56 きょうだい <ギフト:九藤朋さんから>
<56話あらすじ>
担任から語られた噂の真相は、大ごとになったのが不思議なほど些細な出来事だった。
深町がさとしを「なるみちゃん」と呼ぶ理由を探る南朋と百瀬は、高木家から姿を消した黒い仔ネコの行方に気がつく。
*次回からは四章。8/6連載開始予定です。
「笹森。まさにその興味が度重なる通報や消えない噂の原因となったんだ。高木くんが欲しがってたのは裏起毛のパーカーとキルティングの巻きスカート。ズボンの上から巻いてボタンで止められるものだ。階段で待っているのが寒かったんだろう。だがそれが、一階の彼女たちが高木くんや深町を洗脳し、よからぬ世界へ引き込もうとしている証拠とされた」
「アホやなあ。そんな寒いんやったら素直に部屋でおりゃええのに」
担任の説明を聞いた虎之助が素でぼやいた。
女性の部屋で着替えていたのに加え、もらったのが巻きスカートというのが元々の偏見を真実らしく押し広げてしまったのか。
さとしを非難されたと思ったのだろう深町が、彼を庇った。
「なるみちゃんは、いい子でいればすぐに帰ってくるって言われてたんだよ。お母さんに」
お母さんに。
机に伏せていた百瀬がぱっと顔をあげる。
さとしをひとり家に置いて行ってしまったお母さんに。
祐樹の話した誰もいない高木家の状況が目に浮かんだ。
担任は深町の発言には触れず、苦い顔で事態の結末を話した。
「警察が深町を家まで送り届けて事情を話すと、深町の母親は一階の女性たちの家へ謝罪に向かったそうだ。翌日から高木くんたちは口さがない噂の的となった。今と同じような憶測混じりの酷い噂だ。そのせいで女性と高木くんのお祖父さんとはだいぶ揉めたようだ」
深町は驚いたように目を丸くした。
「知らなかった。あれから私はアパートに二度と行かない約束をしてたから。学校も休むように言われて、いつの間にか宮下中へ通うことに決まっていた。だから土曜日に体育館で見るまで、なるみちゃんにはずーっと会ってなかったんだ」
公園で会った小学生が深町を指し有名人だと言ったこと。
土曜日、親しげに振る舞う深町に対し、さとしが素知らぬふりを通していたこと。
頭に浮かぶ様々なシーンがパズルのようにはまっていった。
*
担任が教室を閉めると薙刀部へ向かった高橋や、徒歩通学の虎之助と別れ、俺と百瀬と深町の三人で宮下駅へ向かった。
次々に話題を振って喋り倒してくれる虎之助がいなくなると、無言の時間に圧されてしまう。
口下手な俺にとって虎之介は貴重な存在だ。
あの後、担任から二組の連中にはこの無責任な噂が何を及ぼすか、謝罪の前に噂を消火することが本当の責任の取り方ではないかと話していると聞いた。
正直多部たちの受け止め方は浅く「これくらいよくあることだ」「自分は流されただけ」「ノリに逆らえなかった」など、未だ自分を守る気持ちが先行している状況らしい。
そんな認識だとわかっていてよく謝罪の場を持とうとなどと考えられたものだ。
人を舐めているとしか思えない。話を進めた先生たちに対しても怒りが湧く。
高橋が、怖くてもはっきりノーと言える子でよかった。押し切られないで本当に良かった。
ふわふわした足取りで歩く深町の小さな背中を眺めながら、しみじみ思う。
宮下駅の改札を抜け、階段を上り下りして綾川駅行きのホームに着くと、百瀬は肩で息をしながら切り出した。
運動部のはずなのに相変わらず虚弱だ。
「あのさ、深町さん。ひとつだけ聞いていい? なんで、さとしのことをなるみちゃんって呼ぶの」
いきなり核心をついた質問だ。
深町は珍しく困ったように眉を下げた。
「それだけは話せないんだ。昨日、先生と約束したから」
「じゃあ、質問を変える。それ、さとしのお姉さんの名前だって、知ってた?」
アナウンスが入り、電車がホームへ入ってくる。
百瀬は風に膨らんだ髪を抑えた。
彼より長いはずの深町はなすがまま髪を風に躍らせて黙っている。
扉が開くと深町は無言のまま電車に乗り込み、奥の扉の手すりに掴まった。
正面で吊り革を掴む百瀬を、まっすぐ見つめる。
「知ってたよ。お姉さんはお母さんと一緒にいるんだ」
「そう」
深町が答えると同時に電車が動き出す。
自分で聞いたくせに、百瀬は急に興味を失ったかのように座席の方へ目を逸らし、そっけない返事をした。
話は終わりだと判断したらしく、深町は窓の方へと向きを変え、大きく開いた手のひらをガラス部分に張り付ける。
つまり、アパートでさとしはお祖父さんと二人暮らし。
成美さんと母親は、本当にさとしの前から消えてしまったんだ。
深町はそうとわかっていて、どうしてさとしのことを「なるみちゃん」などと呼んでいるのだろう。
俺は隣に立つ百瀬の横顔をじっと覗き込んだ。
「ももちゃん」
「…………は? なに南朋。喧嘩売ってんの」
ふと思いついてクラスメイトが呼ぶように百瀬をチャン付けで呼んでみた。
百瀬は上目遣いにこちらを睨みつけ、拗ねたように唇を尖らせる。
「ごめん。ちょっと言ってみただけ」
「なんだよ、それ」
尖った肘で脇腹を突いてくるのが地味に痛い。
嫌がっている百瀬には気の毒だけど、揶揄う側の気持ちもわからなくはない。
みんな怒っても怖くない百瀬の「かわいい」や「面白い」に収まる程度の反応を見て、満足するんだ。
予想を超えた反応を見せると「そんなに怒らなくても」「冗談なのに」などと言われてしまうのだから、百瀬にとっては厄介だろうが。
「いや、なんていうかさ。さとしはなるみちゃんって言われるの、全然気にしてなかったよなと思って」
「なに。俺と違ってさとしは大人だって言いたいの? アイツの笑ってスルーしとけばなんとかなる的なとこ、嫌いだね。俺は」
百瀬はベえっと舌を出した。
たしかに、さとしには都合の悪い話を聞き流そうとするところがある。
こうやってすぐに食ってかかる百瀬とは、真逆の反応だ。
俺みたい困ってフリーズするのとも違う、なんというかもっとどうでもいい感じの……。
「いや、思ったんだけど、そもそもさとしはなんとかしようとも思ってないんじゃないか」
「それをスルーっていうんじゃないの」
噂の経緯を聞いてあたらめて思い返すと、さとしの態度は不自然なのだ。
「なるみちゃん」と呼ぶ深町にあるのはさとしへの親しみに違いない。けれど、それを笑う周囲には明らかな侮蔑の感情が見てとれた。
深町はさとしのフルネームを知っている。揶揄うつもりで呼んでるわけでもない。
先生との約束を律儀に守る深町なら、真剣に呼ぶなと言えばやめようと努力してくれるはずだ。
そもそも清水中には、深町の他にさとしの姉の存在を知っている人がいるのだろうか。
窓の外を見ている深町の背中を前に、俺は百瀬に耳打ちした。
「おそらく、さとしが深町に教えたんだと思う。なるみちゃんって呼んでって」
「……まさか」
百瀬が深町の背中を見つめる。
「だって、他に誰がそう呼び始めることができるんだよ。転校先の枝川小の連中は誰も成美さんを知らないんだ」
それなのに深町は、成美さんだけじゃなく、さとしのお母さんのことまでわかっているみたいな口ぶりだった。
そんなことまで話せるのはさとし本人以外にいない。
車内アナウンスが流れ、減速し始めた電車が大きく揺れた。
ふらついた百瀬がドアのガラスに手をついて、びっくりした深町が振り返った。
奏天寺駅に停車した電車が向かい側のドアを開く。
「ご、ごめん」
百瀬が体制を立て直すと、深町は平然とした顔で窓の方へと向き直り、外を指さした。
目の前にはビルの窓に貼られた絵画教室の看板が見える。
「ここ、なるみちゃんがお姉さんたちと住んでた家の最寄駅だよ。家の庭に仔ネコの兄弟のお墓があるって連れてってくれたんだ。この絵画教室のビルの脇を通って、住宅街の中を歩いていくんだけど、道がすごく複雑なんだ」
「仔ネコ兄弟のお墓……それってキトンブルーの目をした黒い仔ネコのこと?」
確かのさとしの住んでいた家はその辺りにあった。
百瀬が驚いた顔でこちらを見る。
兄弟の墓ってことはつまり、深町がさとしのアパートで世話していたのは、六年生の秋、さとしの家からいなくなった仔ネコってことだ。
百瀬がさとしと面倒を見ていた仔ネコの片割れは生きていた。
ドアが閉まり、再び電車が動き出す。
何を思っているのか、深町は百瀬の発言に首を傾げている。
「兄弟は黒ネコじゃなかったみたいだ。遺伝の仕組みは複雑でいろんな柄が生まれることも普通にある。多排卵動物だから一緒に生まれた兄弟の父親が違うことだってあるんだ。双子というより兄弟だな」
どうやら百瀬から「お墓に入っているのは黒ネコか」と尋ねられたように思ったらしい。
丁寧にネコの生態を解説してくれる。
百瀬は深町にもわかるよう言い直した。
「兄弟ネコはサバトラだよ。グレーに黒の縞模様だ。俺、あの家で母ネコに見捨てられた二匹をさとしと世話してたんだ。つまり深町さんと同じネコを……」
「そうか。なるほど、そうなんだ。サバトラかぁ。珍しいな」
俺ならまず百瀬が自分と同じネコを世話してたことに驚くと思うけど、深町の関心はあくまで兄弟ネコなのらしい。
「さとしはネコのことをあんまり知らないから、双子なのに全然似てないって不思議がってたよ。まるで自分たち姉弟みたいだって。深町さんはさ、さとしのお姉さんを見たことがある?」
百瀬は深町の話に合わせながら、踏み込んだことを尋ねた。




