108 不安【ローナ】
◆ローナ◆
お父様がカプセラ伯爵領からグラを連れてきて、数日が経った。
どうやらお父様は、グラの能力を使って本当に廃品回収の新事業を始めたらしい。
不用品も中古品も、本当に使えなくなるまで使い潰す気質のこの国でも、廃品は出る。
なので、お父様の新事業は、この数日だけで、で先月の売り上げを大幅に超えたみたいだった。
この分なら、借金の返済もなんとかなるのかもしれない。
それは、喜ばしいことだけど……。
「ははは、これなら当分は遊んで暮らせるなぁ!」
『グラ〜』
お父様の機嫌が良いと、契約しているグラも、うれしくなるみたいだった。
その様子は確かに可愛らしいと思う。でも……。
「この調子で、どんどん頼むぞ!」
『グラグラ!』
そんな様子を、お父様の執務室に花を活けている私は、チラチラと見てしまう。
あの子……前より少し大きくなってる?
私は、どうしてもグラを好意的には見られなかった。
真っ白な子豚を可愛らしくデフォルメしたような見た目をしているが、私はどうしても可愛いとは思えない。
「おお、そうだ、ローナ!」
「お父様、本日の花はコスモスですよ」
庭で私が育てたものだ。
庭師の手が足りないので、私も結構手伝った。
「そんなことより、ローナよ。何か欲しいものはあるか?」
そんなこと……。
「……欲しいものですか? うーん。なんでしょうか?」
欲しいものはあるはずなのに、急に聞かれると、思いつかない。
「ああ。今なら、ドレスでもアクセサリーでも、好きなものを買ってやろう」
「ありがとうございます。考えておきますね!」
侍女と一緒に花を生け替え、素早く執務室を後にする。
今更、そんなことを言われても……。
幼い頃の私は体が弱く、すぐに寝込んでいた。
お父様に邪険にはされなかったけれど、興味を持たれることもなかった。
それでも、お父様の役に立ちたいと思って、なんとか考えたのが、屋敷中に花を飾る仕事だった。
だけどお父様の私への態度は変わることはなく、この仕事も今では惰性で続けていた。
お父様は私が花を飾ってもなんとも思ってはいない。虚しいだけなのだけど、正直、やめ時が分からなくなっていた。
ちなみに、今は季節の変わり目に風邪を引くくらいで、そこまで病弱ではない。けど、お父様はいまだに私が病弱だと思い込んでいる。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
難しい顔をしていると、一緒に花の交換をしてくれている侍女に、心配されてしまう。
「ううん、大丈夫。なんでもない」
(……っと、そうだ。この前買ってきた傷薬を、お父様に渡さないと!)
リアムさんと一緒に街に行ったときに購入した、傷薬。
自分用にはラベンダー、リアムさんには仕事に影響が出ない無香タイプ、お父様には石鹸の香りのものを購入した。
お父様に石鹸の香りを選んだのは、以前ミント系の香りが苦手だと言っていたから。男性人気の高い、石鹸の香りにした。
しかし、お父様は新規事業の準備で忙しく、カプセラ伯爵領から帰ってきて以来、なかなか顔を合わせる機会がなかったのだ。
複雑な感情はあるけれど、私のお父様には変わりないし……。
私は、折を見てお父様に傷薬を渡すことにした。
◇
「おや、お嬢様。ジョザイア様にご用ですか?」
執務室へ向かう途中、私はリアムさんと鉢合わせた。
「リアムさん。はい、この前買った傷薬を、お父様に渡そうと思って……」
「ああ、このところ、ジョザイア様忙しそうでしたからね。
私もちょうど、午前中の見回りの報告書を提出するところなので、一緒に行きましょう!」
「はい!」
私たちは一緒に、お父様の執務室へと向かった。
「お父様、今よろしいですか?」
ノックをしてから、声をかける。
「ロ、ローナか? 少し待て!」
執務室の中で、何かゴソゴソと音がする。
「いいぞ。入れ」
少しして、ようやく入室の許可が下りた。
不思議に思いながらも、リアムさんが扉を開けてくれる。
「失礼しま──!?」
中に入ると、見知らぬ女性がいた。
二人とも衣服が乱れており、やけに親しげな様子で、ソファーに並んで座っている。
テーブルの上には、食べ散らかした食事の残骸と、中身が半分ほど減った瓶が置いてある。
この時間から、お酒?
部屋の中は、酒と食べ物、そして甘ったるいような匂いが混ざり合って、吐き気を覚えた。
あの、奇妙な生き物グラの姿はない。
「ど、どうした? ローナ。ん? リアムもいるのか?」
「あ、私は見回りの結果を報告に……。特に異常はありませんでした」
「そうか、ご苦労。報告書は机の上に。ローナの方は?」
「あ、えーと、街で購入した傷薬を、お渡ししようと思ったのですが……お客様がいたのですね、申し訳ありません」
「彼女は仕事上の取引相手だ。気にするな。傷薬は机の上に置いておけ」
「は、はい。では、失礼します……」
私とリアムさんは、執務室を後にした。
◇
その後私は、日課の花壇の手入れ。
専属の庭師もいるけど、毎日屋敷を飾る花々の世話は自分でしたいので、わがままを言わせてもらっていた。
私は、先ほどの光景を忘れるように、一心不乱に、枯れた花や葉を剪定ばさみで切っていく。
「……あ」
そして、切らなくてもいい花まで切ってしまったところで、ようやく我に帰る。
(切ってしまった花は、あとで部屋に活けよう)
「お嬢様、これは切ってしまっても大丈夫ですか?」
暇なときは時々、リアムさんも手伝ってくれている。
「そうですね、少し枯れてるし。切ってしまって大丈夫です」
「分かりました」
その時、邸宅の方が少し騒がしくなった。
「ん?」
「なんでしょう?」
どうやら、お父様のところにいた女性が帰るようだ。
しかも、カンタロープ侯爵家の馬車で送るらしい。
「ええ、じゃあ、またね。ジョザイア」
「ああ、また頼むよ」
二人の会話が聞こえる。
「お客様がお帰りみたいね」
「そのようですね」
聞くつもりはなかったが、女性の正体が気になって聞き耳を立ててしまう。
随分と、父様と親しいみたいだけど……。
「そういえば、さっき執務室に来たの娘さん?」
「ああ。母親に似て体が弱くてな。政略結婚の駒にもならない、不出来な娘だ」
え……。
「あら酷い。でも、プレゼントに傷薬を選ぶのは、センスが無いわねぇ」
「ああ。よければ持っていくか? とってくるよ?」
「いらないわ。バラとかの花の香りなら考えたけど、石鹸の香りじゃねぇ……」
「そうか、それは仕方がない。では……」
「ええ」
二人は濃厚なキスをして、女性は馬車で帰って行った。お父様は屋敷に戻る。
(そうか、お父様は迷惑だったのね……)
今まで漠然と感じていた、お父様から自分への評価を改めて知って、私は打ちひしがれた。
病弱で、いつもベッドで寝ていたのは幼少の頃の情報だ。
今では、無理をしなければ普通の貴族令嬢と同じくらいには健康だ。
お父様の中では、その情報はまだ更新されていないらしい……。
なんだか、諦めがついてしまった。
「お、お嬢様……」
「……お父様、傷薬は迷惑だったみたいね!」
「……」
「お父様には、悪いことをしたわ。新しいプレゼントを用意するべきかしらね?
それにしてもあの女の人、お父様の新しい恋人かしら? もし再婚するなら、ちょっと私とは会わなそうなのよね〜。勘弁だわ!」
私は努めて明るく言ったが、それがかえって不自然さを際立たせてしまう。
それでも、口角が歪まないようにするのに必死だ。
ああ、私がもっと淑女教育をちゃんと受けていれば、もっと取り繕えたのに……。
あ、お父様は最初から私に期待していなかったから、そういった教育も最低限なんだ……。
色々と腑に落ちてしまった。
「そろそろお茶にしましょう」
「え?」
「お嬢様もお疲れでしょう?」
リアムさんが、明るく提案してくれる。
「そ、そうね。そうしましょう! リアムも付き合ってくれる?」
「よろしいんですか?」
「もちろん! いつもお世話になっているし、お礼よ!」
「ありがとうございます」
◆リアム◆
「お茶にお付き合いいただき、ありがとうございました」
「いえいえ。とても楽しかったです。ありがとうございます」
束の間の楽しい時間は終わった。
ローナお嬢様は少し寂しそうな様子で、自室へと戻って行った。
「……」
(どうせ失われるものだ。私が口を出すことではないが……)
私はジョザイアの元へと向かった。
◇
「ジョザイア様、少々よろしいですか?」
「ん? リアムか? どうした?」
部屋の中はすでに片付けられていた。
グラは机の側にあるカゴの中で、眠っている。
先ほどはいなかったがどこにいたのだろう。
「ああ、グラはさっきまで寝室で寝ていたんだ。執務室へ戻ってきたが、また眠ってしまった」
先ほどの場面を見られた気まずさか、私の視線に気づいたジョザイアは饒舌に説明する。
その視線はかなり泳いでいた。
「そうでしたか……」
私は意を決して口を開いた。
「ローナお嬢様について、お話があります」
「何?」
泳いでいたジョザイアの視線が、私をとらえる。
執務室の中には、甘ったるい女物の香水の匂いが残っていて、吐き気がした。換気が不十分だ。
どうやらあの女とコイツは、そういう関係なのだろう。
本当に反吐が出るな……。
「もう少し、ローナ様を気にかけてあげてください」
「なんだと?」
どんなにクソ野郎でも、ローナお嬢様にとってはたった一人の父親だ。
だから、もし、コイツに彼女を思う気持ちがあるのなら、私は多少、手加減するつもりでいた。
「あの傷薬は、ローナお嬢様が一生懸命、ジョザイア様のことを思って選んだものなんです!
それに、ジョザイア様がどんな女性と関係を持とうと勝手ですが、再婚するならちゃんと、ローナお嬢様を大切にしてくれる方にしてください!!」
こんなことを言えば、私はおそらく問答無用で解雇されるだろう。
だが、それでも黙っていられなかった。
そもそも、一ヶ月だけの雇用関係だ。少し、契約期間が短くなるだけだ。
「……言いたいことはそれだけか?」
「はい」
「では、リアム。本日付けで、お前への依頼は終了だ。今すぐ、出ていくといい」
「──ジョザイア様!」
「ああ、本日までの依頼料はちゃんと支払うから、安心しろ。二度とその面を見せるな」
「……分かりました。失礼します」
私は、執務室を後にした。
こうして、一ヶ月弱の護衛の仕事は終わった。
そして私は、そのままカンタロープ侯爵邸を出て行った。
荷物は亜空間鞄の中に詰めていたので、荷造りの必要はない。
ローナお嬢様とは、最後の挨拶をすることはできなかった。
(それは心残りだが、でも……貴方が、そういう人間で良かった)
「これで──心置きなく、潰せる」
私の瞳には、復讐の炎が燃えていた。




