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【連載版】推しの氷結公爵に事務能力で雇われたので、今日も平静を装って尊死しています  作者: 江合 花果
第二章 隣国との戦争

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異変の始まり(ライアス視点)

【ライアス視点】


 戦場は、最初は想定通りに動いていた。


 作戦本部に地図を広げ、アルベルトと向かい合った。


「東の隊を前進させて側面を取る」

 アルベルトが言った。

「中央はあえて抑える程度にとどめ、相手に突破の幻想を見せる」


「リスクは」


「中央が薄くなる。ただし東が機能すれば、相手は側面への対処に追われて中央どころではなくなる」


 ライアスは地図を見た。


「東に増援を一隊回す。機動力のある部隊を選べ」


「それで行こう」


 指示が飛んだ。

 各隊が動いた。

 東の隊が側面を取った。

 隣国の陣形が崩れ始めた。

 中央への圧力が増した。


 報告が定期的に入った。


 東、前進継続。

 南、押さえ込み成功。

 中央、安定。


 アルベルトが地図に視線を走らせながら言った。


「予定より早い。このまま押せる」


「隣国の練度が低い」

 ライアスは答えた。

「ただし、油断はするな」


「言われなくてもわかっている」


 アルベルトが小さく笑った。

 ライアスは何も言わなかった。


 戦況は順調だった。

 午前中は、ずっと順調だった。



 異変の報告が入ったのは、午後に差し掛かった頃だった。


 伝令兵が駆け込んできた。

 ライアスはその男を知っていた。

 古参の、物静かな男だった。

 どんな戦況でも、感情を乱さずに報告を届けてきた男だった。


 その男の顔が、蒼白だった。


「報告します」


 声が震えていた。


「話せ」


「東の前線から報告です」

 男は続けた。

「敵兵に、異常な動きが出ております」


「異常とは」


「斬りつけても、倒れません」


 作戦本部が静まった。


 男は続けた。


「腕を切っても攻撃を止めません。足を切っても這いずり回って噛み付いてきます。痛みを感じていないようで、通常の傷では止まらない。それが大量に、前線に押し寄せてきております」


 アルベルトが静かに口を開いた。


「負傷した兵が、興奮状態で動いているということはないか」


「はい」

 男は答えた。

「腕を完全に断ち切られた状態で、なお這いずって噛み付いてくる者を、複数の兵が目撃しております。興奮状態では説明がつきません」


 ライアスは地図を見た。

 東の前線の位置を確認した。


(これは、通常の戦ではない)


 アルベルトとライアスの目が合った。

 言葉はなかった。

 しかし同じものを見ていた。



 その後、報告が続いた。


 最初は定期的だった。

 それが次第に変わった。

 東から。南から。中央から。

 間隔が短くなった。

 内容が断片的になった。


「矢を何本刺しても倒れない」


「兵が恐慌状態に陥っています」


「前線が持ちません」


「東の隊、後退を始めました」


 アルベルトが地図に駒を動かしながら言った。


「ライアス、東が崩れると南が孤立する」


「わかっている」


「東に増援を送るか」


「送っても同じだ」

 ライアスは答えた。

「あの状態の敵に数で対応しても、恐慌が広がるだけだ」


 アルベルトが少し止まった。


「では」


「兵の恐怖が伝播している。前線が崩れるのは時間の問題だ」


 またしばらく、沈黙があった。


 次の伝令が飛び込んできた。


「南の前線から報告です。異常な敵兵が側面から浸透しています。前線を維持できません、撤退の許可を」


 その次も来た。


「中央の兵が動揺しています。異常な敵兵を目撃した兵から、恐慌が広がっています」


 その次も来た。


「東に向かった増援部隊、異常な敵兵を目撃し崩れました。東の隊、完全に崩壊しました」


 アルベルトが地図を見た。


「東と南が抜けた。中央が持つかどうか」


「持たない」

 ライアスは言った。

「中央の兵もすでに動揺している。前線全体が崩れる」


「ライアス」


「わかっている」


 ライアスは外に出た。

 アルベルトが続いた。



 外に出た瞬間、空気が変わった。


 遠くで、砂煙が上がっていた。

 東から。南から。

 複数の方向から、砂煙が上がっていた。


 そしてその砂煙の中から、声が聞こえた。

 叫び声とも呻き声ともつかない、奇妙な声だった。

 人の声のはずだった。

 しかしどこか、人ではないものを感じさせた。


 その声が、こちらへ向かって大きくなっていた。


 次の伝令が駆け込んできた。


「報告します」

 男の声が裏返っていた。

「東と南の前線が完全に崩壊しました。異常な敵兵が前線を突破し、そのまま後方へ向かって進んでいます。作戦本部の方向に、大量の敵兵が迫っております」


 アルベルトが地図を見た。

 少し、止まった。


(撤退した味方を追わない)

(側面を取りに動かない)

(ただ、前に進んでいる)


「……まさか」

 アルベルトが静かに言った。

「命令を受けていないのか、あれは」


 ライアスは砂煙を見た。

 じわじわと近づいていた。

 砂煙の中の声が、少しずつ大きくなっていた。


 エリナが本部から出てきた。

 砂煙を見た。

 一瞬だけ、その目が揺れた。

 しかしすぐに、前を向いた。


「閣下」


「わかっている」


 ライアスはアルベルトを見た。

 アルベルトも砂煙を見ていた。

 策士の目が、静かに状況を計算していた。

 しかしその目の奥に、初めて見るものがあった。


(アルベルトも、この状況は想定していなかった)


 ライアスは前を向いた。

 砂煙が、迫っていた。

 声が、大きくなっていた。


 遠くから見える光景は、ライアスがこれまで戦場で見てきたどの光景とも、違っていた。

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