は間違ってはいなさそうである。

 涼介は横目で慎也を見た。

 慎也が軽く頷く。

「何を勝手に勘違いしているんだ。さっきも言っただろう、俺たちは水島さんの依頼で動いているんだ。彼女が嫌といわない限り、このまま警護は続けさせてもらう。そんなの当り前だろ」

 要求を蹴った慎也に、高屋が心底驚いたという風に目を見張った。

 ……自分に従わない人間がいる。

 高屋家の御曹司殿にとって、それはとびきりの異常事態であるらしい。

 と同時に、どうにも我慢ならないことのようだった。

「もう一度、言いますよ。これで最後です」

 ひどく剣呑な光を帯びた双眸が、慎也と涼介を睨む。

「下衆は水島玲奈には近づくな! 分かったな!」

 お上品な御曹司の仮面はどこへやら、高屋は声を荒げ、最後通牒を発した。

「もし、もう一度NOと答えたら?」

「その時は、俺たちがおまえらの実力を試させてもらう」

 答えたのは、革ジャン男だった。

「やれやれ……素直に私刑リンチと言えないもんかね。だいたい、大学生にもなって私刑だなんて、やることがダサいぞ。まったく、情けない奴らだな……。それとも、将来、おまえらヤクザ者にでもなるつもり……」

「うるさい、黙れ!」

 慎也の言葉を遮り、革ジャン男が息巻く。

 最高に険悪な空気が、校舎裏に満ちる。

 緊迫状態が最高潮に高まっていた。

 涼介の中でも、怒りがMAX寸前にまで到達していた。

(こんな奴らがいるから、水島さんが……)

 ……玲奈のような人間が苦しむのだ。

 病院の屋上で玲奈が見せた愁いの表情……涼介はそれを思い出していた。

 苦しげな心情の吐露は、しっかりと涼介の心の中に刻まれている。

(何が守る会だ!)

 ――笑わせるな!

 玲奈の哀しみと苦しみは、目の前にいるような馬鹿者のせいで始まったのだ。

 簾髪の下から、涼介は高屋を睨みつけた。

 私刑やヤクザという単語に、高屋の怒りは完全に絶頂に達してしまったらしい。

「減らず口はもういい! 我々に従うのかどうか、さっさと答えろ!」

 と、ご自慢のバリトンボイスを張り上げる。

「「NO!」」

 同時に、涼介と慎也は宣戦布告した。

 それを合図に、会長を除く守る会の兵隊が二人に襲い掛かる。

 一番最初に、斬り込み隊長よろしく、革ジャン男が木刀を振り上げ慎也に突っ込んできた。

 しかし、空振りすらもさせてもらえない。その木刀が振るわれる前に、革ジャン男はたった一発の蹴りを食らっただけで、地面に横たわっていた。

 それを横目に見、涼介も殴りかかってきた男の攻撃をわずかな動作で躱し、相手に足払いを掛けた。無様に倒れた一人目を確認することもなく、二人目の腹部に左肘で肘鉄を食らわす。

 元刑事である慎也はもちろん、涼介も叔父にしっかりと鍛えられている。正式な免状こそ持ってはいないものの、柔道・剣道・空手など、いくつかの武術での涼介の実力はまず有段レベルを下らない。

 おまけに、慎也が特に力を入れて涼介に叩き込んだのは、実戦的な身のこなし方だった。喧嘩やストリートでの勝負なら、涼介は道場試合以上の力が発揮できるように鍛えられている。

 そんな師弟コンビ相手に、素人相手に喧嘩慣れをしている程度の大学生が敵うわけもなく……。

 涼介と慎也の前に、次々と兵隊たちは倒されていく。二人とも、相手に大怪我をさせないように手加減を加えている。怪我しても、せいぜい救急箱で手当てができるように。

 それは誰にでも簡単に出来ることではない。二人がかなりの実力を持つからこそ、容易に行えるのだ。

 たちまちの内に、兵隊は再び立ち上がってきた革ジャン男一人だけになっていた。

 向かってきた相手に、涼介は身を低くして左のボディブローを叩き込んだ。

「うっ……」

 短い呻き声を上げて、革ジャン男は地面に崩れ落ちた。

 ……全滅。所要時間は3分と掛かっていないだろう。カップラーメンが出来上がる時間よりも早く、勝負は片が付いてしまった。

 地面に転がっていた兵隊たちが、呆然と二人を見上げる。

「まだやるか。やるつもりなら、相手をするぞ。ただし、今度は容赦しないからな!」

 兵隊を見下ろして、慎也は言い放った。

 状況が状況だ。童顔の慎也の睨みでも、蜘蛛の子を散らすには十分だった。

 ダメージの大きいらしい革ジャン男ともう一人を残し、烏合の衆は全員、校舎裏から姿を消した。

 既に高屋の姿はない。会長殿はとっくの昔、形勢が不利と見るや、真っ先に逃げ出していた。

「くそっ……覚えてろよ」

 三文芝居の悪党御用達。憐れなほどにお決まりのセリフを吐き捨て、革ジャン男ほか一名も去っていく。

 涼介は大きなため息を漏らした。

「なんか……虚しいな」

 サングラスを掛けながら、慎也が呟く。

「……そうですね」

 もう一度ため息を吐くと、涼介は静かに頷いた。


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