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【連載版】推しの氷結公爵に事務能力で雇われたので、今日も平静を装って尊死しています  作者: 江合 花果
第二章 隣国との戦争

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ライアスの帰還(ノエル視点)

【ノエル視点】


 戦勝の知らせが届いたのは、ライアスが出陣してから二ヶ月が経った頃のことだった。


 早馬が公爵邸に駆け込んできた。

 グラントが受け取り、ノエルのところへ来た。


「勝利の報が入りました」


 ノエルは書類から顔を上げた。


「……本当ですか」


「はい」

 グラントが静かに言った。

「王国の勝利です」


 ノエルは少し、目を閉じた。


(勝った)

(勝ったんだ)


 目を開けた。


「閣下は」


「ご無事との報告です」


 ノエルは深く、息をついた。


(よかった)


 それだけで、十分だった。


 グラントが続けた。


「ただ、詳細についてはまだ情報が錯綜しております。いくつか入ってきている話がございますが、真偽は不明です」


「聞かせてください」


「はい」

 グラントが静かに整理しながら話した。

「まず、アルベルト殿下の采配により、当初の見立て通り、王国軍が有利に戦争を進めていたとのことです」


(それは、ゲームの展開通りだ)


「次に」

 グラントが続けた。

「隣国が、謎の魔法で兵を操ったという話がございます。通常の兵とは思えない動きをする兵が現れ、アルベルト殿下の隊が一時的に窮地に追い込まれたとのことで」


(あれ)

(ゲームにそんな展開あったっけ)

(なかった気がする)

(全然違う)


「そして」

 グラントが続けた。

「ヴァルトハイン公爵閣下が、獅子奮迅の活躍でその窮地を救われたとのことです。ほぼ一人で、その謎の兵をほとんど討ち倒されたと」


(えっ)


「王都では既に、閣下を讃える声が上がっており」

 グラントが少し、間を置いた。

「戦場の血鬼、という名で呼ばれているとのことです」


 ノエルは、しばらく黙っていた。


(戦場の血鬼)

(ゲームの異名だ)

(ゲームの異名が、出た)

(でもゲームとは全然違う展開で出た)

(ゲームでは恐れから呼ばれていた異名が、現実では尊敬から呼ばれている)

(しかも全然違う経緯で)

(何これ)

(ゲームと全然違うやんけ)


「ベルナード嬢」

 グラントが静かに言った。

「大丈夫ですか」


「はい、大丈夫です」

 ノエルは答えた。

「まだ噂レベルですし、詳細はお帰りになってから聞けばいいですね」


「さようでございます」


(落ち着け)

(まだ噂だ)

(でも、閣下がご無事というのは確かだ)

(それだけで、今は十分だ)


 ノエルは書類に向かった。

 しかし羽ペンが、しばらく動かなかった。



 その日の夕方、ノエルは孤児院に向かった。

 子供たちに伝えたかった。


 孤児院に着くと、カルロスとイルマとレントが揃っていた。


「勝利の報が届きました。閣下もご無事です」


 カルロスが、短く息をついた。


「そうか」


 それだけだった。

 しかし肩が、少しだけ、下がった。


 イルマが目元を押さえた。


「よかった……本当によかった」


 レントが窓の外を見た。

 何も言わなかった。

 しかし目が、潤んでいた。


 子供たちが騒ぎ始めた。


「やったー!」


「かえってくる!」


「公爵様かえってくるー!」


 その中で、レイが少し離れたところに立っていた。

 手を振らなかった。

 騒がなかった。


 しかし。


 ノエルと目が合ったとき、レイは前を向いたまま、口元が、わずかに緩んだ。


(レイが、笑った)

(ほんの少しだが、確かに笑った)


 ノエルはそれを見ながら、静かに思った。


(みんな、待っていた)

(ここで、ずっと待っていた)



 戦勝報告から数週間が経った、ある朝のことだった。


 グラントが執務室に入ってきた。


「ベルナード嬢、閣下がお帰りになります。間もなく正門に」


 ノエルは立ち上がった。


 正門の前に、グラント、ノエル、クラウスが並んで待っていた。

 遠くから、馬の足音が聞こえた。

 次第に近づいてきた。


 正門をくぐって、馬が入ってきた。

 先頭に、銀髪の人物が見えた。


(閣下だ)


 ノエルは少し、前を向いたまま止まった。


(帰ってきた)

(本当に、帰ってきた)


 馬が止まった。

 ライアスが馬から降りた。


 二ヶ月ぶりに見るライアスは、出陣前と変わらなかった。

 表情も、立ち方も、変わらなかった。


 それがなぜか、非常に、安心した。


(変わっていない)

(閣下は、変わっていない)

(よかった)

(本当に、よかった)


(ってちょっと待って)


 脳内の別回路が、全力で起動した。


(二ヶ月ぶりの閣下を、まじまじと見てしまっている)

(戦場帰りの閣下を)

(まじまじと)


(格好いい)

(変わらず格好いい)

(というか、なんか、少し、凄みが増してる気がする)

(戦場帰りのライアス様、概念が違う)

(尊い)


(尊いが)

(なんか今日は、いつもの尊いと少し、形が違う気がする)

(なんでだ)

(帰ってきてよかった、という感情が、推し活の喜びとは少し違う形で出ている)

(なぜ)

(今は考えない)

(後で考える)

(絶対に後で考える)


 そのとき、後ろから馬の足音がした。

 エリナだった。

 馬から降りたエリナが、ライアスの方を見た。


 その瞬間。


(あれ)


 ノエルは少し、目を細めた。


(エリナの顔が、今までと全然違う)



 エリナが、ライアスを見ていた。


 いつもの凛とした立ち方が、少し、崩れていた。

 気づかない人間なら気づかない程度だった。

 しかしノエルには、はっきりと見えた。


 背筋は伸びていたが、肩の力が、少しだけ抜けていた。

 目が、熱を帯びていた。

 戦場帰りのライアスを見る目に、明確な熱があった。


(何この顔)

(エリナがこんな顔をするの、初めて見た)


 ライアスがグラントと話しながら、歩き始めた。

 エリナがその横に並んだ。


「閣下、お疲れ様でした」


「ああ」


 ライアスが短く答えた。

 その一言だけで、エリナが少し、固まった。


(固まった)

(エリナが、たった一言で、固まった)


 エリナが、続けて何かを言おうとした。


「あの、閣下、戦場では」


「後でグラントに報告する」


「は、はい」


 声が、上擦った。

 はっきりと、上擦った。


 エリナが自分で気づいたのか、軽く咳払いをした。

 取り繕おうとしていた。

 しかし頬が、わずかに赤かった。


(赤い)

(エリナの頬が赤い)

(ゲームのエリナはこんな顔、一切しなかった)


(というか、この顔は)

(これは)


(なんだこの可愛い生き物)


 ノエルは内心で、全力でそう思った。


(悪役令嬢が)

(あの超ハラスメント令嬢が)

(戦場帰りのライアス様を前に)

(頬を赤くして、声を上擦らせて)

(取り繕おうとしている)


(待って)

(これはキャラとして大変良いんですが)

(萌える)

(萌えてしまう)

(悪役令嬢に萌えてしまっている)

(どういうことだ私)


 ライアスが屋敷の中に入ろうとした。

 エリナがその後に続こうとして、ライアスとの距離が少し近くなった。

 エリナが、一瞬だけ、足を止めた。

 もじもじした。

 凛とした騎士令嬢が、もじもじした。


(もじもじした!!)

(エリナが!!!)

(もじもじした!!!!)


 ノエルは表情を保つのに、全力を使った。


 ライアスが振り返った。


「フォルセア、疲れているなら休んでいい」


「い、いいえ! 全然疲れておりません!」


 声の大きさが、若干、普段より高かった。

 エリナが、すぐに「失礼しました」と言って、声のトーンを戻した。

 しかし耳まで赤かった。


 ライアスは特に気にした様子もなく、また前を向いた。


 エリナがそのライアスの背中を見て、そっと胸に手を当てた。

 一瞬だった。

 気づいていない人間には気づかれない動作だった。

 しかしノエルには見えた。


(見えた)

(エリナが、ライアス様の背中を見て、胸に手を当てた)


(これは)

(これは完全に)

(乙女だ)


(超ハラスメント悪役令嬢が)

(乙女をやっている)


 エリナがノエルの視線に気づいた。

 目が合った。


 エリナが、瞬時に凛とした表情に戻った。

 完璧な切り替えだった。

 しかし頬の赤みは、まだ残っていた。


(ノエルに見られたと気づいた)

(すぐに戻した)

(でも頬が赤い)

(可愛い)


(待って)

(エリナに可愛いと思ってしまった)

(これはいけない)

(でも可愛かった)

(どうしよう)


 ノエルは平静な顔のままを保ちながら、内心でひとしきり悶えた。



 翌々日の朝、エリナが帰ることになった。


 玄関に荷物が並んでいた。

 エリナはライアスに一礼した。


「閣下、此度は大変お世話になりました」


「ご苦労だった」

 ライアスが言った。

「フォルセアの働きには感謝している」


 エリナが、少し止まった。

 感謝している、という言葉を、もう一度噛み締めるように。


「……ありがとうございます」


 声が、少しだけ、柔らかかった。


 それからエリナは、ノエルの方を向いた。

 凛とした目だった。

 乙女の顔は、もうなかった。

 いつものエリナだった。


「ノエルさん」


「はい」


「いいですね、貴方は事務員」

 エリナは静かに言った。

「事務員として、ライアス様に尽くしなさい。それが貴方の立場というものです」


 釘を刺す声だった。

 しかし以前より、少しだけ、力が違った。


(なんか、以前より覇気が薄い)

(もしかして、帰りたくない?)

(未練たらたら?)

(エリナさん、未練たらたらじゃないですか)


「かしこまりました」


 ノエルは真顔で答えた。


 エリナが、少し、止まった。

 何かを言いかけた。

 しかし言わなかった。


「……では」


 エリナが馬に乗った。

 門の方に向かいながら、一度だけ振り返った。

 ライアスを見た。

 一瞬だった。


 それから前を向いて、馬を進めた。

 遠ざかっていった。


 ノエルはその背中を見ながら、静かに思った。


(エリナ、また来るんだろうな)

(絶対また来る)

(来たときはまた大変なことになるんだろうな)


(でも)


 ノエルは少し、考えた。


(あの乙女な顔は、嫌いじゃない)

(キャラとして、嫌いじゃない)


 グラントがノエルの横に来た。

 エリナが消えた方向を見ながら、静かに言った。


「……嵐のような方でしたね」


「そうですね」


「しかし、根は真っ直ぐな方だと思います」


 ノエルはグラントを見た。


「グラントさんは、エリナさんのことを悪く思っていないんですか」


「悪く思うほどのことは、されておりませんので」

 グラントが静かに言った。

「それに、ああいう形であれ、閣下を大切に思っている方を、悪くは思えません」


 ノエルは少し、前を向いた。


(グラントさんは、全部見えている)

(いつも、全部)



 エリナが帰ってから数日が経った。

 公爵邸が、少しずつ落ち着きを取り戻していた。


 そんなある夕方のことだった。


「ベルナード嬢」


 廊下でライアスに呼び止められた。


「はい」


「少し時間があるか」


「はい」


「高台に、行かないか」


 ノエルは少し、止まった。


(高台)

(あの場所だ)

(出陣前にも行った、あの高台だ)


「かしこまりました」


 二人で、屋敷の裏手に向かった。

 石段を上った。

 高台に出た。


 夕暮れの公都が、眼下に広がっていた。

 出陣前に見たのと同じ景色だった。

 しかし今は、ライアスが隣にいた。


 しばらく、二人とも黙っていた。


 ライアスが、口を開いた。


「噂が飛び交っているのは、知っているか」


「はい」

 ノエルは答えた。

「色々と聞こえてきております。戦場の血鬼、という名前も」


「……物騒な名前だ」

 ライアスが静かに言った。

「戸惑っている」


「噂では、閣下が戦場で大変なご活躍をされたと聞いております」

 ノエルは言った。

「詳しいことはわかりませんが、何か、普通ではないことがあったのではないかと」


 ライアスが少し、ノエルを見た。


「……そうだ」

 ライアスは静かに言った。

「実は、そのことで今日ここに来てもらった」


 ライアスが前を向いた。

 少し、間があった。


「戦場で起こったことについて、話したいことがある」


 ノエルが、ライアスを見た。


「報告書にはこれからまとめるのだが」

 ライアスは続けた。

「しかしどうにも、うまく言葉にならないことがあって」


 少し、止まった。


「……君に、聞いてもらいたい」


 夕暮れの光が、公都を橙色に染めていた。


 ノエルはその景色を見ながら、静かに答えた。


「はい。聞かせてください」


 ライアスが、少し頷いた。

 それから、話し始めた。

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