3.3
霧雨が町を濡らしている。
文也は窓から通りを眺め、それから正面に座った弘子に視線を向けた。
弘子はサンドイッチを齧りながら、さっきからずっと女性誌に興味を注いでいる。
(いったい何やってんだ、俺は……)
弘子に聞こえないように小さくため息をつく。
あれから2週間。
未だに真下家の人々がどんな人たちなのか、調査は進んでいるとはいえない。わかったことといえば、沙織の父親が建築士であの家を設計したということくらいしかない。
昨日も屋敷の見取り図を渡した時に日下部から発破をかけられたばかりだ。
――あんたにはそれなりの報酬を渡してあるんやろ? あんたの代わりはいくらでもおるんや。しっかりしてもらわな。
そんなことはわかっている。だが、あの家族を調べるためにどこから手をつけていいものか。明美はあの家族について何も知っている様子はなく、小雪は相変わらず家族のことは喋ろうとはしない。
腕を組んで首をひねる。
「どうしたの? そんな暗い顔して」
弘子が顔をあげて文也の顔を覗き込んだ。
「いったいこんなところで何やってるんだろうって思ってたんです」
最近では二日に一回は弘子と会ってお茶を飲んでいる。
「頭でも打った? 私とお茶してるんじゃないの」
笑いながら弘子が言う。からかっているのか、それとも天然なのかよくわからない人だ。
「そもそもどうして俺があなたとこんなふうにお茶してなきゃいけないんですか?」
「いいじゃないの。文也君だってどうせ暇なんだし」
「まあ……そうなんですけどね」
確かに弘子の言うのは当たっている。相変わらず真下家での仕事は少ない。いったい何のために雇われているのか、それすらも疑問だ。
「私もそういうバイトがしたいなぁ」
そう言いながら弘子はまた雑誌に視線を落とした。
「何かすごく僕が楽してるように見えるみたいですね」
「違うのぉ?」
うつむいたままで訊く。
「……いえ」
はっきり否定出来ないところが辛い。「弘子さんは良いんですか?」
「何が?」
「主婦ですよね……一応」
「いいのいいの。全然平気よ。日中は時間持て余してるだけだから」
「そういう意味じゃなく……」
「何? 旦那のこと気にしてるのぉ? 大丈夫よぉ。何の心配もいらないわ。あの人、私のやることに文句なんて言えないから。何ならこれからホテルでも行くぅ?」
顔をあげると意地悪く笑いながら文也を見る。
「ば……バカなこと言わないでくださいよ」
「あら、照れちゃって」
「照れてません!」
文也は目を逸らして再び窓の外に視線を向けた。その途端、窓に立ちジッとこちらを見ている栗原の顔が目に飛び込んできた。
栗原は不思議そうに文也と弘子を見比べている。
「な!」
驚いて思わず立ち上がった。
「どうしたの?」
「あ……いや……」
どう言えばいいか迷っていると、店のなかに入ってくる栗原の姿が見えた。その文也の視線の方向を弘子が見る。
「よぉ」
軽く手をあげながら栗原が近づいてきた。
「何でおまえ、こんなところに?」
「ちょっと野暮用でね。で、おまえがこの辺でバイトしてるはずだと思い出して遊びに来てやったってわけだ」
栗原はそう言って文也の隣に腰を降ろした。
「だったら連絡くらいすればいいじゃないか」
「したさ。全然、反応がなかったけどな。しょうがなく帰ろうと思ってたとこだ」
「え?」
慌ててポケットから携帯電話を取り出す。メール着信のランプが光っている。「あ……全然気づかなかった」
「そういえばさっきメールの音聞こえたわよ。文也君、ボーっとして気づかなかったみたいだけど」
弘子があっさりと言う。
「それより、おまえ、何やってんの?」
栗原は文也に言った。
「何って……?」
「ちなみに誰?」栗原が弘子を指差す。
「私? 私は溝口弘子。最近、文也君と友達になったの。君は? 文也君のお友達?」
「そうですよ。あなたは……こいつとはどうして?」
「幽霊屋敷のことを教えてもらおうと思って私から声をかけたの」
「幽霊屋敷?」
「文也君が働いてる家のことよ。この辺の人たちにはそう呼ばれてるの」
「なんだそれ?」
栗原は文也のほうに顔を向けた。
「なんでもないよ」
「おいおい、俺をのけ者にする気か? さ、ちゃんと話してもらおうか」
どうやら誤魔化すことは出来なそうだ。
* * *
「幽霊屋敷かぁ。面白そうな話じゃないか」
文也の話が終わると栗原はそう言ってニヤリと笑った。「で? 何かわかったことでもあるのか?」
「それがさっぱり」
と言ったのは弘子だった。「文也君、全然教えてくれないのよ」
「当たり前じゃないですか。どうしてあなたに教えなきゃいけないんですか」
「ほら、ひどいでしょ」
そう言いながら弘子は甘えるように栗原を見た。
「俺にだったら教えてくれてもいいだろ?」
弘子の言葉を受けるように栗原が言った。
「なんだよ、おまえまで」
「そりゃおまえ、『幽霊屋敷』なんて聞いて興味持つなってほうが無理な話だろ。だいたい、どうして幽霊屋敷なんだ? お化けでも出るのか?」
「ね、そう思うでしょ?」
同じような考えを持った仲間が現れたせいか、弘子はやたら嬉しそうだ。
「出ないよ、そんなの」
「じゃあどうして幽霊屋敷なんだ?」
「知らないよ。僕がそう呼んでるわけじゃないんだから」
「あなた、知ってます?」
栗原は弘子に顔を向けた。
「私もわかんないの。山崎さんに訊いてみたんだけど――」
「山崎さんって?」
「うちのマンションに住んでるオバサンよ。すっごいお喋りなの。でね、みんな噂でそういうふうに聞いただけで誰も理由なんてわかんないらしいの」
「噂の出所はどこなんでしょう。それがわかれば『幽霊屋敷』の謎もわかりますよね」
「そうよねぇ」
真剣な顔で弘子が頷く。
「止せよ。バカバカしい」
「世の中、バカバカしいことが一番楽しいものなのさ」
栗原の言葉に弘子までがウンウンと頷く。
「まったく……無責任なことを」
「今度、遊びに行っていいか? 俺も実際にこの目でその幽霊屋敷とやらを見てみたい」
「はい! 私も行きたぁい!」
弘子も元気よく手をあげる。
「ダメです!」
「どうして?」
二人で口を揃える。
「そんなの決まってるじゃないか」
「ケチくさいこと言うなよ。友達だって言えば問題ないだろ?」
「そうよ、そうよ」
二人ともすっかり楽しんでいる。栗原に至っては、単純に自分をからかって遊んでいることが明白だ。
「いっそのこと、今からおしかけに行きませんか?」
「いいわね」
二人だけで勝手に盛り上がっていく。
「ダメ! 絶対ダメだからな!」
からかわれていると知りながらも、文也は思わず声を張り上げた。




