相棒
「なんか来るな」
ロルフが声を上げたのは、三度目の休憩の事だった。
今回はウーヴェに乗せる鞍も二人乗り用の幅の広いものだったが、ロルフはやはり疲れるだろうと言って小まめに休憩を取って狩ったウサギや釣った魚などでご飯を作ってくれる。
ともかくそんな調子で、もう少し歩けばこのエルガルド山脈なる山から出ることができるだろうという段でのロルフの言葉である。
「タツミソウが少なかったですかね?」
三葉は、ウーヴェに遠慮しながらタツミソウを撒いたもので、無意識に量を少なくしてしまっただろうかと不安になった。
しかしロルフは首を振る。
「違う。恐らく、かなり頭の良い魔獣だ。タツミソウの匂いから俺達の場所を割り出して、タツミソウの匂いの届かない進行方向に陣取ってやがる。……それも、三頭もいるな」
「えっ、そんな魔獣もいるんですか……」
それではタツミソウを潰すのも良し悪しなのだなと眉を下げた三葉の頭を、笑ったロルフがわしわしと撫でる。
「お陰でここは安全地帯なんだ。使い方は間違っちゃいねえよ」
しかし、言葉と表情のわりにロルフの緊張感は消えない。
料理などを片付け、ウーヴェを呼んだ彼の袖をきゅっと掴む。
「……あの、魔獣を避けて進むとか、居なくなるまで待つというのはできないんでしょうか」
「やればできるかも知れないが、あんたを連れてあいつらから逃げ回るより、あんたをここに残しておいて俺が一人で出た方が勝率が高い」
「……あっ……」
三葉も子供ではない。
自分が足手まといである事が正確に理解できた。
しかし、納得できることと落ち込まないことはまた別の問題である。
しょぼんと眉を下げる三葉に苦笑しつつ、ロルフは彼の白髪混じりの黒髪を撫でる。
「ウーヴェと荷物、見といてくれるか?」
「……ウーヴェもお留守番ですか?」
「……、そうそう、『お留守番』」
三葉の使う丁寧な言葉は粗雑な言動に慣れたロルフには妙にかわいく見えることがあったが、こと『お留守番』という響きは、ちんまりと荷物を抱えてロルフを待つ三葉のイメージと重なってひどく愛らしかった。
「ウーヴェに乗って待っててくれ。手綱は離すなよ。もしもここまで入ってくるような獣がいてもウーヴェが必ず気付くからな。一緒に逃げれば大丈夫だ」
言い方はまるでウーヴェの世話を頼むようだが、実際はウーヴェにミツバを守らせる形である。
「わかりました!ちゃんとウーヴェに守ってもらいますね!」
ぎゅっと拳を握ったミツバはそのあたりもよく分かっているらしく、しっかりとウーヴェの鞍に乗って手綱を掴む。
自分がロルフを不安にさせないくらい安全な場所にいる事が、最もロルフの力になると分かっていた。
「僕は絶対に大丈夫です。大丈夫ですから、ロルフ」
馬に乗った分高くなった位置から、珍しくロルフの頭頂が見えた。
金の髪がまとめられたそこを子供にするようにそっと撫でる。
「だからね、ロルフ。……ちゃんと、無事に帰ってきてくださいね」
幼い時分以来、頭など撫でられた事も無かったロルフは、この動作にポカンとなって三葉を見上げた。
すると彼は悪戯っぽく笑って片目を閉じる。
「僕の方が歳上なのに、いつも撫でられるんですから。……たまにはお返しです」
ロルフは笑った。ひどく晴れやかな気分だった。
そして、後になって思えば、この時のやり取りが彼の命運を分けたと言っても良かった。
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敵に気づかれないように風下から周り、一頭目を見つけた。
黒い毛色に丸太のような大きな腕。
潰し熊と呼ばれる魔獣だろう。
(あいつらにこんな知恵があるとも思えないが……)
何かがおかしいと心の端には引っ掛かったが、潰し熊自体は一撃で倒せるような相手だ。
草むらから出てヒットアンドアウェイで次の個体を探そうかと片足を踏み出しかけ
『ちゃんと、無事に帰ってきてくださいね』
ミツバの言葉が思い出されて足を止めた。
きっと、ほんのかすり傷でも負えば彼は心配し、泣いて悲しむことだろう。
約束を守れない男だと思われること自体もロルフは嫌だった。
(無傷で帰ってやろうじゃねえか)
熊に気付かれないように魔力を編み込む。
全身を赤色の光が包み込む。
『厄災は避け、敵の手は目前で止まるーー完全防御』
光は弾けてすぐに消えたが、魔力の編み込まれた薄い膜のようなものが全身を覆っているのを感じる。
「さて、銘入れ以来の初陣てことになるのかね、『相棒』」
鞘から外した大きな鉈剣が、嬉しそうに青色の光を放つのが見えた。
その光がロルフの全身に溶け込み、手足が羽のように軽くなる。
「行くぞ!」
すぐ近くにいた黒い熊の元まで一足飛びに駆け寄り、首元に鉈剣を突き立てそのまま首を跳ね飛ばす。
「あと二匹……」
言いながら気配のする方向を見て、ロルフは一瞬だけ動揺した。
黒ではなく、赤い毛皮の熊が二頭。それも、先程倒した一頭の二倍から三倍は大きい。
ーーオ゛ォオ゛オ゛オ゛オ゛オッ!!
二頭の熊が同時に吠えた。
その咆哮そのものに質量でもあるかのように全身がビリビリと痺れ、頭を揺らす衝撃がある。
「……っつう……防御かけててもこれかよ……」
だが、防御はまだ破られていない。
ロルフもまだ無傷だ。
「無事に!帰るって!約束したんだよ……!!」
魔力と精霊力の乗算された足が地面を蹴る。
呼応した鉈剣が青く光り、オォオンと大気を震わせるような振動を生み出す。
「……っお、らぁ!!」
下から切り上げた鉈剣が熊の脇腹を裂き、そのまま勢いで腕と頭の半分を両断してしまう。
「……っうお、手応えが殆ど無え……」
まるで空振りしてそのまま戻ってきたかの勢いで半回転して戻った大刀に、思わず目を瞠る。
しかしその刀身にはべったりと返り血が付着しており、実際に目の前の熊は倒れているのだから、確かに今しがたロルフが切ったのだ。
「おい、ちっとは加減しろよ……手応えなさ過ぎて不安になるぜ」
手にした鉈剣に声をかけると、まるで分かった、とでも言うようにフォンっと光る。
刀に切れ味を加減しろと注文をつけるのもおかしな話だが、何しろこれでは何を切っているかも分からない。
一方、仲間を一刀の元切り捨てられた熊の方は穏やかでなかった。
ロルフの方を真っ赤な目で見つめギリギリと歯軋りをしながら「う゛るるるるる……」と低い唸り声を上げている。
ロルフは気付かなかったことだが、誰もが苦戦した彼等の咆哮を至近距離で聞きながらほぼノーダメージでいたことも、熊を混乱させた一因であっただろう。
熊は警戒するように四本足でウロウロとロルフの前を歩く。
互いに攻撃の為に距離を詰める時が最も隙が大きい事を分かっている。
熊はロルフの大刀を警戒して左側へ回ろうとし、ロルフはそれをさせないように位置を動きながらも距離を保っている。
ロルフの方が一撃の威力は大きいが、立ち上がった熊を攻撃するにはリーチがやや短い。
熊よりも先に動き出して、攻撃される前に間合いに入れるかどうかが肝だった。
だが、なんと膠着状態を崩したのは熊だった。
踏み出す前足が地面を大きく掻いて土を跳ね上げる。
「うおっ……」
舞い飛ぶ砂礫に思わず顔を覆ったロルフは、熊が目潰しなどという手段を選んだ事に驚愕して反撃の機会を逸してしまった。
大きな爪が横殴りに迫る。
「『俊歩』」
脚に魔力を込めてロルフの姿が消える。
熊の爪は地面を抉った。
「『愛刀』!!」
熊の背後へ回ったロルフが大きく声をかける。鉈剣がオォンと大きく音を鳴らした。
しかし、トップスピードから遠心力を使ったロルフの一撃を赤い熊は大きく飛んで避けた。
太い腕を擦りはしたものの致命傷には至らない。
ーーオ゛ォオ゛オ゛オオッ!!
響く咆哮に、ロルフの全身を覆っていた『完全防御』の防護膜が剥がれて散った。
だが、その咆哮する仕草の隙は大きい。
グラつく頭を押さえながらも『防御』が最後に生み出した機会を得て魔獣へ迫る。
大きく一閃する鉈剣は赤い毛皮の腹を切り裂き、光が駆け上がって吠える頭蓋を真っ二つに叩き割った。
「っ、と……」
その熊はなんと恐ろしい事に頭蓋を割られた後でも腕を振り上げロルフを叩き潰しに来たが、それを紙一重で避けたロルフが更に首を横へ切り落としたらようやく動かなくなった。
「……はぁ、ヤベェ奴だったな……」
気まぐれに『完全防御』などかけていなければ、どれほど苦戦しただろうかと胸を撫で下ろす。
しかし、ロルフはまだその熊の『ヤバさ』というものを分かっていなかった。
分かったのは、背後からダカッダカッと蹄の音も高らかにウーヴェが駆けてきた後だった。
敵の掃討を察知して駆けてくるには早過ぎると思って見上げた相棒達は、山の勾配を利用して、駆け下りてきながらロルフの真上へ跳んで来たのである。
それも、太い前足が確実にロルフを踏みつける位置である。
「うおっ!?」
慌てて横へ飛び退ったロルフは受け身を取ってすぐに起きる。
そして見たのは、興奮状態でロルフを威嚇するウーヴェとその背にしがみつきながら真っ青な顔をしたミツバだった。
「おい!?」
何があった、と問いかける前に反転したウーヴェが後ろ足で蹴り立てようとして来る。
「待って……駄目だ、ウーヴェ……。ロルフ、おかしいんです、ウーヴェも、僕も、おかしい……凄く怖くて……っ、……」
手綱をぎゅっと握ったミツバが真っ青な顔で泣きそうになりながら首を左右に振る。
それでロルフはようやく、あの熊の咆哮で『完全防御』が剥がれた理由に思い当たった。
物理的な衝撃のためなどではない。状態異常付与効果があったのだ。
「……えーと、なんだっけか……」
だが、ロルフは肝心の状態異常解除魔法の呪文をド忘れしていた。
何しろ長いこと一人で旅をしていて、他人の状態異常を解除するという場面が無かったのだ。
「ミツバお前、魔術書とか読んでねえのか!」
「魔術書!?」
「辞典!魔法の呪文辞典!解呪魔法!」
それは本当に、奇跡だった。ミツバが詩集だと思って読んだ本の中に、初級魔術書が含まれていたのだ。
「あ、解呪魔法……平穏、『森に潜む影、穿つ雨の中、平穏を取り戻せ……』」
ロルフはミツバがその呪文の片鱗でも覚えていれば自分が思い出して唱えられるかも知れないと思って言い出した事だった。
しかし、ミツバは完全な発音の呪文、それも略式されていない補完された完全呪文を紡いだもので、魔力の操作など何一つできないミツバからドッと緑と黄色の入り混じったような光が溢れ出し、ミツバ本人とウーヴェに降り注いだ。
「うわぁっ!?」
これに最も驚いたのはミツバだった。
降り注ぐ光にウーヴェが後ろ足で立ち上がる。
ロルフは急いで駆け寄って、鞍から落ちかけたミツバを支えてウーヴェの手綱を引き直した。
「ミツバ落ち着け。ウーヴェも。……よしよし、よく頑張ったな」
ミツバの胴体とウーヴェの首とをそれぞれの手に抱えて、落ち着かせるようにとんとんと叩く。
「……ろるふ、……ぼく、これ……」
真っ青な顔色のまま泣きそうな顔でロルフの肩へぎゅっと縋ってきた大事な人は、泣きそうな顔のままふっと意識を失ってしまった。
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パチパチ、と焚き火の爆ぜる音で三葉は目を開けた。
視線を動かすと暗がりの中で金色が焚き火に照らされて夕焼け色になっていた。
「……ろるふ?」
まだ回らない口で茫洋としながらも名前を呼ぶと、ニッと歯を見せて笑った彼はまた三葉の頭をよしよしと撫でる。
子供じゃないのになあと思いながらも、撫でてくれる大きくて温かい手が心地良くて何も言えなかった。
「何があったか、覚えてるか?」
優しい口調の問いかけに、三葉は横になったままこくんと頷いた。
「遠くから、獣の声みたいなのが聞こえて、そうしたら急に何もかも怖くなって……ウーヴェも、そうみたいでした。……それで、怖いのに声のした方に行かなきゃいけない気がして……行ったら、ロルフがいて……ロルフを見たら、ロルフも凄く怖いものに見えました。僕、ロルフは怖くないって分かってるのに、それがおかしな事に思えて……多分、ウーヴェもそうだったんだと思います……ずっと、すごく、怖がってた……」
「……なるほどな」
「ごめんなさい、僕……君は僕の恩人なのに……」
ぐっと歯を噛みしめて震えながら謝る男の頭を、ロルフはもう一度よしよしと撫でた。
「俺も細かい事は分かんねえけど、そういう状態異常だ。そういう魔獣もいるんだ」
「そう、なんですか……」
「それに、『恩人』なんて他人行儀な事言うなよ」
優しく撫でてくれていた手のひらが、急に三葉の額へズビシと手刀を落とした。
勿論、ちっとも痛くない程度に加減されての事だが。
「あんたがいなけりゃ、俺も危なかった。……頼りにしてるぜ、『相棒』」
ニヤッと笑われて、またもや頭をわしわしと撫でられる。
それで、その時になってやっと、三葉はミョルニルに紹介された『相棒』という呼び名をすとんと受け入れる事ができた。
「僕、君の役に立ちたいって思って、良いんですか」
「なんだそれ?」
三葉の控え目過ぎる申し出を、ロルフは一笑に伏す。
「役に立つも何も、あんたが居なけりゃ困る」
「君は、超一流の冒険者なのに?」
「一流は人に頼っちゃいけないとでも?」
「だって僕はこんなに何もできないのに」
「そんな事思ってるのはあんただけだよ」
三葉は、横になっていた身体をゆっくりと起こした。
全身が鉛のように重たかったけれど、これは寝転んだまま言うことではないと思った。
「……あのね、ロルフ。僕はね、……ずっと、君の役に立ちたかった気がするんだ」
正面から見た茜色の瞳が、丸くなってぱちぱちと瞬いた。
「でも、この通り。力も弱いし、おじさんだろ。……でも、だけど、こんな僕でも君の助けになりたいって、支えたいって、思って、頑張っても、良いかい?」
自分より強くて若くて何でもできる獅子のような青年のために、弱くて何も知らない自分ができることなど無いと思っていた。
だから邪魔にならないように、自分が自分でできるだけのことをして、彼が自分のやりたいことをやる、足枷にならないようにと思って過ごしていた。
けれど。
「僕ねえ、本当は、君の隣に居たいみたいだ。だから、君がどこかへ飛び出す時は、僕も連れて行ってくれるかい?」
金の獅子のような気高い彼が子供のような泣き笑いの顔で大きく頷くので、それで三葉も少しだけ滲んだ涙を拭いて笑った。
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その夜、三葉はロルフにぎゅっと抱きしめられて眠った。
「……って言うか、むしろ今まで、俺がどこか行く時は置いて行くと思ってたのかよ」
と仏頂面で言うロルフに上手い返答が返せず、完全にヘソを曲げられた結果だった。
「俺、あんたの事はすげぇ大事にしてたのに……いざとなったら放っぽり出してどこか行く薄情者だと思われてたのか……」
なんて言いながら両手で顔を覆って泣き真似までされて、あわあわとしながらこれは自分の気持ちの問題でなどとアレコレ言い訳をして。
「あの、だ、大事にしてくれてた事は分かってますよ……」
「本当にか?」
「そりゃあ、最初から親切でしたし……」
「親切と大事にするのは違う!」
「ええ、違うんですか……?」
「違う!酷ぇ!傷ついた!」
などと言って、なんだか半分くらいはロルフの冗談だと思うのだが、ともかく三葉の背中に抱きついたロルフが離れなくなった。
そうしてぎゅっとくっつかれたまま、昼の間に起きた不思議な魔法の話などもした。
曰く、魔法というものは呪文と思考と魔力の操作から成り立っており、あの時の三葉は魔力の操作は全くできなかったものの完璧な呪文と『この状況をなんとか解除しなければ』という思考とが合致した結果魔法という現象が起きたらしい。
一般的には魔力の操作を行う事で呪文を短くしたり、威力を上げたり消耗を少なくしたりすることができるらしい。
また、ただ呪文を読み上げただけでは魔法など発動しない筈なのだが、キチンとした魔法操作を習うまでは呪文を唱えるのはやめておくようにと言われた。
それと言うのも、三葉自身の魔力量があまり多くなく、操作性が低いまま強い魔法を発動すると最悪死んでしまう場合もあるのだということだった。
力の強いくせに三葉が苦しくない程度に加減してくれるロルフの体は温かくて、昼に魔法を使ってしまった反動や疲労もあった三葉はすぐにうとうとと眠たくなってしまった。
「……君はまた、怒るかも知れないけどね……」
うとうととしながらも言葉を紡ぐ三葉にロルフが目を瞬いた。
「こうして君にぎゅっとされるのも、僕は好きみたいだ……」
そう言ったきり、続きの言葉は無く。
しばし待ってもわずかな寝息が聞こえ始めただけだった。
「……????、」
怒る要素が出てくるのかと身構えたロルフは特大の爆弾を落とされて「?」を顔に貼り付けたまま固まった。
それは、あれか?これからも毎日ぎゅっとして寝て良いという事か?そして何が怒る要素だったんだ?
当然の結果だが、それらに想いを馳せ今腕の中にいる彼がこうされるのが好きなのだという事実を咀嚼している間に夜は明け、ロルフは全く寝られなかった。
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えっ……結婚してしまった……(してない)




