第八十話 騎士たち
一通り(例の剣以外の)武具を点検して、必要そうなものを腰のウエストポーチみたいなやつに入れて、俺の支度は十分ほどで終わった。持て余した時間をなるべく休むべきかとも思ったが、疲れは感じない。意識が途絶えてるうちに体も回復したのか、それともとうとう疲れさえ感じなくなったのか。いずれにせよ頭も冴えていて、仮眠がとれる気はしなかった。
俺は手持ち無沙汰になって、少し周囲をぶらつくことにした。張られているという結界は目に見えなかったが、この先に行くとまずいんだろうと思われる場所にはイクシビエドの配下なのだろう見知らぬ魔術師が数人、囲むように立っていて、どこに境界があるかはわかりやすかった。
一人、坊主頭の(たぶん)女魔術師が、こちらをじっと見ていた。
「あの……何か?」
「いえ。人間の顔をしているのだな、と」
異世界人と知っているのか、まるで珍獣扱いだ。俺があからさまに顔をしかめると、まるで悪びれずニッコリと笑った。魔術師ってのは、やっぱり理解できない。
理解できないけど……殺したいとまでは思わない。ムカつくけど、この世界から消したいとも思わない。
――冬子はそうじゃなかった。そして多分、この世界に生きてる人間の中には、魔術師を一人残らず殺したいほど憎んでる人間も大勢いるんだろう。憎み合って、殺し合うくらいなら、別世界で離れてあるべきだと思うのは間違ってないのかもしれない。
だけど、冬子はやり方を間違えてる。相手がどうなるか考慮しない、死んでも構わないってんならそれは俺がやったことと同じ、ただの殺人だ。偉そうに説教垂れる資格が俺にないのはわかってる。だからこそ、もう言葉は使わない。
俺は騎士のやり方であいつを止める。暴力で、力づくで。それしかないのなら、俺はやる。そういう人間だから……そういうやり方でしか、兄らしいことなんかできない獣だから。
「トーゴ」
振り向くと、ヴィバリーが手の平大の袋を俺の方に放り投げてきた。かろうじて受け止めると、袋の中でがしゃがしゃと小物がぶつかりあう音がした。
「いくつか魔道具が入ってる。イクシビエドからの支援だそうよ。世界を救うにはどう考えても不足だけど……道具の管理は黒の役目。あなたが持っていて」
「……わかった。使い方は?」
「さあ。ざっと見たけど、今役立ちそうなものは特になかったわ。ご丁寧に説明書きが入ってるから、気になるなら自分で読んで」
「なんか、投げやりだな……」
「道具はあまり信用してないの。結局は魔術の産物だもの。自分たちの手足の方がよほど信用できるわ」
まあ、こいつら三人ぐらい機敏に動けるならそうも思うか。俺の手足はそれほど当てにならないが。
「今回も荷物持ち、か」
「伝統的に魔道具の管理は『黒』がするものよ。黒はいつも切り札だから。もっとも、魔道具を所有しているような騎士団なんて稀だけど」
伝統――その言葉を聞いて、俺はいつだったかの話を思い出した。
「ヴィバリー。黒の騎士は、次の白になるって聞いた。それって本当か?」
「……そういう慣例ではあるわね。なりたいの?」
「いや、そういうわけじゃ……」
ただ確かめてみたかったのだ。ヴィバリーが俺をそんなに買っているのかどうか。いつか強くなれたら、それぐらいの騎士になれるって、思ってくれてたのかどうか――俺はここにいてよかったのかどうか。
「あなたにはまだ無理よ。人の命を背負うのは、もっとくたびれて、人生にうんざりした頃でいいわ」
「なんだそりゃ……」
「まだ子供ってことよ。本気なら十年はかかるでしょうね」
否定はできなかった。確かにまだ高校生、この世界のこともさっぱりわかってない。それに何より、俺はずっと自分のことで精一杯だ。誰かの命、生活、人生をどうこうできる器だなんてとても言えない。
「……トーゴ。私、母を殺そうと思ったことがあるわ」
突然、脈絡もなくヴィバリーがそう言った。俺が何も言えずにいると、彼女は空を見上げて言葉を続けた。
「子供の頃にね。母はあまりいい人間じゃなかった。なんて言うか……魔術師だったのよ」
「え?」
「はぐれ魔術師。彼女は平均的な魔術師以上に、倫理のタガが外れてた。当時すでに何人かの人間や魔術師を死なせてたわ。でも、私のことは少なくとも殺さなかった。愛してはいなかったと思うけど、興味があったんでしょうね。自分の体から出てきた肉塊がどう育つのか」
あっけにとられる俺をよそに、淡々と過去を話すヴィバリーの目は暗く、重く、じっと空の一点を見据えていた。
「だから油断している時を狙えば仕留められると思ったの。それがみんなのためになるって……でも、できなかった。結局、私は彼女を愛してしまったから。その結果、もっと大勢の人間が彼女の手で死ぬことになった」
ようやく俺にも、少しずつ話の意味が伝わってきた。これは多分……世界のために、周りのために家族を殺すことについての話なのだ。
「今でもあの時、あの人を殺せていたらどうなったかって考えるわ。もしも実行できていたら、私の生き方はまるで違っていたかもしれない。罪を背負う代わりに、きっと、もっと自由に……」
ヴィバリーは言葉を切って、首を左右に振った。
「駄目ね。自分の話になっちゃう。要するに、私は……」
少し躊躇ってから、息を大きく吸って先を続ける。
「あなたの選択を尊重する。あなたがそう決めて、そのことでこれから一生苦しむのだとしたら、少なくとも私は……私たちは、生活の面倒くらい見させてもらうわ。私たちを生かしてくれたお礼に。それだけしかできないのかって、自分でも思うけど……他に何が心の埋め草になるのか、私にはわからないから」
つまり一連の話はヴィバリーなりの気遣いだったのだろう。妹を殺して世界を救おうとする俺への。
いくらなんでも会話が下手すぎるけど。……本当にこういう話、苦手なんだろうな。
「欲しいものがあれば言って。仕事が終わった後でいいわ。イクシビエドからたんまり報酬をせしめておくから」
「別にいいって。今まで通り、ちゃんと働くよ。一人前まで十年はかかるんだろ」
「それはもしもの話で――」
「いいんだ、本当に。欲しいものはもう、もらったみたいなもんだから」
ヴィバリーたちは俺に居場所をくれた。それだけで救われたんだ。俺なりの感謝の言葉だった。
だがその答えに、ヴィバリーは言いようのない顔で唇を噛んだ。喜びそうになる自分を咎めているような、苦々しさのにじんだ表情だった。
「あなたは……子供だわ、やっぱり」
ヴィバリーは背を向けて、行ってしまった。
それから遅れて、俺も自分の言ったことのまずさに気づいた。冬子を殺さずに終えられるってことは俺しか知らない。俺がヴィバリーたちに好意や感謝を伝えれば伝えるほど、それが妹を殺す理由だと言ってるようなものだ。二つを天秤にかけて、ヴィバリーたちをとった。つまり、妹を殺すのは「お前のせいだ」と。
……話の下手さじゃ、俺も人のことは言えない。
それから、俺は迷いながらアンナのもとへ向かった。
彼女には言わなきゃいけないことがある。時間はない。今、伝えるしかない。
アンナは結界の端近くで石畳の地面に座りこんで、険しい顔で空を見ていた。右腕で大事そうに大鎚ビリーを抱えて、世界の終わりを眺めていた。
「……アンナ」
「座れよ」
アンナは少し横にずれて、隣を空けた。俺はちょこんと腰掛けて、同じように空を見た。
「弟の話、前にしたよな」
「あ……うん」
魔術師の作った怪物、いわゆる魔獣に殺されたというアンナの弟。名前はたぶんビリーだと思ってるけど、まだ本人の口からは聞いてない。子供だったアンナは目の前で食われる弟を助けられなかった。
「あたしはもし弟が生き返るなら、引き換えになんだってする。誰でも殺せる。お前も、ヴィバリーも……たぶんユージーンも」
ぎょっとしてアンナの顔を見る。アンナは見たことないような冷たい、固い顔でまっすぐ空を見ていた。
「弟がどんな子供だったか、正直ろくに覚えちゃいないんだ。ほんの数年しか生きなかった。赤ん坊の顔なんて大体一緒だろ。小さくって、おもちゃみたいな生き物だった。そんなにたくさん遊んでやったわけでもないし。たとえ生きてたって、どんな大人になったかわからない。このあたしの弟だよ。ろくでなしの、ごくつぶしに育ったかもしれない。死んでた方がましだと思ってたかもしれない」
アンナは膝の上で重ねた両手をきつく握って、その上に額を乗せた。祈るように。許しを乞うように。
「でも……それでもさ」
静寂が流れた。長い間、アンナはじっと黙っていた。
俺も同じ時間をかけて、返せる言葉を考えた。
「ごめん。俺は……アンナみたいにはあいつのことが好きじゃなかった」
口にすると、胃がずしりと重くなるのを感じた。痛覚があればきっと死ぬほど痛かっただろう。
「……そうか。話はできたのか?」
「うん。でも、ろくに通じなかった。あいつは……俺は……あいつと噛み合わないんだ、もう長いこと。嫌われてるし、俺も嫌ってた」
「そうか……」
アンナはため息をついて、抱えた大鎚ビリーを撫でた。
「あたしはあんたのために命を賭けると誓った。妹殺しがあんたの望みだって言うなら、たとえあんたのことをクソ馬鹿野郎だと思ってようと、殺したいほど憎んでようと、それを助けてやる。だから、その点は安心していいよ」
その言葉は、アンナがはっきりと線を引いたように聞こえた。
俺とは相容れないってことを。庇護する弟分じゃなく、誓いの言葉で縛られた「契約相手」だっていう風に。
「……憎んでる? 俺のこと」
俺がそう口にした途端、また殴りつけそうな勢いでアンナがこっちを振り向いた。
「んなわけないだろ、馬鹿! あたしは……」
それから噛みしめるように首を横に振って、また同じ、頑なな姿勢に戻った。
「あんたに辛い顔させたくないだけだよ。今みたいにさ。でも……困ったことに何もできることがない。あたしはただの戦士で、ぶん殴ったり殺したりすることしかできない。説得どころか、慰めの言葉だって浮かびゃしないんだ」
その気持ちだけで、俺がどれだけ救われてるか。伝えたいけど、ヴィバリーみたいにかえって傷つけてしまうかもしれないから、今は言わずにおく。
「魔術師みたいに、何もかも思い通りにできたらいいのにな。あんたの妹も、そんな気分なのかな……」
言葉が途切れ、落ち着いた空気が流れる。
――今だ。今言わないと、もう言えなくなる。
「アンナ。は、話したいことが……あ……るんだ」
切り出そうとした途端。舌が絡まって、喉がきゅっと締まった。
俺の意志なんかと関係なく、口が重く、固くなる。目がかっと熱くなる。体が拒否してる。言いたくない。言ったら終わる。全部失う。全身がこわばって、汗が吹き出す。
「……お…………」
「……どうした? トーゴ」
心配そうにこちらを覗き込む、アンナの青い目。その目が優しければ優しいほど、俺は怖くなって何も言えなくなっていた。
いざという時になって。俺は自分がどれだけ意気地なしかを思い知らされた。
「言えない……言えない、ちくしょう! なんで……俺……」
爪が食い込むほど両拳を握って、自分の額に叩きつける。何度も、何度も。割れそうなほど。割れてしまえばいいと思った。悔しくて、みじめで、情けなかった。
頭をかきむしろうとした時、アンナの手が俺の腕をつかんで止めた。そうして初めて、手が血だらけなのに気付いた。
「おい……っ!」
「……俺は人殺しなんだ。好かれちゃいけないんだ。俺は駄目なんだ、俺は……」
核心だけに触れられないまま。口から余計な言葉がぼろぼろこぼれ出した。
俺が冬子を殺したんだ。この世界にあいつが来て、人間を消し去ろうとしてるのも、全部俺のせいなんだ。感謝なんかされちゃいけない。全部、俺がやったんだ。
「全部、全部……俺が……っく……」
俺は嗚咽を漏らしながら、必死に顔を歪めて涙をこらえた。泣いたら慰められるだろう。俺を可哀想なやつだと思うだろう。そうじゃない、そうじゃないんだ……そうなっては駄目なんだ。これ以上、自分のための涙を流しては駄目だ。アンナに俺を哀れませてはいけない。
「トーゴ!」
アンナは平手で俺の頬を軽く張った。痛みはないが、その音でハッとして俺は口をつぐんだ。
――今、俺は何を口走った? 断片的な言葉で、どこまで知られた?
「落ち着け。深呼吸しろ。息を吸って、息を吐いて」
言われるままに、深呼吸して徐々に頭を落ち着ける。軽いパニック状態になっていたらしい。冬子が学校で一度、こんな風になったって聞いた。急激なストレスがどうとかって。俺は……真剣に受け止めちゃいなかった。今になって、そういうのが全部返ってきやがる。
「……ごめん。大丈夫……落ち着いた」
頭は落ち着いたが、胸はざわついたままだった。俺はアンナに、真実を伝えられない。
「あたしに何か言いたかったんだな?」
アンナの問いに、俺は震えながらうなづいた。
これは俺の気持ちの問題だけじゃない。キスティニーは真実を知ってる。あいつは好きな時に情報を使うと言ってた。面白いことに使うって……今、敵に回ったこの状況で、あいつは俺たちをかき回しに来るに決まってる。
土壇場でアンナがもし俺と冬子のことを知ったらどうなる? アンナは俺に失望する。うぬぼれかもしれないが、きっと動揺する。カナリヤやローエングリンを相手にして、一瞬でも隙が生まれればそれは死に繋がる。それだけは絶対に避けなきゃならない。
「アンナ。……ひとつだけ」
深呼吸して、どうにか口から出せる言葉を絞り出す。
「俺のことを信じないでくれ」
俺が何者であっても、がっかりしないでくれ。最初から俺はクズだと思っていてくれ。
そうすれば……失望せずに済むから。
「……わかった」
アンナは少しの間、俺の言葉を反芻するように黙ったあと、固い表情でうなづいた。
この一言でどれだけのことが伝わったかはわからない。でも何かあると思ってくれれば、それだけでもきっと意味がある。その時のために覚悟しておいてくれれば。
「また、後でな」
それだけ言ってアンナは立ち去っていった。
少しの間心を落ち着けてから、俺はユージーンを探しにまた歩いた。
彼女はイクシビエドの部下が運んできたらしい物資の箱に乗って、自分の弓をいじっていた。冬子の力で切られた弦を張り直したらしく、月光にきらめく真新しい銀の糸を引っ張っては戻し、力具合を確かめているようだ。
「ユージーン」
声を掛けると、空に向けて弓をいっぱいに引いたままこちらに顔を向けた。相変わらず何も言わない。
俺もはっきり話したいことがあったわけじゃないので、切り出し方に困る。ただ、もうゆっくり話せるのが最後かもしれないから、少しは顔を突き合わせておきたかっただけだ。
「その……平気か? 急に色々起こって」
ユージーンはフイと顔を逸らして、結界の先に広がる廃墟の城を見た。
その目は挑む狩人の目だった。冬子の魔術を恐れて、ヴィバリーに「逃げよう」なんて提案した時とは違う。もう覚悟を決めたんだ。相手が何者であろうと、生き延びるために、守るために戦うと。
「……平気みたいだな」
俺がそう言うと、ユージーンは首を横に振った。
「ユージーンは」
他ならぬユージーンがそう吐き出すのを聞いて、俺は一瞬ぎょっとする。一人称も定かじゃない彼女が、自分の名前を、そんな風に口にするのを初めて聞いたからだ。
「ユージーンは、弱い。ユージーンは、怖い。みんなが死んだら、生きてゆけない。生きる、理由が、ないから」
その言葉は胸に突き刺さるみたいだった。コララディの夜の中で、俺は確かに聞いた。ヴィバリーとアンナを失ったユージーンの悲痛な叫びを。全てを失った彼女の空虚な嗚咽を。だからそれが100%の真実だとわかった。
「だから、だから、」
ユージーンは唇を噛んで、言葉を探した。目が左右に泳いで、たっぷり五秒くらいの沈黙を経てから、彼女は見つけた言葉をオレに向けて絞り出す。
「一緒にいる。一緒に、汚れて……」
それきり、ユージーンは言いたいことは全部言いきったとばかりに、こくりうなづいて、また弓を引き始めた。それは気を紛らわすためのルーチンだったのかもしれない。内心の弱さ、怖さを封じ込めて、狩人に戻るための。
「うん。そうだな、みんな死なないように……俺も頑張るから」
冬子は殺さない。でも――必ず、確実に、あいつを止める。何を失おうと。
俺は改めて覚悟を決めて、ユージーンの肩をぽんと叩いた。ユージーンはふとこちらを見て悲しげな顔をした。
「……ごめん、なさい」
俺は一瞬、なぜ謝るのかわからなくて黙り込んだ。
それからこいつが、俺の妹を殺すことを気にして、俺に謝っているんだと気づいて、ぐさりと胸を刺された気がした。ヴィバリーもアンナもそれぞれのやり方で俺に気を使ってくれたけど。こんな風にまっすぐ言われることが、一番つらかった。
――さっきのヴィバリーはこんな気分だっただろうか。
「いいんだ。俺に謝んなくていいんだよ」
自分と、自分の大事な人たちを守ろうとしてるユージーンを、責めることなんて誰にもできないだろう。
ユージーンを置いて離れた俺は、残った時間でヴィバリーに渡された魔道具一式を調べることにした。だが、考えてみれば俺にはこの世界の文字は読めない。説明書きの内容なんてろくにわかりゃしない。何枚か下手な絵で解説が描いてあって、どうやら敵に投げるらしい品があるのは伝わったが、それが限界だった。
結局さっさと袋ごと懐にしまって、あとはぼうっと空を見て過ごした。呑み込まれそうに見えた巨大な魔法陣も、そろそろだんだん見慣れてきた。子供の頃から、なんとなく夜空は怖かった。無限に続く穴ぼこだ。踏ん張ってないと落ちてしまうんじゃないかって。
でも、今はそれほど落ちそうな気はしなかった。落ちそうになったら、きっと三人の誰かが俺の足を引っ張り戻してくれるだろう。冬寂騎士団が四人に戻っても、お互いやっぱり全てをわかりあえたわけじゃない。だけど、それでも――きっと。