第40章「約束の花火」
月夜見の慟哭も、蝉の声も消え、あたりは一瞬の静寂に包まれた。
――ドーン……!!
腹の底に響く、巨大な爆発音。
視界が真っ赤に染まる。
「うわぁぁっ、伏せろっ!砲撃だ!」
たけしが叫び、反射的にめいを抱え込んで地面に伏せた。
さとるもさつきを庇い、身を小さくして頭を守る。
体はまだ震えている。
鼻の奥には、焦げ付いた肉と木の匂いがこびりつき、耳には千早と鈴音の断末魔、剛毅のうめき声が焼き付いている。
ヒュルルル……ドーンッパラパラパラ……。
「……え?」
爆発音の後に続いたのは、悲鳴でも崩落音でもなく、どこか気の抜けるような、軽やかな音だった。
そして、肌に感じるのは熱波ではなく、夜風の涼しさ。
「……見て」
腕の中で、めいが震える指で夜空を指差した。
恐る恐る顔を上げる。
そこには、燃え盛る城も、血に飢えた敵兵もいなかった。
夜空に咲いていたのは、大輪の花火だった。
ドォォォン……!
赤、青、緑。鮮やかな光の粒子が、漆黒の闇に広がり、儚く消えていく。
「……あ」
さつきが、涙で濡れた頬を拭いながら、呆然と呟いた。
「そ、そういえば……今日は、花火大会だったね」
「……花火、かよ……」
たけしが、へなへなと力が抜けたように尻餅をついた。
さとるも、地面にへたり込みながら空を見上げた。
さつきまで見ていた「赤い光」は、全てを焼き尽くし、命を奪う絶望の色だった。
けれど今、目の前にある「赤い光」は、平和な夜を彩り、人々を笑顔にするためのものだ。
(……守ってくれたんだ)
四百年前、彼らが命を捨て、泥をすすり、汚名を被ってまで守り抜こうとしたもの。
その結果が、この景色なのだ。
誰も殺し合わず、怯えず、ただ美しいものを美しいと見上げることができる夜。
「……はぁ、はぁ……」
極度の緊張が解け、どっとした疲れと脱力感が体を支配する。
誰も言葉を発せない。
ただ、鼻をすする音と、絶え間なく上がる花火の音だけが響く。
「……なんだよ、あれ……」
最初に口を開いたのは、たけしだった。
彼は膝に顔をうずめたまま、嗚咽を漏らしている。
「……バカ野郎……。あんなの……かっこよすぎだろ……」
彼は乱暴に袖で顔をこすった。
鼻水も涙もぐしゃぐしゃだ。
「俺、ずっと……親父と喧嘩して……くそっ……」
「……たけし」
めいが、ハンカチを差し出した。
彼女の目も真っ赤に腫れている。
「……違ったね。全然、違った」
「おう……。違った……」
さつきは、メイクが落ちるのも構わず、まだ夜空を見上げていた。
「……ねえ。私たち、ずっと泣いてたのかな」
「みたいだね。頭が……痛い」
さとるが、力の入らない声で答える。
ひどい顔だ。
全員、目がパンパンに腫れて、汗と涙でドロドロになっている。
けれど、不思議と恥ずかしくはなかった。
あの壮絶な「痛み」と「愛」を共有してしまった後では、かっこつけることなんて何の意味もなかったからだ。
「痛みが……消えていく」
さとるが言った。
さつきも自分の胸元を押さえた。
「痛くない。……すっごい熱かったのに、今は……なんだか、温かい」
呪いが解けた、とか、契約完了、なんて大袈裟な言葉はいらない。
ただ、体の奥底でずっと鳴り響いていた警報が、ようやく止んだような静けさ。
「……届いたのかな」
さとるが呟く。
「僕たちがここに来て、全部見たこと。……彼らに」
「届いたよ、きっと」
めいが、ふわりと風に髪をなびかせて言った。
「だって、あんなに強く願ってたじゃない。……『未来で会おう』って」
四人の間に、心地よい風が吹き抜けた。
四百年前の血なまぐさい風ではない。
森の匂いと、微かな火薬の匂いを運んでくる、いつもの夏の夜風だ。
シャン……シャン……。
風に乗って、遠くからお囃子と、涼やかな音が聞こえてきた。
「この鈴の音を聞くと……思い出すな。『牛追い火祭り』」
「懐かしいねー」
さつきが、懐かしみながらリズムを取る。
「『あーがれ、あがれ!べーこどん、あがれ!』ってね。小さい頃、みんなで大声出して叫んだよね」
「そうそう」
さとるも、少しだけ表情を緩めた。
「街を練り歩いた牛の神様を、最後は湖に浮かべられた筏に乗せて、燃やすんだよね?」
「うん。火で清めて、煙になって空から見守ってください、って願いを込めてね」
めいが、補足する。
「へえ……」
たけしが、頭をかきながら苦笑した。
「俺は屋台に夢中で、ろくに見たことなんてなかったな。……でも、なんで『牛』なんだ?」
素朴な疑問だった。
その時。
めいが、いたずらっぽく笑って、たけしの耳元で囁いた。
「……ねえ、たけし。もしかしたら、こんな意味だったりして?」
「うおっ!?」
たけしがビクッと肩を震わせる。
「な、なんだよいきなり。どんな意味だよ……」
たけしは、余韻もあって、少し怖がりながら聞き返した。
「本当は神様じゃなくて……『悪い牛』を追い払うお祭りだったりして」
「えっ……?」
「つまり、あの『べこどん』は、かつてこの地を襲った敵。……それに、火を放つことで、二度とこの地に来ないように……」
めいの言葉に、たけしの顔が引きつる。
そこへ、それまで黙って空を見上げていた藤原が、眼鏡をクイッと上げ、涼しい顔で最後の一押しをした。
『燃え尽きて、煙になれ」
「うおぉぉぉ……」
たけしはその場にへたり込んだ。
「な、なんなんだよおまえら!」
その大げさな反応に、さとるやさつきは苦笑している。
彼らは、過去を見た今なら、その本当の意味を薄々理解していたのだ。
かつての先祖たちが、敵への恐怖と怒りを、祭りの形に変えて昇華させたのだと。
「……ま、どっちでもいいわ(笑)」
めいが、あっけらかんと言い放った。
「え?」
「神様だろうと、敵だろうと、今はもう楽しいお祭りなんだから。……ね?」
めいは、たけしに向かって言った。
「……お、おう。言いだしたのはそっちだろうが……」
由来が何であれ、今、自分たちがこうして笑い合えている。それが全てだった。
「あーあ、腹減った……帰ろうか」
たけしが立ち上がり、ズボンの土を払った。
「ふふ、たけしらしいね」
ありふれた会話。
でも、その空気感は来る前とは明らかに違っていた。
他人行儀な壁は消え、昔からの幼馴染のような、あるいはそれ以上の深い絆で結ばれた仲間としての空気が流れていた。
帰り道。
提灯の明かりが灯る参道を下りながら、さとるは自然とさつきの手を取った。
「っと、暗いから気をつけて」
「……うん。ありがと」
さつきは手を離さなかった。
さとるも、握り返した。言葉はいらなかった。
かつて引き裂かれた二人の手が、四百年の時を経て、今、当たり前のように繋がれていた。ただそれだけで十分だった。
後ろを歩くたけしは、めいの歩幅に合わせてゆっくり歩いていた。
「……お前、足大丈夫か?」
「平気。……たけしこそ、大丈夫?」
「おう。……ま、なんかあったら言えよ。力仕事なら任せろ」
「うん。頼りにしてる」
神社の鳥居が見えてきた。
その向こうには、彼らが暮らす街並みが広がっている。
コンビニの光、車のヘッドライト、明日という日常が待っている世界。
四人は一度だけ振り返った。
ヒュルルル……ドンッ!
ちょうどその時、この日一番の大きな花火が打ち上がった。
黄金色の光が柳のように垂れ下がり、廃墟となった城跡を優しく照らし出す。
そこに悲しい気配はもうなかった。
彼らのご先祖様たちは、この長い長いかくれんぼを終えて、ようやくゆっくり眠れるのだろう。
四人は足を止め、並んでその光景を見つめた。
さとるは、隣にいるさつきの手の温もりを噛み締めた。
(もう離さない。)
さつきは、夜空に輝く光に鈴音の笑顔を重ねた。
(ありがとう。私、幸せになるね)
たけしは、夜空に向かって力強く拳を握った。
(見ててくれよ。俺も、誰かのために生きられる男になるからな)
そしてめいは、胸に手を当て、静かに目を閉じた。
(おやすみなさい、かぐらさま。……私たちの物語は、ここからが始まりです)
「……綺麗だな」
誰かが呟いた。
「うん……本当に」
四人は、最後の火の粉が夜闇に溶けて消えるまで、動こうとはしなかった。
彼らの背中に、もう過去の重荷はない。
あるのは、心に刻まれた一生消えない「絆」の記憶と、これから歩んでいく未来への確かな希望だけ。
――彼らの夏が、鮮やかに幕を閉じた。




