第七十八話 魔術師殺し
そうして、七人の魔導師全員の立場が出揃った。
冬子の支持者はただ一人、トランカラーシだけ。中立なのがアウラ、ポトキッテ、ウーバリーの三人。そして冬子を止める意志を表明したのが、イクシビエド、ネリマルノン、アドバンチェリの三人。
「では、この集まりはこれでお開きとしよう。やれやれ、ずいぶん長くかかってしまった」
「まあ! わたくしが悪いと暗に仰っているのね、先生」
「そうだ、君が悪い。だが、その分だけ相互理解は進んだようにも思う。今まで知らない各人の一面を見せてもらった気がするよ」
芝居がかった調子でじゃれ合う、イクシビエドとアウラ。しかし全てが演技であるアウラと違って、イクシビエドはそれが自然体のようだ。こいつの吐く言葉は全部、社交性ではなく単なる知的好奇心からきているのだろう。
「アウラ、幕を」
――そう、イクシビエドが口にした瞬間。周囲は再び漆黒の闇に包まれていた。
魔導師たちが居並ぶ円卓は消え去り、残るは俺とイクシビエドだけ。
「さて。ここでようやく、君が話の中心になるわけだ」
「……俺が? 中心?」
今まで超人たちの狂った会話を場違いに聞いていただけの凡人に、何をしろというのか。
「そうだ。私たちは君の妹を何らかの形で排除しなければならない。正確には、彼女の魔術を。方法も取りうる手段も限られている。なぜなら、我々の世界に属するものは彼女の法から逃れることができないからだ」
暗闇に上から差すスポットライトのような光が、イクシビエドの顔をはっきりと浮かび上がらせた。
今まで年齢不詳だったその顔は、今はただ疲れきってやつれた初老の男に見えた。
「しかし君は、君だけは、この世界に属さない。気づいていたかね? 君の存在や行動は常に、彼女の意志に反していたことを。フユコは君を殺そうとし、君は生き延びた。フユコは君を遠ざけようとし、君は彼女に最も近づいた。君は、彼女の因果術に縛られていないのだ」
そう言われて、俺はこれまでの出来事を反芻した。
単に、冬子の魔術の力がまだ弱いんだと思っていた。キスティニーもあいつの力の影響力は未知数だと言っていた。でも、確かに魔導師たちはあいつがすでに万能であるような話し方だった。
ようやく俺は、イクシビエドの望みがわかった。
――そうか。俺はこのために、ここまで送り込まれたのか。
「俺に……妹を殺せって? また?」
イクシビエドは沈黙した。
だが、その顔に憂いや気遣い、あるいは恥のようなものは一切なかった。
「聞いてたんだろ? 俺とキスティニーの話も。それでも、俺にやらせたいのか?」
俺の言葉に、イクシビエドはようやく表情を変えた。眉を寄せただけの作り物の罪悪感。
そしてその顔で、乾ききった言葉で答えた。
「残念ながら、私は君の内面の葛藤にはあまり興味がないのだ。考えにあるのは、君に何ができて、何ができないかという純然たる事実だけ」
……そうだろうとも。何を期待してたんだ、俺は。
「そして、君は彼女を止められる。ただ、君一人だけが」
俺が特別な存在なんだと、おだてるような言葉。でも、そんなおべんちゃらが使える生き物じゃないのはわかってる。本当にそれが事実なんだ。俺にしかできない、俺がやるしかないこと。
「こんな言葉がある。『人は答えを選び、魔術師は問いを作る』――魔術師に振り回される人間たちの立場を揶揄する言い回しだが、この一文にはそれ以上の示唆が含まれている。つまり、人間と魔術師のありようの違いだ」
イクシビエドは俺に授業でもするような口調で言った。
「今、この問いは私が作り、君に強いているものだ。しかし、そこから選びとることは、君たち魔術持たぬ者の特権と言える。我々のように人であることを捨てた者は、常に我々自身でしかいられない。生まれ持った性質のままに、終わりまで進んでゆくのだ。たった一つの道を、迷うこともなく」
冬子は確かにいつも自分の望みを知っていた。それが得られないとわかると、世界を遮断した。
俺はいつも迷っていた。この壺の中に来てからも、その前も。
「君は迷い、選ぶことができる。自分のありようを。そして、世界のありようを。じっくりと考えたまえ。時間はたっぷりある」
闇の中、小さなスポットライトに照らされて考える。
俺はどうしたいのだろう。誰を殺し、誰を生かしたいのだろう。選んで――選んだ先に何を求めるのか。
ヴィバリーたちのいる世界。冬子のいる世界。冬子を殺して生きるのか。冬子を生かして、他の全てを殺すのか。手前勝手な贖罪のために無数の人間を道連れにして死ぬのか。ろくに知らない異世界の連中を生かすために、何の罪もなかった妹を二度殺すのか。
……俺はどんな人間になりたいのだろう。
「イクシビエド」
俺は虚空に向かって呼びかけた。
「俺は……冬子を殺さずに、この世界を救いたい」
俺はおとぎ話の勇者みたいになれない。俺はただの高校生で、ただの汚い人殺しだ。
――それでも。最善の道を探したい。
祈るように、踏みしめて。少しでもましな道を選びたい。
俺はただ、今より少しでもましな人間になりたいんだ。多分それが、今でも俺が生きてる理由だから。
「方法がないなら、探す。お前らの手も借りる。それぐらいはやってくれるんだろ」
俺の答えに、イクシビエドは少しも驚かなかった。笑いもしなかった。
「その答えも予想はしていた。方法もすでに用意している……しかし、実行はより困難になるだろう。君は冬子の影響を受けないが、それ以外の魔術に対してはただの人間に過ぎないのだから」
「わかってる……」
本当にわかってるわけじゃない。無数の人間の命背負って、さらにリスクを負うなんてどれだけ馬鹿げてるか。
わかってしまったら、足がすくんで動けなくなる。だから、わかったふりをして進む。
「アウラ。あれを」
イクシビエドが声をかけると、どこからともなく一振りの剣が現れた。
まるで最初からそこにあったように。それは、俺の足下に置かれていた。
ほとんど装飾もなく簡素で、無骨で、しかしどこか禍々しい。
イクシビエドは嫌悪に近い表情でそれを見た。
「これは我々、魔術師が手にすることのできないものだ。剣の形をしているが、重要なのはその形ではない。手に取ってみたまえ」
言われるまま、その剣を拾い上げる。大きさは街で買った剣とそう変わらない。
重さはやや軽く、俺でも十分に振れそうだった。
「『魔術師殺し』と呼ばれている。原初の魔術師のうち一人が、魔術を捨て人と成るためにひと抱えの鉱石を創造した。触れた者から魔術を奪い去る、禁忌の石だ」
「魔術師殺し……」
見た目と同じ、工夫も何もない単純な名前。だがその単純さが、口にするとかえって生々しく思えた。
「彼女が人間として年老い死んだ後、残された石は魔術師たちによって世界の最も底近い地盤の中に封印された。しかし、ネリマルノンが生み出したドウォフ族によって石は掘り出され、剣として鍛えられた。いかなる魔女も、いかなる魔導師も抗し得ない武器。彼らは主人として君臨したネリマルノンをそれで誅しようとしたのだ」
ネリマルノン――さっきまでここにいた、泥人間の魔女。性格的に敵が多そうだったが、自分の作った種族にまで嫌われてたのか。
「もちろん、その試みは失敗した。ドウォフは種族ごと滅び、剣は私たち当代の魔導師が管理するところとなった。とはいえ、その剣は我々全ての天敵だ。あらゆる魔術を拒否し、破壊することが出来ない。最終手段として、剣はアウラの幻影城に収められた。夢の中にある限り、その剣は誰を害することもできないからだ」
「……これで冬子の体に触れれば、それだけであいつの魔術は消える」
俺は確かめるように、イクシビエドの目を見て言った。
「そうだ。これを君に託すのは大きな賭けになる。だが、結局のところ手を下せるのは君しかいない。君の望みを最大限に叶えることで協力を得られるのなら、出し惜しみはすまい」
あいつを刺さずに。あいつを殺さずに――
ヴィバリーたちを救えるのか。
「本当に……」
「私は嘘をつかない。多くの魔術師と同じように、嘘をつくという機能をすでに失ったからだ」
俺は深呼吸して、握った剣を腰の鞘に収めた。今まで腰に刺さっていた剣はいつの間にか消え、『魔術師殺し』は同じ鞘にするりと収まった。
「決めたのなら、行くがいい。ただし、目が覚めたら剣のことはなるべく口にしない方がいいだろう。この会話は私とアウラと君しか聞いていない。現実で声に出せば、キスティニーが聞きつけフユコも知るところとなる。警戒されないに越したことはない」
「……わかった」
俺はイクシビエドに背を向けて、頭上から差す光の外へ歩き出した。
闇の中、何も見えなくなった頃にようやく、目が覚めた。