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笑顔の行方  作者: けせらせら
21/30

5.4

 二日後――

 朝早くに屋敷を出ると、調布にあるコンビニへと向かった。

 小雪の話によれば、小雪たちは皆このコンビニで解散しているのだそうだ。つまりここで待っていれば他の真下家の3人がどこへ行くのか尾行することが出来る。

 沙織には昨夜のうちに休みを取ることを断ってあるため、夜までに帰宅すれば問題はない。

 ポケットから携帯電話を取り出し時間を確認する。

 午前8時15分。

 すでに屋敷を出発していることだろう。家からこのコンビニまで車ならば20分程度。おそらく8時半過ぎには現れるはずだ。

 文也は雑誌のコーナーに近づくと適当に雑誌を手にした。

 その時、コンビニの隣の電気屋の陰から男女のカップルが腕を組みながら歩いてくるのが見えた。

 それを見て文也は思わず顔を顰めた。

 栗原と弘子の二人だった。

 まるで仲の良いカップルそのままに弘子はしっかりと栗原の左腕に抱きついている。

 その姿に唖然とする。しかも、弘子はまるで芸能人さながらに帽子を深く被り、大きなサングラスをかけている。

 栗原はコンビニに入ってくると雑誌棚の前にいる文也のところにやってきた。

「そろそろだな」

 腕時計を見ながら栗原が言った。

「いったいどういうことだよ?」

 弘子のことを気にしながら栗原に訊く。

 栗原が来ることはもともと予定していたことだ。小雪役である北村美幸に関してはその後の足取りははっきりしている。だが、彼女の話では沙織たちはそれぞれバラバラに行動するはずだ。彼らがどこに行くのかを調べるためには、一人ではとても不可能だ。そのために栗原には応援を頼んだが、まさか弘子まで連れてくるとは思っていなかった。そもそも弘子を巻き込まないようにしようと言っていたのは栗原のほうだ。

「昨日、おまえから電話があったとき、偶然、彼女と一緒だったんだ。まあ、いいじゃないか。相手は運転手までいれて4人だろ。一人でも手が多いほうがいい」

「そりゃそうだが……」

「何よ、私じゃ文句あるわけ?」

 弘子が頬を膨らませて文也を睨む。風邪でもひいているのか声が擦れている。「私だって仲間にいれてくれたっていいじゃないの。それとも女じゃ不満? 主婦じゃ不満?」

「わかりましたよ」

 文也はため息とともに言った。

「それにしてもその格好は何なの?」

 弘子は呆れたように文也の全身を見た。

「え? 何が?」

「尾行するなら変装しなきゃだめよぉ」

「変装?」

「ほら」

 弘子は持っていた紙袋を文也に押し付けた。「まったく、一応文也君のぶんも用意してきて良かったわ」

「用意って……」

 紙袋を覗くと、中にはカツラやサングラス、ベージュのコートが入っている。「こんなのいらないですよ」

 紙袋を返そうとしても弘子は――

「だめよぉ。それじゃ尾行にならないわ」

「勘弁してくださいよ」

 助けを求めるように栗原のほうを見ると、栗原はさも面白そうに二人のやりとりを眺めている。しかも――

「いいじゃないか。俺たちはともかくおまえは顔知られてるからな」

「おい――」

「とりあえずサングラスくらいはつけとけよ」

「ほら――早くぅ」

 弘子は紙袋に手を突っ込み、サングラスを取り出す。二人にこういわれてしまっては受け取らないわけにはいかない。

「わかりましたよ」

 文也は渋々頷き、弘子に押し付けられたサングラスをかけた。うっすらとコンビニの窓に映る自分の姿を見て、その似合っていないサングラス姿に小さくため息をつく。

「なんか似合わないわねぇ」

 そう言ってから弘子は大きくクシャミをした。

「風邪ですか?」

「ちょっとね。旦那からうつされたみたいなの」

「末っ子が偽者ってことになると、他の家族も怪しいってことになるな」

 栗原が窓の外を眺めながら言う。

「でも、どうしてそんな家族ごっこをしなきゃいけないの?」

 鼻をすすりながら弘子が聞く。

「それを調べようとしてるんじゃないですか」

「そんなの私だってわかってるわ」

 文也の言葉に弘子は不機嫌そうに口を尖らせた。

 雑誌コーナーの前で話し込む3人の脇をコンビニの店員が迷惑そうにチラチラ見ながら通り過ぎる。

「そろそろ来るんじゃないか」

 栗原が腕時計を見ながら言った。

 3人は黙ったまま用心深く周囲を伺った。

 コンビニの駐車場にはさっきからシルバーのスカイラインと黒いBMWが止まっている。BMWのほうはスモークが張られ中を見ることは出来ない。スカイラインの運転席には中年の男がコンビニで買った弁当を黙々と食べている。

 文也は雑誌を手に持ち、窓の外に注意を払う。

 やがて――

 大きな黒いリムジンが国道を走ってくるのが見えた。

(来た)

 真下家の車に間違いない。

 小雪が言った通り、車はコンビニの駐車場に乗り入れるとゆっくりとその動きを止めた。

 ドアが開き、なかから真下秀光夫妻と沙織、そして小雪の四人が姿を現す。

「ほぉ、あれがおまえの天使か」

 沙織を見て栗原が小さく笑うのを文也はジロリと睨む。

「天使って何?」と弘子。

「何でもない。それより俺たちは誰を追いかけたらいい?」

 真っ先に小雪が沙織に小さく手を振って、横断歩道を渡り道路の反対側へと歩いていく。真下夫妻も沙織と一言二言言葉を交わすと、コンビニの脇の路地を歩いていった。

「まるでバラバラじゃないの」

 弘子が小さく呟く。

 沙織だけは最後まで残り、リムジンが来た道を戻っていくのを見送ってから駅のほうへ向かって歩き出した。ちょうどその時、BMWがゆっくりと動き出し、まるでリムジンを追いかけるように駐車場を離れていく。

「よし、行くか」

 栗原が雑誌を棚に戻しながら言った。

「どうするの?」

 弘子が栗原に声をかける。

「俺たちは真下夫妻を追いかけよう。文也はあの女だ」

「気をつけろよ」

「おまえこそ」

 栗原は弘子とともにコンビニを出ると、真下秀光夫婦を追いかけていった。

 文也もすぐにコンビニを出ると、駅のほうに向かって歩いていった沙織の姿を追いかけはじめた。

 沙織は足早に駅へと向かって歩いている。文也は気づかれぬよう慎重に間合いを取りながら沙織の後をつけて行った。


   *   *   *


 電車に乗り沙織が向かったのは上野の駅近くにある喫茶店だった。

 さすがに文也は喫茶店のなかに入ることは出来ず、通りを挟んだビルの陰で沙織の様子を伺った。

 沙織は窓際の席に座る男の前に座った。

 黒いジャケットを着て、大きなサングラスをかけた30代前後の男と真剣な眼差しで何か話しこんでいる。

 いったい何者だろう。

 近づいて話の内容を聞いてみたいが、さすがにこれ以上近づくわけにはいかない。

(失敗したな)

 栗原や弘子ならば空いている隣のテーブルに座っても沙織に気づかれることはなかったろう。

 ふと手に持った紙袋に視線を向けると、コートに茶髪のカツラが見える。恥ずかしい気もするが、今はそんなことを言っている場合じゃない。

 文也は周囲を見回してから、おもむろに紙袋のなかから茶髪のカツラを掴むと急いで頭に被った。これならば何とか沙織の目をかわすことが出来るかもしれない。

 急いで道を渡ると顔をわずかに伏せるようにしながら喫茶店のドアを開けた。

「いらっしゃい」

 ジーンズ姿の若い女性店員が声をかける。

 文也は顔を背けたまま沙織たち二人が座るテーブルのすぐ手前に腰を降ろした。そして、背後から聞こえてくる声に耳を澄ます。

「若先生は迷うということがないのですか?」

 沙織が小さな声で言った。

(若先生?)

 妙な呼び方だ。いったい何者なのだろう。

「どうしますかぁ?」

 ウェイトレスがすぐに近づいてきた。

「コーヒーを」

 声を押し殺して、メニューも見ずに答える。ウェイトレスが離れていくと文也は雑誌をめくるふりをしながら、背後に神経を集中した。

「君は迷っているのか?」

 若先生と呼ばれた男の声が聞こえてくる。

「わかりません」

「もし、君がこの計画を止めたいというのであれば、私に止める権利はない」

「そんなことは言っていません」

「なら迷うのは止めたまえ」

「そんな簡単に言わないでください。私は若先生とは違います」

「君にしては珍しく気弱だな。彼のことを心配しているのかね? それなら心配する必要はない。彼は必ず動いてくれる」

 男が諭すように沙織に話している。

(彼? 誰のことだ?)

 ウェイトレスがコーヒーを運んできて、文也の前にそっと差し出した。文也はそっと暖かいコーヒーに口をつけながらも、意識を背後に向けた。

「でも……彼をこんな形で利用するなんて……」

「利用? 違うな。これは彼に課せられた運命なのだ。誰でも自らの過去にはケリをつけなければいけないものだ」

「若先生こそ珍しいですね。『運命』だなんて。そういうものを信じるんですね」

「私も時にはそういうものがこの世のなかにあるのではないかと感じることがあるよ。今回のような場合には特にね」

「そうですね……今になって彼が現れるなんて……これは運命なのですか?」

「どうだろうね。だが、そう思うことで気持ちが楽になるなら、そう思うことだ」

「皆、動揺しています……河井礼子さんのことだって……」

 その名前が沙織の口から出たことに文也の胸の鼓動が早くなる。

(沙織さんが関係しているのか?)

 やはり河井礼子が殺されたことと、沙織たち家族は関係していると考えるべきなのだろう。

「彼女のことは忘れなさい」

「でも……」

 それきり言葉が聞こえなくなった。

 振り返ることも出来ず、文也はじっと俯いたままで再び声が聞こえてくるのを待った。

 やがて――

「それじゃ――」

 ガタリと音が聞こえ、男が立ち上がった。

 すぐに沙織も席を立つと二人で喫茶店から出て行った。辛うじて文也の座った場所から戸口に立つ二人の姿が見える。

 男は軽く手をあげると沙織とは逆方向に向かって歩き出した。

 沙織はそのまま背を向けると駅のほうへと歩き出す。

(どうする?)

 一瞬、迷ったものの、文也はすぐに男のほうの後をつけることに決めた。

 文也は急いで席を立つとコーヒー代を払い外に出た。そして、男が歩いていった方向に向かって走り出した。

 男の姿はすぐに見つけることが出来た。

 50メートルほどの距離を開けながら、文也はその後をつけて行った。

 ゆっくりと前方を男が歩いていく。

 おそらくこの男が全ての黒幕に違いない。

 この男が何者なのかわかれば、真下家の人たちの謎も全て解けるかもしれない。

 緊張感が全身を包む。

 ふと男が前方の角を曲がった。

 見逃してはならないと、文也は駆け足で男が消えた角まで走った。

 だが、文也が角を曲がると――

(消えた?)

 男の姿が見えない。

 どこへ消えたのか、その行方を追いながら足を進める。

 その瞬間――

「私を捜しているのかね?」

 その声に驚いて振り返ると、自動販売機の陰からあの男が姿を現した。ゆっくりと文也のほうに向かい近づいてくる。

「いや……あの……」

 この場をどう切り抜ければいいか思案を巡らす。だが、文也が答えるより先に男が言った。

「三里文也君と言ったね。似合わない格好は止めたまえ」

「どうして俺の名前を?」

「どうして? それは質問かね?」

 口元に笑みを浮かべながら男は言った。

「いえ……」

 考えればわかることだ。沙織から聞いたに決まっている。この様子ではさっきの喫茶店から尾行していたことも気づいているのだろう。

「それで? 何か私に話でもあるのかな?」

 文也は覚悟を決めた。今更隠していても仕方ない。

「あなたは誰ですか? いったい何を企んでいるんです?」

「それはまたぶしつけな質問だな」

 男はジャケットのポケットからタバコを取り出し口に咥えた。「君はなぜあの屋敷に?」

 逆に男のほうが文也に問いかける。

「バイトです」

「バイトなら他にもあるんじゃないか? なぜあの家でのバイトを選んだ?」

 まるで心のなかを見透かすかのような眼差しで男は文也を見た。

「どうしてそんなことあなたに言わなきゃいけないんですか?」

「話す義務などないよ。話たくないのなら話さなければいい。こちらは勝手に想像するだけさ」

 ひょいと両手を広げ肩をすぼめる。

「あなた、誰なんですか?」

「答えなければいけないかね? 君が私に話すのを拒むように、私も君に話す義務はないと思うが。どうかね?」

 そう言って小さく笑う。言い返すことが出来ず、文也は唇を噛んだ。

「朝宮……それがあなたの名前じゃありませんか?」

 それは以前、桑島と真下秀光の会話を立ち聞きした時に聞いた名前だった。

「ん?」

「違いますか?」

 当てずっぽうだった。すると男はさも面白そうに――

「ほぉ。なぜそう思う?」

「答える必要はありません」

「なるほど。さすがにスパイのようなことをやっているだけのことはある」

 どこか楽しそうに男は笑った。

「あなたは沙織さんたちとどんな関係があるんですか?」

「私のことが気になるかね?」

「沙織さんたちをどうするつもりですか?」

 なおも文也は問いかけた。すると男は真直ぐに文也を見つめ、ゆっくりと紫煙を吐き出してから言った。

「君は彼女のことが好きなようだね」

「な……」

「なぜ君は彼女に惹かれるのかな? 彼女が美人だから?」

「な、何言ってるんですか」

「君は彼女に何を感じ取ってる? 彼女は君にとって特別な存在だと?」

「僕は……」

 答えに詰まる文也を見て、男は笑った。

「君は嘘がつけない性格のようだな。あまり正直すぎる人間にスパイは向かないな。気をつけたまえ。それじゃ私はこれで失礼するよ。これでも忙しい身なんだ」

 男はそう言うと軽く手をあげて歩き出そうとした。

「待てよ!」

 思わずその男の腕を掴む。

 その瞬間、振り向いた男の右手が素早く動き、文也の首元にピタリと押し付けられた。そして、冷たい金属の感触が頬に当てられる。

 ゾクリと背筋を冷たいものが走り、文也は動けなくなった。

 男は声を低くして言った。

「君がまっすぐな性格だということはよくわかった。だが、少しは周囲の状況や自分の置かれた立場を理解したうえで行動したまえ。でないとケガをすることにもなりかねない」

「……あなたは」

「問題なのは私ではない。君のことだ」

 すっと頬に当てられたナイフが離れていく。男の手のなかに鋭く光り輝く小型ナイフが見える。

「僕が何だっていうんですか?」

「君は自分自身が何者なのか理解していない。君がなぜここにいるのか。そして、どこへ向かっているのか」

「どういう意味ですか? あなたは何を言ってるんです?」

 文也には男の言っている言葉の意味がさっぱりわからなかった。

「そのうちわかる」

 男はナイフを折りたたみ、ポケットにしまいこむとクルリと背を向けた。「君は君の運命と向き合わなければいけない」

 去っていく男を追いかけることも出来ず文也はその場に立ち竦んだ。


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