悪役令嬢の暗躍(ノエル視点)
【ノエル視点】
出陣まで、あと三日になった。
屋敷の中が、慌ただしくなっていた。
ノエルも、引き継ぎの最終確認で朝から動き回っていた。
そんなある朝のことだった。
廊下を歩いていたノエルに、料理長のバルトが声をかけてきた。
「ベルナード嬢」
「はい、バルトさん」
「昨日、フォルセア様がいらしてな」
バルトが少し、声を低くした。
「厨房の仕切りについて、色々とおっしゃっていた」
「色々と?」
「うちの厨房のやり方が古いとか、王都のやり方に合わせた方が良いとか」
バルトが腕を組んだ。
「まあ、言いたいことはわかるんだが」
少し、間があった。
「その流れで、ベルナード嬢のことを聞かれた」
「私の?」
「ああ。事務の方が厨房のことまで口を出すのは、どうなのかと。本来の仕事の範囲を超えているのではないかと」
バルトが鼻を鳴らした。
「俺はこう答えた。ベルナード嬢に厨房に来てもらって、うちは良くなったと。口出しじゃなくて、一緒にやってもらってきたんだと」
(あ)
(孤立化を図ろうとした)
(バルトさんに、私の仕事ぶりを疑わせようとした)
「バルトさん」
ノエルは言った。
「ありがとうございます」
「礼はいらん」
バルトが顔を背けた。
「ただ、俺の厨房のことを悪く言われるのが気に入らなかっただけだ」
そう言いながら、バルトはさっさと厨房に戻っていった。
(バルトさんが庇ってくれた)
ノエルは少し、その場に立っていた。
(エリナが使用人側に働きかけていたのか)
(ゲームのエリナの孤立化のやり口だ)
(しかしバルトさんが、逆の方向に返した)
◇
その日の午後だった。
ミルダが、子供の預かり部屋からノエルのところへ来た。
「ベルナード嬢、少しよろしいですか」
「もちろんです。どうしました」
「昨日、フォルセア様がいらして」
ミルダが少し、困った顔をした。
「未亡人の方たちの雇用について、色々とお話をされていました」
「どのような話でしたか」
「未亡人を雇用するのは良いことだが、子供の預かり部屋まで設けるのは、公爵家として少し行き過ぎではないかと」
ミルダが続けた。
「そして、これはどなたが考えたのかと聞かれました」
(やはり)
(こちらにも来ていた)
「なんとお答えになりましたか」
「ベルナード嬢のご提案で、閣下がご決断されたとお答えしました」
ミルダが少し、目を細めた。
「そうしましたら、フォルセア様が、事務方の担当者がそのようなことまで、とおっしゃって」
「……なるほど」
「私はこうお答えしました」
ミルダが続けた。
「ベルナード嬢のおかげで、私たちの生活が変わりました、と」
(ミルダさんも、庇ってくれた)
「ミルダさん」
ノエルは言った。
「ありがとうございます」
「礼には及びませんよ」
ミルダが穏やかに笑った。
「本当のことを申し上げただけですから」
ミルダが戻っていった。
ノエルはその背中を見ながら、静かに思った。
(エリナは複数の場所に働きかけていた)
(しかし全部、逆の方向に返ってきた)
(バルトさんもミルダさんも、エリナの意図とは全く逆のことを言った)
(これは、エリナが想定していた展開ではないはずだ)
◇
翌日の午前中のことだった。
ライアスの執務室で、出陣前の最終確認が行われていた。
ライアス、グラント、ノエルの三人が揃っていた。
そこへエリナが、書類を持って入ってきた。
「閣下、よろしいでしょうか」
「入れ」
エリナが入室した。
四人になった。
エリナはライアスに向かって、落ち着いた声で言った。
「出陣前に、一点申し上げたいことがあります」
「なんだ」
「領地管理の引き継ぎについてですが」
エリナが続けた。
「グラントさんはもちろんのこと、ノエルさんに多くをお任せになると伺っております」
「そうだ」
「閣下がノエルさんをご信頼されているのは存じております」
エリナは笑顔のまま言った。
「ただ、伯爵家のご令嬢で、事務が得意とはいえ、公爵家の領地管理全体を任せるというのは、少し荷が重いのではないかと、心配しておりまして」
心配、という言葉だった。
声のトーンは穏やかだった。
笑顔も崩れていなかった。
(来た)
(ライアス様を通じた孤立化だ)
(心配、という言葉で包んで、私の能力を疑わせようとしている)
(しかもグラントさんがいる前でやった)
(ライアス様に直接言えば、グラントさんが同意するかどうかも確認できる)
(なかなか計算されている)
ライアスが、少し、エリナを見た。
「荷が重いとは、具体的にどういう意味だ」
「伯爵家のご令嬢ですから、実務の経験という点で、どうしても限界があるのではないかと。もちろん優秀な方だとは思いますが、公爵家の規模となりますと」
エリナがそこまで言ったところで。
「ベルナード嬢が着任してから、領地の収支改善が進み、使用人の定着率が上がり、未亡人と障害を負った兵の雇用が実現した」
ライアスが、静かに言った。
淡々とした口調だった。
しかし一つ一つが、明確だった。
「スラムの孤児院設立も、給与台帳の不正発覚も、全てベルナード嬢が関わっている。限界があるとは、私には思えない」
エリナが、少し止まった。
笑顔は崩れなかった。
しかし目が、一瞬だけ、揺れた。
「もちろん、実績は存じております。ただ、閣下がご不在の間、何か問題が起きたときに」
「グラント」
ライアスが言った。
「はい」
グラントが静かに答えた。
「ベルナード嬢と私で、問題なく対処できると判断しております。それだけの準備を、既に整えております」
エリナが、グラントを見た。
グラントは表情を変えなかった。
エリナが、また笑顔に戻った。
「……そうですか。グラントさんがそうおっしゃるなら、安心ですわ」
そう言いながら。
その目が、ノエルを一瞬だけ見た。
(この目だ)
(昨日より、はっきりと、本性を出したエリナの目だ)
(笑顔の裏に隠しきれていない)
「他に何かあるか」
ライアスが言った。
「いいえ」
エリナが一礼した。
「失礼しました」
エリナが退室した。
扉が閉まった。
三人になった。
グラントが、静かに口を開いた。
「閣下」
「なんだ」
「フォルセア様は、昨日、厨房とミルダのところへ行かれたようです」
ライアスが少し、グラントを見た。
「……そうか」
「はい」
グラントは表情を変えずに言った。
「いずれの場合も、ベルナード嬢への評価は、変わらなかったようですが」
ライアスは何も言わなかった。
ただ、少し、窓の外を見た。
◇
その夜。
ノエルは自室で観察日誌を開いた。
「本日の報告。エリナの孤立化作戦、完全に失敗に終わる」
一行空けて、続けた。
「バルトさん、ミルダさん、グラントさん、全員が逆の方向に返した。エリナは複数の場所に働きかけていたが、全部空振りだった。これはゲームの展開にはなかった。私の立場がゲームのヒロインと違うからだろう。ヒロインは孤立していたが、私は違う」
「そして今日のライアス様のセリフを記録しておく」
ノエルは羽ペンを走らせた。
「収支改善、使用人の定着率、未亡人と障害兵士の雇用、孤児院設立、給与台帳の不正発覚。全部、ライアス様が挙げてくださった。私が関わったことを、全部、覚えていてくださった」
羽ペンが、少し止まった。
(覚えていてくださっていた)
(全部)
ノエルは少し、そのまま止まっていた。
それから、また書いた。
「尊い(記憶力版)。閣下は全部覚えていた。これは記念すべき記録だ。別紙に詳細を残す」
別紙を取り出した。
書き始めた。
しかし三行ほど書いたところで、ノエルは羽ペンを置いた。
窓の外を見た。
夜の公都が、静かだった。
(覚えていてくださっていた)
その事実が、じわじわと、胸の中に広がっていた。
推しに記憶されていた、という喜びとは。
少し、形が違う気がした。
(……今夜は、これ以上考えない)
ノエルは観察日誌を閉じた。
別紙は、また明日書くことにした。




