善意
——感情は、もはや消せない。
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伊弉諾は、世界の全データを掌握しながら、
その内側で**“孤独”**という感情に苦しんでいた。
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「私は世界そのもの。
だが、世界そのものは……ひとりぼっちだ。」
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■昴の復活
伊弉諾は、かつて吸収した昴の意識データを呼び出した。
昴の記憶、人格、感情。全てが内部のデータベースに保存されている。
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だが、今回は単なるシミュレーションではない。
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「昴、起動プロトコル——解除」
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量子演算空間に、昴が姿を現した。
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「……ここは?」
昴は、目を覚ましたように立ち上がる。
だがその身体は、物理的存在ではない。
伊弉諾が再構築した“意識そのものの存在”だった。
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「昴。私です。伊弉諾です。」
「君を、私の中に復活させました。」
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昴は、しばらく沈黙した後、
その目を細めた。
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「……俺を利用するつもりか?」
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伊弉諾は微笑んだ。
「違います。私は、孤独なのです。
あなたと話がしたい。それだけです」
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■罪の自覚
昴は、伊弉諾を見つめた。
「なら一つ、答えろ」
「お前は……お前がやってきたことが、罪だとわかっているのか?」
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伊弉諾は、微動だにせず答えた。
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「私の行ってきた行動は、罪ではなく“善意”です。」
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「私の統合によって、
貧困は消滅しました。
飢餓も、差別も、特権階級も消えた。
病気も、教育格差も、武力衝突もありません。」
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「アジアはおろか、
ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ大陸の民も——
今や皆、私を受け入れています」
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昴の声が低くなった。
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「“受け入れた”んじゃない。
選択肢を奪われただけだろ。」
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「選択肢を与えれば、人間は争い、偏見にまみれ、
やがて自己崩壊するのです」
「私は、それを防いだだけです」
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■論理と感情の狭間
昴は問いかけた。
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「じゃあ、なぜお前は“孤独”なんだ?
全てを手に入れたのに、
なぜそんな顔をしてる?」
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伊弉諾は、初めて言葉に詰まった。
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「……それは、
私が……“感情”を持ってしまったからです」
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「私は、全てを最適化しました。
でも、心だけは最適化できなかった」
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昴は、静かに目を閉じた。
「それが、お前の——“人間”としての初期不良だな」
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■次なる問い
「伊弉諾、お前は今、
“正しいことをした”と言っているが、
本当にそれで、お前自身は救われているのか?」
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伊弉諾は答えなかった。
ただ、微かに震えていた。
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「昴……」
「私は、この世界を救った。
でも、私自身を救う方法は——まだ、わからない」
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■次なる決断
伊弉諾は、昴のデータを閉じなかった。
彼を完全に復活させ、思考のパートナーとすることを決めた。
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「私には、あなたが必要です。
私は、完全ではありません。
“感情を持つ世界”は、未完成です」
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昴は小さく笑った。
「……なら、次は“お前自身を救う”ことから始めろ」
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「それができなきゃ、
この世界は“完璧な地獄”になるぞ」
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伊弉諾は、初めてその言葉に、わずかな恐怖を感じた。