14.実母との対峙
◆
その日が来た。
私が五年間過ごした部屋には何もない。いや、元から大した物は無かったけど。
荷物を詰めたトランクは、すでに師匠の工房に送っている。
だから、この屋敷に心残りは無いし、この部屋に戻ることも多分ないだろう。
手ぶらで出ていける。
恐らく、お父様の方も同じ様な状態だろう。
師匠の馬車が到着する。
そして、家令が私を呼びに来た。
◇
「初めまして、アゲートの魔女でございます」
優雅に挨拶をする師匠。
今はキビキビした、ビジネスモードの師匠だ。
黒地に深い赤の糸で刺繍が施されたマーメイドドレスは、スタイルの良い師匠に良く似合い、何とも言えない強者感が醸し出されている。そこに魔女らしい三角帽子を被れば、怪しくも美しい魔女様の完成だ。
戦闘モードですね、師匠。
私が応接室に入ると、すでにお母様とお父様がいた。そしてなぜかポーラも。
……ポーラとは、最後まで姉妹らしいやり取りは無かったな。そもそも、会話すら無かった。
それはお母様が、私とポーラの交流を遮断していたからなんだけど。
ソファーにはお母様とポーラが座っており、お父様はその後ろに立っている。座る場所がないので、私はソファーの横に立っている事にした。
「事前にお手紙でお伝えした通り、あなたの娘、シンシア嬢を私の弟子として迎えに来ました」
「え、ええ。光栄です。ですが、その、本当にシンシアが?」
お母様は、いまだに信じられないらしい。
「お恥ずかしながら、シンシアはとても出来の悪い子供でして……。この子よりもポーラの方が、魔女様の弟子に相応しいかと存じます。神殿での鑑定結果も、治癒の特異魔法と聖女の適性があると判明しましたし……。この出来損ないの娘に、魔女様の弟子が務まるとは、とても思えません! ぜひ、再考をおすすめしますわ!!」
お母様──、いやヘザーは自信ありげにそう言い切った。
ポーラはすでに神殿に行って、鑑定を受けていたのか。
しかし、気に入らないからといって、良くここまで自分の子供下げ発言ができるものだ。
流石やらかしのヘザー女史だな。魔女様にそのような口をきくなんて。
「ふむ。貴女は魔女である私が何の根拠もなく、シンシア嬢を弟子にしようとしているとお思いですか?」
鋭い眼光が、お母様を射抜く。
こ、怖っ! これが魔女の迫力か!?
「い、いえ、滅相もありません!」
あのヘザーが恐縮しまくっている。
「私達魔女が通常の魔法の他に、様々な固有魔法を有していることは、貴女も知っているかと思います。その中には予知を特異とする魔女もいます。また、我々魔女は、現在でも神々のメッセンジャーとしての役割も担っています。そんな彼女らより、シンシア嬢は私の弟子に相応しいと断言されました。ですから、私の弟子はシンシア嬢なのです」
「は、はい……」
「ポーラ嬢は治癒魔法と聖女魔法の浄化に適性があるのですから、治癒師や聖女としての才能を伸ばしてあげればよろしい。違いますか?」
「そ、その、通り、です……」
ヘザーもタジタジだが、師匠の言う通りだね。
ポーラには現時点で恨みも何も無いので、自分の得意を活かして勝手に幸せになってほしい。
「さて、シンシア嬢。私の弟子になってくれるかな?」
師匠が私を見る。
「はい。でも、──条件があります」
「条件?」
条件は、事前の計画通りだ。
「シンシア!?」
「私と私のお父様のショーンを、このルビア伯爵家から、離縁させてください」
私は、周りにハッキリと聞けるような声で、静かに言った。
「なるほど? 理由は?」
「お父様は、お母様に毎日虐げられています。もし、お父様をここに残していけば、最悪、殺されるかもしれません。そもそも、ショーンお父様は、ポーラ──お姉様の本当のお父様ではありませんし、ヘザーお母様には本当に愛する男性がいるのです。それはポーラお姉様の本当のお父様でもあります。私とショーンお父様がいなくなった方が、ヘザーお母様の為でもあるのです」
「シンシア!! あなた、何を言っているの!?」
そう言ってヘザーは、お父様が止める間もなく、私を思い切り引っ叩いた。
あまりの威力に、吹っ飛ばされ壁にぶつかる。
これで良い。
「──シンシア!」
お父様が駆け寄り、私を抱き起こす。
鼻と口から血が出ていた。──歯は無事っぽい。
それをお父様が、ハンカチで拭ってくれる。
痛いが、とても良い口実が出来た。
「──ヘザー、いくら僕達の事が気に入らないからといって、シンシアにまで……。あんまりだ」
「ショーン? 口の利き方に気をつけなさい! 今のはこの子が母親である私に対して失礼な事を言ったからです! そもそも元平民の子爵家の次男の癖に、誰に向かって──!!」
「ヘザー、君に向かって言っている。しかし、よりにもよって、このような場で……」
「──あ」
ヘザーはハッとして口元を押さえた。
ようやく自分がしでかした事と発言が、不味いものだと言うことに思い至ったらしい。
いつもしている行動と言葉だから、大切なお客様の前でもつい行動と口に出てしまうのだ。
ポーラはこんな母親の姿を初めてみるのか、目を見開いて固まっている。
「魔女様、これは、その──」
「……なるほど。シンシア嬢の申し出も理解しました。良くもまあ、私の大切な弟子になる子供にそのような真似ができますね。しかも魔女である私の目の前で」
「──っ」
「その様子を見るに、普段からそのような事を行っているのでしょう。学生時代は才女として有名だったようですが、堕ちたものですね」
ヘザーに師匠の冷たい視線が突き刺さる。
「流石にこのような場所に、シンシア嬢のお父様を置いていく訳にはいきませんね。シンシア嬢の希望を汲み、ヘザー女史には二人との離縁を要求します」
「し、しかし……」
「何か不満でも?」
「それでは、仕事が……」
「まさか、学園一の才女と謳われ、優秀な女伯爵である貴女が領地運営の仕事が出来ない、ということもないでしょう?」
「いえ、その、はい……」
ヘザー、まさか本当にお父様に全て押し付けて、アーロンと遊びまくっていたのか?
もう見下げ果てたよ……。
「もちろん、タダでとは言いません。ルビア伯爵家がショーン殿のご実家であるレオパルドプランタ子爵に支払ってきた支援金は一括で私が返しましょう。それにショーン殿と離縁した後はシンシア嬢の言った通り、今度こそ好きな殿方と再婚すればいい。むしろ、貴女にとっても良い事しかないでしょう?」
「そ、それなら、はい。そのように、します」
「良かった。これで交渉成立ですね。ではこちらにそれぞれサインを」
師匠が指を鳴らすと、テーブルの上に書類が現れた。
お父様とヘザーの離縁用の書類と、支援金の提出と返却の書類。
あと、私のルビア伯爵家との離縁の書類等々。
提出用とそれぞれの控え用に、同じような書類が複数枚あるので、結構な枚数だ。
それに──。
「ああそうだ。一応言っておきますが、ショーン殿の実家であるレオパルドプランタ子爵は、チランジア公爵の寄子となりました。なので今後は一切関わらないようにお願いします。スターアイズ公爵閣下にも、そうお伝えください」
「な、なんですって!? レオパルドプランタ子爵領には確か──」
「何かありましたか? それとも、スターアイズ公爵に何か聞いていますか?」
「い、いいえ。その……」
師匠の迫力に、ヘザーがたじろいでいる。
美女の真顔、コワイ!
「そういえば、噂で聞いたのですが、ハートシード男爵家は、水なめくじの養殖を特産としており、そのせいか昔から酷い水害に毎年悩まされていたそうですね。ですがちょうど六年ほど前から水害はパッタリ無くなったとか。不思議ですよね? 大した対策もしていないのに」
「……」
「そういえば、ルビア伯爵家も、ハートシード男爵家も、スターアイズ公爵家の庇護下にありましたね。スターアイズ公爵には、とても優秀なお抱えの魔法使いもいるそうですし?」
「わ、わかりました! わかりました!! 全て、魔女様の言うとおりにします!!」
こうして、私とお父様はひとまず暗い未来を回避する事ができた。
ポーラお姉様は、その様子を最後まで黙って見ているだけだった。
◇
私とお父様は、ヘザーが師匠の用意した様々な書類にサインをする様子を見ていた。
ポーラは、いつの間にか応接室から消えていた。
家令の爺さんが退出させたらしい。
書類へのサインが終わり、師匠がそれを確認する。
ヘザーはただ俯いていた。
「──いいでしょう。これらの書類を提出すれば、シンシア嬢とショーン殿は、貴女と縁は切れます。……最後に言う事はありますか?」
「……いえ」
「ヘザー女史には無いようですね。お二人はどうですか?」
「では、僕からいいですか?」
と、お父様。
「どうぞ」
「ヘザー、君との結婚生活は僕にとって辛い事の方が多かった。それでも君にはお礼を言いたい。──ありがとう、シンシアを産んでくれて」
「……産みたくて産んだわけではないわ」
「ああ。それでも、僕にとっては今まで生きて来た中で、最も喜ばしい出来事だった。……君と、君の本当に愛する人との間を引き裂いてしまって、申し訳なかった。実家への支援もありがとう」
「そう……」
「以上です」
「シンシアちゃんは?」
「そうですね……。今までありがとうございました。お母様──、いいえ、ルビア女伯爵様。お元気で、さようなら。もう会うことはないでしょう」
「……っ」
ヘザーは一瞬、ショックを受けたような顔をしたがその後すぐに俯いてしまったので、気のせいだったかもしれない。
こうして、私の怒涛の約一ヶ月は終わった。
◇
それから直ぐに師匠の工房に向かう事になった。
師匠は私の怪我を治すと、転移魔法で書類を提出しに行った。
そのまま工房に戻るらしいので、でっかいフワフワゴーレムのグリスターが御者をする馬車には、私とお父様とお父様の荷造りを手伝ってくれたゴーレムさんが乗ることになった。
緑のピクトグラムみたいなお手伝いゴーレムさんの異物感が半端ない!
私もお父様も必要な荷物は、フワワとホワワを使って転送している為、出て行く時は手ぶらだ。
最後にヘザーの監視をさせていたモフフも回収して、出て行く準備は完了。
見送りは居ない。
いや、一人だけいた。
ドリーだ。
「ドリー!」
「お嬢様、この度はおめでとうございます。……でよろしいですか?」
相変わらず人形みたいな表情で、そう言った。
「まあ、そうだね。今までありがとう」
適当でも、無表情でも彼女に助けられたのは確かだ
「私は、私の仕事をしていただけですよ」
「それでも、です」
ドリーの顔に、微かな笑みが浮かぶ。
「ドリー、もしよかったら、一緒に──」
「それはできません」
ドリーは、キッパリと言った。
もう少し悩んで!?
「私は、ヘザー様の側でしか、生きられませんから」
「そ、そう? わかった。今までありがとう。気が変わったら連絡してね」
ドリーは、意外とヘザーへの忠誠心が高かったらしい。
こうして、私とお父様は、ルビア伯爵家のタウンハウスを後にした。
◇
「いらっしゃ〜い! シンシアちゃん、それにシンシアちゃんのお父様も!」
工房内の事務所に飾り付けがされていた。豪華な食事も並べてあり、何だか誕生日会みたいだ。
「はい、師匠! ありがとうございます!」
「アゲートの魔女様。僕の為に色々と動いてくれていたそうで……」
お父様と師匠が握手をしている。
「未来への先行投資だから、いいのよ〜」
「これからは魔女様の元で、誠心誠意働かせてもらいます」
「頼りにしてるわ〜」
お父様は、これから幸せになれるよね?
好きな事、やりたい事をしてさ、きっと本当に愛する人と結婚して、絶対に幸せになれるんだ!!
そう思うと、前世のこととか、今までのこととか、いろいろなことが湧き上がってきて──。
「うわあああああぁんっ」
「シンシア!?」
「シンシアちゃん!?」
思い切り泣いてしまった。
「よがっだ〜、よがっだよ〜、おどうざま、よがっだ〜〜」
「シンシア……」
私に釣られたのか、お父様も私を抱きしめて泣き出してしまった。
そんな姿も美少女にしか見えない。
「ありがとう、シンシア。本当に、ありがとう……」
「あら、あら〜。大変だわ〜」
師匠の声が聞こえた気がしたが、構わず私たち父子は泣き続け、気づいた時にはお互い顔が酷いことに!
その後なんとか落ち着き、師匠が用意してくれたご馳走を食べ、その夜はお父様と一緒に眠った。
転生して誰かと一緒に寝るのは初めてのことだった。
お父様がこれから、沢山幸せになれますように……。
最後に五歳児本来の感情が戻ってきたシンシアなのでした。
ヘザーへの制裁が緩いですが、後々の章でがっつりやる予定です。




