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【連載版】推しの氷結公爵に事務能力で雇われたので、今日も平静を装って尊死しています  作者: 江合 花果
第二章 隣国との戦争

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悪役令嬢の暗躍(ノエル視点)

【ノエル視点】


 出陣まで、あと三日になった。

 屋敷の中が、慌ただしくなっていた。


 ノエルも、引き継ぎの最終確認で朝から動き回っていた。

 そんなある朝のことだった。


 廊下を歩いていたノエルに、料理長のバルトが声をかけてきた。


「ベルナード嬢」


「はい、バルトさん」


「昨日、フォルセア様がいらしてな」

 バルトが少し、声を低くした。

「厨房の仕切りについて、色々とおっしゃっていた」


「色々と?」


「うちの厨房のやり方が古いとか、王都のやり方に合わせた方が良いとか」

 バルトが腕を組んだ。

「まあ、言いたいことはわかるんだが」


 少し、間があった。


「その流れで、ベルナード嬢のことを聞かれた」


「私の?」


「ああ。事務の方が厨房のことまで口を出すのは、どうなのかと。本来の仕事の範囲を超えているのではないかと」

 バルトが鼻を鳴らした。

「俺はこう答えた。ベルナード嬢に厨房に来てもらって、うちは良くなったと。口出しじゃなくて、一緒にやってもらってきたんだと」


(あ)

(孤立化を図ろうとした)

(バルトさんに、私の仕事ぶりを疑わせようとした)


「バルトさん」

 ノエルは言った。

「ありがとうございます」


「礼はいらん」

 バルトが顔を背けた。

「ただ、俺の厨房のことを悪く言われるのが気に入らなかっただけだ」


 そう言いながら、バルトはさっさと厨房に戻っていった。


(バルトさんが庇ってくれた)


 ノエルは少し、その場に立っていた。


(エリナが使用人側に働きかけていたのか)

(ゲームのエリナの孤立化のやり口だ)

(しかしバルトさんが、逆の方向に返した)



 その日の午後だった。


 ミルダが、子供の預かり部屋からノエルのところへ来た。


「ベルナード嬢、少しよろしいですか」


「もちろんです。どうしました」


「昨日、フォルセア様がいらして」

 ミルダが少し、困った顔をした。

「未亡人の方たちの雇用について、色々とお話をされていました」


「どのような話でしたか」


「未亡人を雇用するのは良いことだが、子供の預かり部屋まで設けるのは、公爵家として少し行き過ぎではないかと」

 ミルダが続けた。

「そして、これはどなたが考えたのかと聞かれました」


(やはり)

(こちらにも来ていた)


「なんとお答えになりましたか」


「ベルナード嬢のご提案で、閣下がご決断されたとお答えしました」

 ミルダが少し、目を細めた。

「そうしましたら、フォルセア様が、事務方の担当者がそのようなことまで、とおっしゃって」


「……なるほど」


「私はこうお答えしました」

 ミルダが続けた。

「ベルナード嬢のおかげで、私たちの生活が変わりました、と」


(ミルダさんも、庇ってくれた)


「ミルダさん」

 ノエルは言った。

「ありがとうございます」


「礼には及びませんよ」

 ミルダが穏やかに笑った。

「本当のことを申し上げただけですから」


 ミルダが戻っていった。

 ノエルはその背中を見ながら、静かに思った。


(エリナは複数の場所に働きかけていた)

(しかし全部、逆の方向に返ってきた)

(バルトさんもミルダさんも、エリナの意図とは全く逆のことを言った)

(これは、エリナが想定していた展開ではないはずだ)



 翌日の午前中のことだった。


 ライアスの執務室で、出陣前の最終確認が行われていた。

 ライアス、グラント、ノエルの三人が揃っていた。


 そこへエリナが、書類を持って入ってきた。


「閣下、よろしいでしょうか」


「入れ」


 エリナが入室した。

 四人になった。


 エリナはライアスに向かって、落ち着いた声で言った。


「出陣前に、一点申し上げたいことがあります」


「なんだ」


「領地管理の引き継ぎについてですが」

 エリナが続けた。

「グラントさんはもちろんのこと、ノエルさんに多くをお任せになると伺っております」


「そうだ」


「閣下がノエルさんをご信頼されているのは存じております」

 エリナは笑顔のまま言った。

「ただ、伯爵家のご令嬢で、事務が得意とはいえ、公爵家の領地管理全体を任せるというのは、少し荷が重いのではないかと、心配しておりまして」


 心配、という言葉だった。

 声のトーンは穏やかだった。

 笑顔も崩れていなかった。


(来た)

(ライアス様を通じた孤立化だ)

(心配、という言葉で包んで、私の能力を疑わせようとしている)

(しかもグラントさんがいる前でやった)

(ライアス様に直接言えば、グラントさんが同意するかどうかも確認できる)

(なかなか計算されている)


 ライアスが、少し、エリナを見た。


「荷が重いとは、具体的にどういう意味だ」


「伯爵家のご令嬢ですから、実務の経験という点で、どうしても限界があるのではないかと。もちろん優秀な方だとは思いますが、公爵家の規模となりますと」


 エリナがそこまで言ったところで。


「ベルナード嬢が着任してから、領地の収支改善が進み、使用人の定着率が上がり、未亡人と障害を負った兵の雇用が実現した」


 ライアスが、静かに言った。


 淡々とした口調だった。

 しかし一つ一つが、明確だった。


「スラムの孤児院設立も、給与台帳の不正発覚も、全てベルナード嬢が関わっている。限界があるとは、私には思えない」


 エリナが、少し止まった。

 笑顔は崩れなかった。

 しかし目が、一瞬だけ、揺れた。


「もちろん、実績は存じております。ただ、閣下がご不在の間、何か問題が起きたときに」


「グラント」

 ライアスが言った。


「はい」

 グラントが静かに答えた。

「ベルナード嬢と私で、問題なく対処できると判断しております。それだけの準備を、既に整えております」


 エリナが、グラントを見た。

 グラントは表情を変えなかった。


 エリナが、また笑顔に戻った。


「……そうですか。グラントさんがそうおっしゃるなら、安心ですわ」


 そう言いながら。

 その目が、ノエルを一瞬だけ見た。


(この目だ)

(昨日より、はっきりと、本性を出したエリナの目だ)

(笑顔の裏に隠しきれていない)


「他に何かあるか」

 ライアスが言った。


「いいえ」

 エリナが一礼した。

「失礼しました」


 エリナが退室した。

 扉が閉まった。


 三人になった。


 グラントが、静かに口を開いた。


「閣下」


「なんだ」


「フォルセア様は、昨日、厨房とミルダのところへ行かれたようです」


 ライアスが少し、グラントを見た。


「……そうか」


「はい」

 グラントは表情を変えずに言った。

「いずれの場合も、ベルナード嬢への評価は、変わらなかったようですが」


 ライアスは何も言わなかった。

 ただ、少し、窓の外を見た。



 その夜。


 ノエルは自室で観察日誌を開いた。


「本日の報告。エリナの孤立化作戦、完全に失敗に終わる」


 一行空けて、続けた。


「バルトさん、ミルダさん、グラントさん、全員が逆の方向に返した。エリナは複数の場所に働きかけていたが、全部空振りだった。これはゲームの展開にはなかった。私の立場がゲームのヒロインと違うからだろう。ヒロインは孤立していたが、私は違う」


「そして今日のライアス様のセリフを記録しておく」


 ノエルは羽ペンを走らせた。


「収支改善、使用人の定着率、未亡人と障害兵士の雇用、孤児院設立、給与台帳の不正発覚。全部、ライアス様が挙げてくださった。私が関わったことを、全部、覚えていてくださった」


 羽ペンが、少し止まった。


(覚えていてくださっていた)

(全部)


 ノエルは少し、そのまま止まっていた。

 それから、また書いた。


「尊い(記憶力版)。閣下は全部覚えていた。これは記念すべき記録だ。別紙に詳細を残す」


 別紙を取り出した。

 書き始めた。


 しかし三行ほど書いたところで、ノエルは羽ペンを置いた。

 窓の外を見た。


 夜の公都が、静かだった。


(覚えていてくださっていた)


 その事実が、じわじわと、胸の中に広がっていた。


 推しに記憶されていた、という喜びとは。

 少し、形が違う気がした。


(……今夜は、これ以上考えない)


 ノエルは観察日誌を閉じた。

 別紙は、また明日書くことにした。

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