1 ちょっぴりハードな恋愛漫画の世界!?
◇◆◇
バシンッと、殴打音が執務室に響く。
「お父様!!」
衝撃で倒れ込んだお父様に、私は急いで駆け寄った。
「ショーン、私に意見するなんて随分偉くなったものね。子爵家の次男の分際でっ!」
お父様を平手打ちしたのは、私のお母様。
「……だがヘザー、シンシアだって君の娘だ。何故姉のポーラと差別する?」
お父様は頬を抑えながら、その美しい顔を歪ませる。
「あなたとの子供なんて、いらないのだから仕方がないでしょう? 本当なら、あの人との子供だけが欲しかったのに、うっかり避妊薬を飲み忘れるなんて……」
「ヘザー、子供の前でそのようなことをっ!」
お父様は私に聞かせまいと抱きしめながら、お母様を止める。
そのあたりの事情は、お父様もトラウマなので無理しないでください。
……私は、大丈夫ですが。
「あなたが、理由を聞いたんじゃない。まったく、身の程を分かっていないのね。
今夜──いいえ、明日の晩は覚悟なさい」
お母様がお父様を睨む。
夜──つまりはお父様が夫婦の営みで、酷い目に遭わせられるという意味だ。
お母様との、そういうことにトラウマがあるお父様には、死刑宣告にも等しいだろう。
しかし、立場的にお父様に拒否権はない。
今夜は忙しいので、その罰は明日の夜に持ち越されるようだ。
「……」
嫌な行為が先延ばしになっただけで、地獄の時間が待っていることに変わりはない。
お父様は、顔色を悪くして俯いた。
「お、お父様……」
私はお父様を見上げる。
──大丈夫だろうか?
「……大丈夫、シンシアは部屋に戻っていなさい」
お父様は、私に心配をかけまいと微笑んだ。
「お父様、ごめんなさい……」
お父様が苦しんでいても、今の私では何もできない。
五歳児の感情に引っ張られて、涙が滲む。
「大丈夫、だから……」
私はお父様にぎゅっと抱きしめられ、そして言われた通りに自室に戻った。
どうすれば、お父様を助けられるだろう?
五歳児の自分に何ができるだろう?
たとえ前世の記憶があっても、子供の姿では何もできないということを、改めて痛感した……
◇
私はシンシア・ルビア。
現在、五歳。転生者だ。
恐らく、生まれた時から前世の記憶がある。
ただ、乳児期は赤ん坊の本能に引っ張られたのか、それとも肉体や脳が成長していないからか、その頃の記憶は朧げだ。
なので自分が転生者であることを自覚したのは、四歳頃のこと
だった。
そして、周囲の状況を理解したのは、つい最近。
だから、お父様の惨状に気付くのが遅れてしまった。
家族はお母様のヘザーとお父様のショーン、それに父親の違う姉のポーラ。
もっとも、私とお父様はお母様に家族認定はされていないので、戸籍上の家族というだけだ。
ルビア家は伯爵位であり、この国は条件はあるが女性でも爵位が継げる。
そして、一人娘だったヘザーが女伯爵としてこの家を継いだ。つまり最もこの家で権力があるのが、母親のヘザーなのだ。
そんなお母様には本命の殿方がおり、ポーラはその人との子供。お父様は爵位を継ぐために婿入りさせた政略結婚の相手。
本命の相手に会えない寂しさをショーンを使って紛らわせ、それでデキてしまったのが私だ。
その時のショーンは、ほぼ襲われたようなものなので、ヘザーとのそういう行為には、少々トラウマがあるというわけだ。
転生者とはいえ、何故ここまで夫婦の秘密を知っているのかといえば、前世で読んだことがあるからだからだ。
この世界は恐らく、前世で読んでいたウェブ漫画『リザンテラ〜土の中に咲く花〜』の世界、もしくはそれに酷似した世界だ。
というか、主人公とその家族の名前とお父様の境遇が同じという共通点が多すぎるので、多分そうなのだろうと思う。
ウェブ漫画『リザンテラ』は、ちょっぴり(?)ハードな恋愛漫画だ。
主人公は姉のポーラ。
シンシアは物語前半、学園編での敵役。
悪役令嬢といっていいポジションのキャラクターだった。
主な内容は、彼女自身や彼女の周囲で巻き起こる様々な愛憎劇。
ポーラ自身も酷い目に遭うが、それ以上に周囲の人たちが酷い目に遭う。
大抵は恋愛絡みで問題が起こり、横恋慕をして恋敵を亡き者にしたり、別れた元妻を無理やり閉じ込めたり、薬を使って無理矢理寝取ったりと、胸糞悪くなる展開が続く。
救いなのはやらかした人物が大抵、結果的には報いを受けることと、主人公のポーラが最終的には幸せになることくらいだろう。
ただ、ざまぁ要素は薄味だった。どっちかといえば胸糞要素の方が強い。
シンシアと主人公のこと以外は朧げだが、大体そんな話だったと思う。
そして、物語中で最初に酷い目に遭う描写されるのが、ポーラの義父でありシンシアの実父であるショーンだ。
ヘザーは、元々は優秀な女性だった。
立派な女伯爵になるための努力は欠かさず、貴族や優秀な平民が通う学園では、常に成績は上位。才女として名を残していた。
また、ヘザーの一族は光属性の魔法が得意という特徴があり、聖女を輩出したこともある。
ヘザーは聖女の力こそ持たなかったが、強力な治癒魔法を得意としていたので、女伯爵でなくても治癒師として重宝される人材だった。
当時の婚約者との仲も良好で、一目置かれる存在だった。
しかし、学園を卒業して二〜三年後。
女伯爵になるために奔走していたヘザーは、運命の相手と再会してしまう。
相手は、学園時代の同級生でもある男爵家の次男で、容姿の整った男性だった。
それまでのイケメン具合に大人の色気が加わり、より魅力的になった彼に、ヘザーはコロッと落ちてしまった。
そして、あっという間に男女の関係になり、ポーラを身籠もってしまう。それは、婚約者と結婚する半年前のことだった。
そして、才女ヘザーは、ここからさらに転がり堕ちていく。
当然、婚約はヘザー有責の破棄。
公爵家の二男だった元婚約者には、多額の慰謝料が支払われた。
しかし女性が爵位を継ぐ条件の一つが、夫もしくは確実に結婚予定の婚約者がいること。
このままでは、爵位が継げないと焦ったルビア伯爵家は、急いで相手を探した。
そして、白羽の矢が立てられたのが、ショーンだった。
その年、ショーンの実家の領地は、災害の影響でかなりの打撃を受けていた。
資金援助をする代わりに、ショーンは文字通りルビア伯爵家に身売り同然に婿入りさせられたのだ。
それぞれ、ヘザーは二十三歳、ショーンは十六歳の時だった。
当時、ショーンがまだ学生だったのと、ヘザーのお腹の中にはポーラがいたため、二人は書類上だけの夫婦となった。ショーンは学園を辞めずに済んだそうだ。
ポーラも生まれて、落ち着いてきた頃。
ショーンは長期休暇の度に、ルビア伯爵家の邸宅で過ごすことになった。
そして、最初の春の長期休暇の時。
本命と愛し合えない寂しさを埋めるため、ヘザーはショーンを襲ってしまう。
その際に、ヘザーは避妊薬を飲むのを怠ってしまった。
結果、ヘザーはシンシアを身籠ってしまう。
気づいた時には堕胎のできない時期であり、そもそも女伯爵が堕胎などあり得ない。
世間の目もあり、ヘザーは産むしかなかった。
成人しているとはいえ、七歳年下の男子学生との間に子供ができたことも、社交界ではちょっとした醜聞となった。
貴族であればこの歳の差も、在学中に婚姻を結ぶことも珍しくはない。それにより、学園を中退することも。
しかし、近年ではどんなに急ぎの婚姻でも、相手が学生なら卒業まで待つのが主流となっていた。
これは学園生活が、社交界の勉強の一環と捉えられたのと、伴侶が学生なら学びの機会を与えることがスマートだ、という貴族特有の考え方が流行っているからだ。
当然、婚約者が在学中は子供が出来る行為は控えることになる。
せっかく伴侶の学園生活を許したのに、身籠もらせてしまったら結局長期的に休むこととなるからね。
我慢ができなかったのかと、スマートではないと、社交界で笑われるワケだ。それなら最初から中退させればいいだろうと。
これは、女性が嫁入りした場合の話だが、性別が逆転しても適応される。
だって女性でも爵位が継げるから。
なのでそれまでのやらかしもあり、ヘザーは社交界で笑い者になったのだ。
まあ、ヘザーが嫁入りする側なら、そこまで醜聞にはならなかったとも思うけどね。
ちなみに、この考え方の元になったのは先々代の王弟で、婚約者の女性とは十歳差だったらしい。
あと、ショーンの見た目も、ヘザーが非難される要因だった。
当時、というか今もだけど、ショーンは耳に掛かる位のミルクティー色の髪と、マゼンダ色の瞳を持つ、線の細い美少女のような見た目をしている。
背は女性としては高いが、男性としては少し低めなので、男らしさとは真逆の容姿といえるだろう。
多分、女装したら喪女だった前世の私よりも、美少女だ。男の娘ってやつかも?
つまり、ショーンは見た目が、儚げな美少女──じゃなくて、儚げな美少年なのだ。……今は青年だけど。
それで、社交界ではヘザーが我慢できなかった、彼女が幼気な少年を襲った、面白おかしく噂されてしまったのだった。
まあ、実際にそうだし。
ショーンの容姿がもっと筋骨隆々で男らしかったら、ここまで言われなかったのだろうけどね。
そういったことが積み重なり、ヘザーがショーンを虐げる要因となった。
ほぼ、ヘザーの完全自業自得だけど。
本命以外の子供を産む気のなかったヘザーは、シンシアが生まれても彼女を可愛がることも育てることもせず、世話は年老いた侍女に丸投げされた。
ショーンも率先して私の面倒を見てはくれたが、私が生まれた頃は学業とルビア伯爵家の婿となるための勉強で忙しく、なかなか側にはいられなかった。
これはまあ、これは仕方がないだろう。
そうして、ショーンが学園を卒業するとルビア伯爵家の邸宅に一緒に住むことになった。
──そこから、ショーンの本格的な地獄が始まった。
昼間は仕事でこき使われ、夜はベッドで嫐られる。
そのうち、ヘザーは本命の男を従者として迎え入れ、ヘザーが彼と一緒の時間を過ごすために仕事はすべて押し付けるようになる。
まあ、今でも仕事のほとんどをショーンに押し付けてはいるんだけど。
そして、ヘザーの本命彼氏は戯れにショーンを襲う。すなわち、男同士のアレだ。
それに嫉妬したヘザーはショーンに、酷い虐待をする。
あ、こちらは暴力ね。
その結果、過労と暴力によって、ショーンは死亡してしまう。
これが、シンシアが七歳の頃の出来事で、シンシアが闇堕ちするきっかけとなるのだ。
ちなみに、このエピソードは一話よりも前の話なので、作中では文章とイメージイラストで説明されるだけで終わる。
物語自体は、ポーラが王都にある貴族と特別な技能を持った平民が通う学園に入学するところから始まる。
シンシアは父ショーンのこともあり、ポーラを虐める。学園では、彼女を陥れるために暗躍する。
なお、本命の彼と再婚したヘザーは、愛し合うことに夢中で、ポーラのことも放置する。
むしろ何故か、手のひらを返してシンシアの方を優遇し出すのだ。
うん。ヘザー最悪じゃね?
治癒が得意なのにショーン死なせるとか、その方が都合がいいから見殺しにしたんじゃん。
ウェブ漫画のコメント欄でも、ヘザーへの批判はかなり多かった。
ポーラの両親とシンシアは、彼女が学園を卒業する前に断罪される。
シンシアは修道院へ送られ、ポーラの両親は領地に押し込められた上、生涯王都への出入りを禁じられることになる。
学園編が終わると、ポーラは学園で支えてくれていた婚約者と結婚する。
しかし、あんなに優しかった婚約者には彼女の知らなかった恋人がいて、ポーラとの結婚はルビア伯爵家を乗っ取るためのものだった。
ポーラは白い結婚を強いられ、屋敷の使用人はすべて夫に従順な者と入れ替えられた。
誰も味方のいなくなった生家で、夫とその本命の恋人に虐げられる日々。
そんな状況を打破し、本当の運命の相手と結ばれて物語は終わる。
ポーラの物語はそんな感じ。
それに他の登場人物のいざこざがあって、ポーラがその解決に関わっていくみたいな感じだな。
ただ、ルビア伯爵家以外の登場キャラクターは、ほとんど覚えていない。なんかそういうエピソードがあったかも? くらいにしか覚えていない。
まあ、自分とお父様が助かるならそれでいいし、十分だろう。
ヘザーやポーラのことはどうでもいい。
勝手に幸せになるなり、不幸になるなりすればいい。
問題は、このままではお父様が、二年後には死んでしまうということだ。
しかも、現在進行形で酷い目に遭っている。
正直、なにも非がない人物が理不尽に虐げられた挙句、死ぬとか放置するわけにはいかない。
唯一、私を愛してくれている人なのだから、尚更だ。
ちなみに、生まれてから育ててくれた高齢の侍女は、私が四歳の頃に体を壊して辞職した。
前世では助けられなかったので今世ではどうしても大切な人を助けたいと思う。
果たして五歳の私に、お父様を助けることができるだろうか。……?
長編に挑戦してみました!
よろしくオナシャス!!




