55 普通と安全 <ギフト:石河翠さんから>
<55話あらすじ>
他校と連携し噂の対応にあたっていた担任から、さとしが転校先の枝川小学校にいた頃どんな生活を送っていたのか明らかにされる。
噂の関係者の名誉を回復したいと願う深町は、真実のうち人に話しても差し支えないものとそうでないものの区別がつかず困惑する中、事情を打ち明け始める。
鍵を携えて担任が教室へ戻ってきた。
「おお、良かった。高橋、深町。大葉たちもまだいたか」
戸締りを済ませ体育館に向かうつもりなのだろう。ジャージ姿になっている。担任はバレー部の顧問なのだ。
まもなく練習が始まる時間だろうに、教壇の前の机をいくつか向かい合わせに動かして、俺たちを手招きする。
互いの顔を見合わせて促されるまま席につくと、担任は廊下側の扉を閉め、自分も深町の正面に腰を下ろした。
「今朝は、辛い思いをさせてすまなかった。教員の連携不足に巻き込んで、申し訳なく思っている。さっき深町の通っていた枝川小から電話がきて、噂の大元となった出来事を聞かせてもらった。枝川小からほとんどの子が上がる清水中でも、広まり具合など確認してもらっているところだ。昨日は深町にも個別に話を聞かせてもらったね。少しここにいるみんなに話しても構わないかい」
朝のトラブル以降音沙汰がなく、どうなっているのか気になっていたが、事実確認のため他校と連絡を取り合っていたらしい。
話を振られた深町は不満げに頬を膨らませる。
「構わないかって、私は前から話したかったよ。なのに、先生が止めたんじゃないか、人には知られたくないこともあるだろうって。だから言われっぱなしでも我慢して飲み込もうと決めたのに」
いきなり正面から非難され、担任は目を丸くした。
「……そうか。禁止されたと受け取っていたんだね。確かに昨日、保健室で僕は大葉たちになんでも知ろうとすることをやめるよう言った。もしあの時止めていなければ、深町は僕に話したのと同じように、きっと聞かれるがままに答えていただろう? でも、それじゃまずいんだ」
「どうして。私たちは何も悪いことはしていない。間違った噂は訂正されるべきだ。私がうまくやれないからダメなのか? 話していいことと悪いことの判断できない人間だから? 火に油を注いで人を傷つけてしまうから? みんなを巻き込んで迷惑ばっかりかけるから……」
間髪入れずにくってかかった深町の声が、最後は涙声になる。
担任は俺たちが口を開こうとするのを抑えて、深町に反論した。
「違う、違う。深町のせいじゃない。ましてや、ダメだからな訳がない。噂というのは人の勝手な憶測で面白おかしく膨らんでいくものなんだ。だからこそ、元となった事件を知ってる他校の先生たちも巻き込んで、一緒に対応させてもらいたかった。大人たちに守らせてもらいたかっただけなんだよ」
担任の声が届いているのかいないのか、深町は唇を噛んで俯いている。
俺は頭の中で、今朝、深町が先生たちにメチャクチャな理論をぶちまけていたのを思い出していた。
「みんな、私に関わるから嫌な思いをするんだ。私が全部悪い」と思い詰めた彼女の、激しい罪悪感と自己嫌悪に胸が痛む。
「……大人が入ってぐちゃぐちゃにすることだって結構あるけどね」
俺の隣に座る百瀬がため息混じりにぼそっと呟く。
「深町がそこまで思い詰めていたことに、気づいてやれなくて悪かった。百瀬の言う通り大人も完璧じゃない。僕だって失敗しながら学んでいる最中だ。ただ大人だからこそできることもある。たとえば羽目を外そうとする連中の歯止めになることもそのひとつだよ。これは噂の的となっている人には、誰であっても相当難しいことだ」
思い当たることがあるのだろうか。担任の言葉に深町の隣に座る高橋が小さく何度も頷いている。
保健室での話し合いを思い返していて、俺はふと気がついた。
「そっか。深町じゃない。あの時、保健室で先生は、俺や高橋が先走るのを止めたんですね。受け止める気のない人にとって、情報は噂の燃料になるだけだから」
俺の言葉に担任は「そういうこと。本当に、大人になっても失敗だらけだよ」と頭を掻く。
それから正面に座る深町をまっすぐ見つめた。
「そんな大人だけど、どうか頼ってほしい。おかしいことをおかしいと言える空気を作る、手伝いをさせてくれ」
担任の言葉に深町は顔をあげ、かしこまった口調で答えた。
「わかった。話してください。よろしくお願いします」
保健室の先生が動物病院に連絡をつけてくれたとき、急に敬語になった姿が重なる。
あれは、深町なりの感謝の表現だったのかもしれない。
「今から僕が話すことは、君たちの胸にとどめておいてほしい。それから、ここにいない人も関わっている以上、話せることと、話せないことがあるのもわかってほしい」
背筋を正し、担任が前置きすると俺たちは皆、黙って頷いてみせた。
「噂の的となっている高木さとしくんが枝川小学校に転校してきたのは、六年生の九月末のことだ。あちらではお祖父さんと同居していたのだが、なにかと留守がちで彼は遅くまで外で過ごすことが多かったようだ。同じアパートの一階に住む女性二人が気にして、よく声をかけてくれていた」
「あ、あの同性カップルやと噂されてる人っすね。俺、土曜にさとしんちで会いました。細かいことまでほんまによー見てるんっすよ。そん時も最近さとしんちのネコを見かけないけど元気なのかって、声かけてましたもん」
虎之助が口を挟むと担任は「そうか。笹森は面識があるんだな」と頷き、深町に話を振った。
「深町は彼が拾ってきた仔ネコのことを知って、アパートへ寄るようになったんだね」
「そう。ネコがすごく小さくてどうしていいか悩んでたからな。なるみちゃんは毎日、階段に座ってあの人たちが出て来るのを待っていて、会うたびに『部屋へ帰れ』って文句を言われてたんだ。私、その時になるみちゃんがアパートでは……」
「ちょっと待った。深町、それは誰にでも話すことではないよ。きっと彼にとって昔の友達には知って欲しくないことだと思う」
担任が深町の言葉をバッサリ断ち切る。
「そうか。なるほど。わかった」
深町が素直に口をつぐむのを見て、担任が聞き取りをする前に深町から俺たちにも話をさせないよう制限したのは正しかったと実感する。
噂を訂正しているつもりで、話しすぎたためにかえって詮索を許す状況が目に浮かぶ。
担任は話を続けた。
「随分か弱いネコだったようだね。学校にいる間、一階の女性たちが面倒を見てくれるようになって、深町たちは学校から直接彼女らを訪ねだした。そうしているうちに、同性愛者が小学生に悪さをしていると警察へ通報が入る。それで噂が広まったんだろうね。以後度々警察が様子を見にくるようになった」
黙って聞いているみんなに深町が強調した。
「本当に、何も悪いことはしていないよ。口は悪いけど親切な人たちなんだ。でも警察は通報があったら動かざるを得ないって。私たちが家に帰らないのがいけなかったのに、何を言っても結局あの人たちが悪いことになるんだ」
いくら口で帰れと言っていたとしても、結局は相手をしていたからだろうか。
実際は子どもの方がしつこく居座ったのだとしても、大人が引きとどめていたと解釈されたのだろう。
それくらい子どもと大人には力の差があるから。言い聞かせられたはずだと。
「彼女たちが『部屋には入れない』と言っても聞かずに、高木くんは階段に居座り続けた。日々寒くなり、日が落ちるのも早くなるのに、随分と遅くまでね。他に階段でいる彼に構う大人は誰もいなかったようだ」
「自分たちは関わろうとしないのに、ど、同性愛者ってだけで通報はするって……なんだよそれ」
俺の隣に座る百瀬が顔を真っ赤にして憤る。
彼女たちの一人と面識のある虎之助も首を傾げた。
「ほんまに。なんであの人そんな信用ないんですか? 親切な人でしたけどね。子どもが悪い道へ行かんように目ぇ光らせとる、口うるさいおかーちゃんみたいな。一回会うただけで、何を知っとるわけでもないんですけど」
高橋は言いにくそうに口を尖らせ、虎之助の疑問に答える。
「でもまあ、警戒されると思うよ? 世間は普通じゃないことに厳しいからね。子どもが関わるなら尚更だよ。同性愛が感染るとか狙われるとか言うじゃない。近くにいるだけで悪影響ってわけ。……もちろん普通じゃないのが悪いって意味じゃないよ? あたしはそれが正しいとも思わないし」
虎之助に向かって話していた高橋は、途中から深町に視線を向け直した。
彼女が普通じゃないことに悩んでいると知っているからだろう。
虎之助は即座に反論する。
「まごうことなき偏見やん」
「そうよ。偏見。よくないとわかってても、あるのが現実。もし高木があたしの弟だったら関わるなって言っちゃうもん」
高橋には幼稚園児の弟がいる。
偏見を無くそうと考えることと、ある現実を生き抜こうとすることと。
どちらも偏見をよく思っていないはずなのに。
自分や自分の大事な人が巻き込まれることを恐れて、相手を見捨て、偏見を維持する一部になってしまう。
「近所の人も、善意で関わった人が攻撃されるのを見たら声かけようとは思わないよな。関われば自分だって何がどう誤解されるかわからないし。でもまさか、お祖父さんとの暮らしがそんなだったなんて」
言いながら俺は、自分がヘタレだからこそ周囲の人の恐れが手に取るようにわかるんだと思い、憂鬱になる。
そんなことで見捨てられるさとしはたまらないだろう。
俺のつぶやきを拾った担任が「枝川小の先生から聞いたんだが」と話の流れを変えた。
「高木くんは忘れ物や遅刻もなく、身だしなみもきちんとしていたそうだよ。彼には同じ綾市内に住む曽祖母さんがいて、お祖父さんは仕事のあと彼女を訪ね、介護にあたっていたと聞いている。帰宅が遅かったのはそのせいだろう。留守がちではあってもちゃんと世話をしてくれていたと思うよ」
安心させようとして言ったのだろうが、転校前のさとしがどんな状況にあったのかを知っている百瀬が怖い顔で否定する。
「先生。さとしは何事もないフリが異常に上手いんです。昔から格好を気にするタイプだし、器用で家事もひとりでなんでもできます。たとえ家で何かあっても学校では絶対に見せませんよ」
「何それ。あんた、高木のことなんか知ってんの?」
高橋の問いに、百瀬はそっぽを向いて黙り込む。
その問い自体が証明している。
さとしは二学期に入って一月近くもひとりで暮らしていたというのに、俺も、高橋も、クラスの誰も気づかなかったことを。
「……考えすぎだよ、百瀬」
俺は、そう思いたい。
隣で目を瞬かせている百瀬を前に、俺は祐樹から家族がさとしひとりを残して数日家を空けることが幾度もあったと聞いたのを思い出していた。
それもさとし自ら「よくあることで別に特別じゃない」と庇い立てし、何事もないふりを通してきたのだ。
祐樹の差し入れがあったとは言え、いなくなるその日まで、さとしはあまりにも普段通りだった。
担任が不穏な沈黙を破る。
「わかった。誰にでも話せることじゃないんだな」
「……そうか。人に言えないことを聞かれたら無理に答えず、そう言って退ければいいんだ」
高橋が詮索を諦めるのを見て、深町が心底感心したように頷いている。
真剣な場でひとり空気を読まない発言にハラハラするが、虎之助は深町の発言を拾って笑いに変えた。
「ええやん。俺も使てみよ。親にテストの点聞かれた時とかに」
「バカね。そんなの余計怒られるに決まってんじゃない」
高橋が思い切りため息をつく。
キョトンとしている深町の隣で、追及を免れた百瀬がホッと息をついているように見えた。
「でも高木、本当にお祖父さんと二人暮らしなんだね。家庭の事情は色々あるんだろうけど……」
「少し話を急ごう」
高橋の話を遮り、担任が壁の時計にちらと目を移す。
「そこからどうしてあれほどの噂になったのかだが、発端は近隣の人の通報だ。警察が向かうと、高木くんが女性の部屋の風呂場を借りて服を着替えているところだった。事実はそれだけ。十二月の終わり頃のことだ」
内容がすんなりとは飲み込めない。
十二月は寒い。濡れた服を着替えたのか? 女性の服を借りたとか。
でも階段を上がればすぐさとしの部屋だ。着替えなどいくらでもある。
深町が担任の話に異議を挟む。
「借りたんじゃないよ。あの人は持って帰って自分家で着替えてみろって言ったのに、なるみちゃんが強引に風呂場を占拠したんだ。何度もそう証言したのに、警察はあの人を引っ立てて……」
深町の話に混乱した虎之助が両掌を顔の前に出してストップをかける。
「ちょ。待って。話が見えん。着替えてみろって、なに? 自分の服ちゃうん? あの人の? メンズのお古があったとか?」
「え。違うよ? なるみちゃんが欲しがってたのは……」
「深町、そこまでだ」「もういいっ!」
担任が険しい顔で深町の答えを遮ると同時に、両耳を塞いで百瀬が叫んだ。




