54 キトンブルー <ギフト:天界音楽さんから>
<54話あらすじ>
小田と話すうちに自分が深町の苦しみを切り捨てていたことに気がつく南朋。
力になりたかったはずなのに、虎之助も、百瀬も、先生たちも高橋や深町を封じ込める側に立たされているように感じ途方にくれてしまう。
トラブルの発端となった噂に”小さな黒いネコ”が絡むと知った百瀬の顔色が変わり、南朋はあることを推理する。
学年主任に追い払われたのは関係者ではなかった自分たちだけだと思っていたが、呼び出された高橋と深町も解放されたらしく俺たちの後ろから続いて教室へ入ってきた。
二人とも目を三角にし、難しい顔をしている。
「二十分休み、どうなった」
「行かなくていいって、担任が」
俺の二人へ向けた問いに答えたのは、意外にも深町の方だった。
昨日、保健室でも感じたことだが、多部らとのやりとりでより直接的なダメージを受けているのはどうやら高橋の方らしい。
痛々しいほど目の周りを真っ赤にしている。
「かなえちゃん、ちょっと」
チャイムがなるのも構わず小田は高橋の手を引き、入ってきたばかりの後ろ扉から再び誰もいない廊下へ出ていった。
少し経って担任がホームルームに現れると、教室内で騒いでいたみんなが着席するのに紛れて席へ戻ってくる。
「おはようございます。朝の準備はできていますか。中にはまだ鞄が机にある人もいるようですが〜?」
机に鞄を置いていた俺と百瀬は急いで机の横に引っ掛ける。
「おっと。出欠が遅れてラッキーでしたねぇ」
名簿を手にした担任が首を伸ばして教室を見渡すと、こっそり席についた遅刻常習犯の女子に次々ツッコミが入り、笑いが起きる。
いつもののんびりとした調子で点呼をとる担任の声を聞きながら、小田は廊下に出ることで、目を赤くした高橋がクラスメイトに詮索されないよう配慮したんだと気がついた。
こういうことが自然にできる子なんだ、小田は。
朝の連絡を済ませ担任が教室を後にすると、俺は斜め前の席の小田の肩を突いた。
「えっと、……大丈夫だった?」
特に名前を出さずとも、小田はその言葉だけで誰のことかをすぐに察した。
「どうかな。さっきも廊下で二組の先生が気まずそうに見てたけど、あれは居合わせただけの私ですらしんどかった。多部くんたちに直接色々言われてたふたりは辛かったと思う」
小田は高橋や深町のいる前列へ顔を向ける。
担任が遅れてきた分、一限まで時間がないからか、単に話す気分になれないのか。
二人とも前を向いたままじっとしていて、どんな表情をしているのか後ろからではわからない。
小田は二人の背中を見つめたまま尋ねた。
「大葉くん、昨日ナナちゃんと体育館裏で、何か話した?」
「えっ。話? 深町……と?」
唐突な質問に、一瞬なにを聞かれたのかわからず困惑する。
「合同体育の前。靴箱を出て走ってったのを追いかけたでしょ」
「あ、ああ。あの時か」
建物の影から様子を見ていた百瀬の気まずそうな表情が浮かぶ。
あの時百瀬は、深町が暴れているのを確認し、小田が担任を呼びに行ったのだと言っていた。
どこまでかは知らないが、見られていたんだと思うといたたまれない気持ちになる。
頭に暴れる深町を抱き止めた感触や、ガレージで押し倒されて困惑していた顔、それから二組の誰かの「毎日、女子の家に入り浸って、イイことヤってんじゃねーの」と揶揄う声が同時に浮かんで思わず頭を振った。
違う。全然そういうことじゃない。
後ろめたいことなんかなにもなかったはずなのに。
「どうかした?」
「いや。何でもない。あんま大したことは話してないよ。自分は普通じゃないとか、友達になっちゃいけないとかさ。さっき階段前でも言ってたようなことをぐるぐる言ってたくらいで。あん時の深町、変な思い込みにハマってた感じだったから……」
みんな自分に関わるから嫌な思いをする。全部自分が悪い。
そう思い込んで日々を過ごすのがどういうことか、俺にはうまく想像できない。
ふと顔を上げると、小田の顔が曇っていた。
「……大したことじゃないのかな」
「え?」
「ずっと胸に抱えてきたことを、大葉くんだから話せたんじゃないのかな」
正面から見据えてくる、小田のまっすぐな眼差しから目が逸らせない。
俺は、深町がこれまで周囲からどう扱われてきたかを知っている。
それに反応した彼女の努力がてんで的外れで、却って誤解を生んできたこともつぶさに見てきた。
深町がそんなふうに思い込んでしまう状況を、理解できているつもりだった。
でも、だからこそ俺は、自責する深町に共感することを拒否してしまったのかもしれない。
アイツが不器用だから。
ひとりで考えすぎているから。
俺も、小田たちみんなもいるのに拒否しているのは深町で、他にいくらでもやりようはある。
なにもひとりで追い詰められることはないはずだと苛立っていた。
俺はそんな自分の気持ちに囚われて、深町の気持ちを受け止めようとせず、大したことないって切り捨ててしまっていた。
けれど、それが小田には違うふうに見えている。
「いや。でも、正直、俺にはよくわからないって言うか。そんなふうに考えたこともないし」
「うん。そっか。そうだよね」
小田は軽蔑するでもなく、いつものように微笑んで俺の言い訳を肯定してくれる。
気まずくなるのを誤魔化すように俺は慌てて話題を変えた。
「そういや、小田は最近どう? ってなんか変な聞き方だけど。何度か、話が中途半端になってたことがあったよな」
「え。そうだったかな。なんだろ。今聞いた、昨日のナナちゃんのことじゃなくて?」
首を傾げる小田に不自然な様子はない。ないけれど、何かが引っ掛かった。
「いや、もっと前。えーっと、なんだったっけ」
確かにあったはずなんだ。
国語の教科書を抱え二組の先生が教室に入ってきて、号令がかかる。
皆が一斉に立ち上がり、小田は
「私も、わかんないな。それこそ、大したことじゃなかったんだよ、きっと」
と流して前を向いてしまった。
本当にそうなのだろうか。
どこか思い詰めた顔をしていたような記憶があるのだが。
板書する先生の背中を見ながら思い巡らせていたけれど、いつ、なんの話をしていたのだったかどうしても思い出せなかった。
*
放課後。数日後に舞台を控えた小田は、また明日と手を振ると飛ぶように稽古へ行ってしまった。
この後ネコの世話のある深町と別れて、ひとり部活へ向かおうとする高橋を虎之助が呼び止める。
もう教室には俺たちの他に誰もいない。
「結局、担任からなんも話なかったん? 多部っちらは注意されて終わりってことなんやろか」
「別に。七緒にこれ以上害がないなら、あたしはそれでも全然いいよ」
教室の扉を掴んで振り返った高橋は、虎之助の問いかけにどこか困ったような顔をして首を傾げた。
「……深町さんにって、自分やってえらい傷ついとったやんか」
虎之助は隣にいる俺や百瀬にしか聞こえないような声でぼやくと、打って変わってカラッとした声で提案する。
「今日はバスケ部休みやけど、明日俺、なんか聞いてきちゃろか。こう見えて、それとなく様子探んのうまいんやで」
「いーよ、そんなの。あいつらにはもう何も期待してないし」
バッサリ断ち切る高橋の目は冷ややかで、多部らだけでなく目の前の俺たちまで切り捨てられたように感じる。
期待しない。学校にも、男子たちにも。
高橋、と呟いたきり百瀬が眉を顰めて絶句する。
「なによ、ももちゃん。心配してくれてんの? 大丈夫。あたしはそういうの慣れてるから。どこへ行ってもどうせ似たようなことが起こるんだから。いちいち気にしてらんないわ」
高橋はくすっと鼻で笑うと、肩をすくめた。
保健室のベッドで自分の弱さを責めていた高橋の、か細い声が頭に浮かぶ。
こんなの全部強がりだ。
その後続けた言葉にチラリと本音がのぞく。
「これからもずーっと、変わらない。だったらそんなのもう、どうってことないって思うしかないじゃん」
保健室の先生が励ますように言っていた「理不尽なことなんて、これからいくらでもあるんだから」というのが、誰かにこんな開き直りを強いるものなら、同じような言葉を自分や弱い相手に投げつけて平気になることを教えることなのなら、それは励ましの皮を被った加害でしかない。
悪気はないとわかっているけど、いやわかっているからこそ高橋はこうしてこの現実に対処したのだ。
たったひとりで。
「ここにはトラも、百瀬も、深町だっているじゃないか。少しは期待してほしいんだ。担任だって、あれで終わった気にさせないように謝罪拒否したんだろ。味方がいないわけじゃ……」
「味方? やめてよ。泣いて同情買ったとか、女を使ったとか言われて迷惑するのはこっちなの!」
高橋が俺の言葉を遮ると、百瀬がはあっとため息をつく。
「なに、その被害者ムーブ。ただの妄想じゃん。責められて助けたくなる人いないからね」
「百瀬」
俺たちは機嫌を損ねれば手を離し、いつでもそこから降りられる。
傍観者でいられる。
安全な場所にいて、当事者に助けたくなるような態度でいろと求めるのは暴力ではないだろうか。
不満そうに口を尖らせている百瀬には、力を使っている自覚はないのだろうが。
「深町も言われっぱなしでいいのか? 誤解されたままになるかもしれないんだぞ」
「いい。これ以上かなえに迷惑をかけることはしたくない。私のせいでみんなを巻き込んで、ごめんなさい」
顔を上げようともしない深町に、百瀬が捲し立てる。
百瀬だって本当はなんとかしてやりたくてたまらないのだ。
「深町さんさ。それって何に対しての謝罪なわけ? 何でもかんでも自分が悪いじゃ、話になんない。こんなんじゃ、噂通りいかがわしいことがあったって思われても仕方ないよね? さとしが、深町さんやアパートの女の人に……」
「違う。どうしてそんな話になるのか私にはわからない。なるみちゃんはネコを世話してた。ネコはすごく小さくて、助けを必要としていた。それだけなのに」
さすがにそれだけで、深町が越境して宮下中へ通う事態にはならないだろうが。
深町の前のめりな反論に、百瀬の顔色が変わった。
「小さなネコ? それってどんな」
「キトンブルーの、まだ青い目をした黒いネコ。ネコは生まれて二ヶ月くらいまでみんな青い目をしているんだ。その目をキトンブルーって言うんだけど。目はちょっとずつ変化して、半年もすれば本来の色になるらしい。残念ながら私はその時まで観察できなかったのだが」
生まれたての黒いネコ。
祐樹から聞いた話では、さとしが百瀬と世話していたのも、さとしの家の庭で生まれて母猫から育児放棄された生まれたての猫だった。
二匹いたうち生き延び、行方不明となってしまったのが黒いネコだったはずだ。
同時期に同じようなネコを二匹も世話するなんて偶然があるだろうか。
引っ越した先が遠ければ置いて出たネコを探しにくることは難しい。
でもあのアパートからなら自転車、いや、無理をすればなんとか徒歩でも戻れる。




