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おいしいものは腹の中

 目を開けた時、真っ赤な壁の中にいるのだと思った。そして次には、何か大きなものに飲み込まれたのだと思った。

 硬いとも柔らかいとも言えないものが自分の脚を捉えて引きずり込もうとしていた。

 全身を押し潰すように赤い壁が迫ってきていた。


 ぎちり、捉えられた足首が嫌な音をたてて、背筋にぞっと怖気おぞけはしった。


「ーーっ!!やめてくれっ!嫌だ!!」


 動かせぬ脚で必死にもがき、迫る壁を押し返す。


 すると、まるで言葉でも分かるかのように、へし折れそうだった脚を掴む何かの力が緩み、押しつぶそうとしていた壁がぴたりと止まった。


「……、……はっ、……、……」


 助かったのか、と思考が巡る前にぼろりと涙がこぼれた。

今更ながらにがくがくと震えだす体に思わず自分で苦笑をこぼしながら、ふと壁の向こう側から光がれていることに気付いた。


「……、……そうか、光が無ければ、赤く見えるはずが、ないんだ……」


 それならばこれは、なにものかの体内であるわけもなく、自分は何かに食われたわけでもないのか、と、三葉はやや茫然とした頭でどうにか考えた。

 そうして気付いてから、顔にかかっていた眼鏡を拭き直し周囲をよく見回すと、赤い壁だと思っていたものが、どうやら太いツタのり集まったものらしいということが分かった。

 ツタと言っても三葉の手首ほどもあるような太さだ。それに、奇妙にぐねぐねと柔らかい。

 しかし、確かに枝のような節があり、動物的な温度は感じられなかった。

 けれどそれがどこから来てどこへ繋がっているのか、ツタの向こうがどうなっているのかは、三葉には分からなかった。

 ツタを掻き分けようとすると、まるで生き物のようにツタがうごめき三葉の前をはばみ、脚を絡め取っているツタもまるで三葉の脚を引き留めるようにぐいぐいと下へ三葉を引くのだ。


「、ぁの、……あの!脚を、離して頂けませんか!」


 先程の言葉に反応したような様子から、今自分を囲むツタか、もしくはその外に、言葉を理解するものが居るのではないかという予想を立てて大きめに声をあげる。

 しかし、結果はかんばしくなかった。

 むしろまるでイヤイヤをする子供のように余計に脚をぐいぐいと引かれ。


「ーーあっ、」


 そのまま、ズルっと引き込まれるようにしてツタの海に溺れた。


「……ぅぐ、」


 全身をツタに絡め取られながら、ずるずるっと下へ引き込まれていくのが分かる。

植物のようなのに、それは奇妙に動物の蠕動ぜんどう運動じみた動きで。これは案外、植物に食われて死ぬという可能性もあるのではないかと三葉に思わせた。


(このままツタに引き込まれて落ちた先は消化液、とかだったりするかもしれない……)


 あまり楽しい想像ではないが、どう力を入れても身動きできないこの状況では、最悪の覚悟をしている方がまだ心の安寧を保てるというものである。


(ウツボカズラのような物だったら、内側からどうにか破けないかなぁ……食人植物だったら、人では壊せないように進化してしまっているかな)


 ずるずるとツタに這われる感触に眉を寄せていると、ふっと足元が軽くなった。


落ちる。


 思った時には既に何かに足がついていて、しかし突然のことにバランスを取れなかった三葉はツタからずり落ちるようにそこへへたり込んだ。


「……」


 落ちたそこも、ツタの上だった。

正確には、木のうろのような場所に、先程と同じような赤いツタがひしめいているのだ。

 少し広い場所に出られた三葉は開放感に大きく息をついた。しかし、まるで三葉の大きさにあつらえた鳥籠のように、わずかな空間を開けてまたツタが壁となっているのだ。

 先程のような圧迫感は無くツタの隙間には光も漏れるが、三葉1人通れるような隙間は見当たらない。

 ツタをもう一度掻き分けようとしてみたが、やはり触れたそばからぐっと硬さを増してより集まり、隙間を開けさせまいと迫ってくる。

 三葉は大きくため息をつきながら、先程ツタに引き込まれた時に大きくズレた眼鏡をかけ直す。壊れたり曲がったりしていなかったのは幸いだった。


「……しかし、腰だけでなく脚まで痛めてしまって。……はぁ、どうしたものかな」


 言いながら壁際で座り込んでいたら、どこからともなくツタが寄ってきて三葉の腰をぐるりと巻いた。


「えっ、」


 何をされるのかと身構えたが、鳥籠状になった中央の辺りにぐいっと引き戻され、今度は別のツタがまるで痛み加減を見るかのように三葉の足や腰にひたひたと触れてくる。


「……やっぱり言葉、分かってたりします?」


 聞いてみたが、返事は貰えなかった。

腰の辺りに巻きついたツタも一向に離れる気配が無く、子供が駄々を捏ねて腰にしがみついてきているようなのを想像すれば可愛く思えなくもないが、控えめに言ってもハーネスを繋がれたペット側の気分の三葉である。


「……離して、頂けないんでしょうか、やっぱり」


 声をもう一度かけてみたが、腰の拘束が強まっただけだった。


(あの状況から考えて、『精霊』というのが宿った植物なんでしょうか……)


 遅れ馳せながら、自分がここへ来る前のことを思い出す。

自分は確かに、何かに呼ばれ、求められてここへ落ちてきたのだ。


(これが『愛』なんですかねぇ……)


 腰に巻きついたツタに触れてみるが、やはり木のようなザラつきしか分からない。


「……あなたがたは、僕を愛して下さるのかも知れませんがね、僕は人間ですので、飲まず食わずでは死んでしまうのですよ。……死んでしまうって分かりますか?一緒に居られないという意味です」


 望み薄とは思いつつも、そのザラついたツタを撫でながら話しかけて説得を試みる。すると、わずかに壁に隙間ができた。これはもしや、説得を続けたら出られるのではないかと淡い期待を抱いたのだが、そこからおもむろに真っ赤なリンゴのような果実が押し込まれてきてまた元通りに隙間が塞がった時に、ぞわりとした恐怖と共に悟った。


 ああ、この人語をかいする何かは僕を飼うつもりなのだ。


「……いっそ、毒があれば良いのに」


 赤というよりも赤紫に近く見える色味の果実を掴み上げ、軽く投げては掴むのを繰り返す。

 投げた重みも掴む感触も、リンゴのものに近いと思う。

 与えられる物を食べずにいれば外へ出しては貰えないだろうかと少しばかり考える。

 しかし、それはやるとしても最後の手段にするべきだろう。空腹では頭は回らず、身体は動かない。


 がぶりと果実をかじると、食感はリンゴのようだった。しかし日本で食べるものよりも筋張っていて、甘いというより苦くて酸っぱかった。

 そうして食べにくい果実を歯で削り取るように食べ切る頃には、酷くくさくさした気分だった。

 よく分からない巨大な何かに捉えられ、木の欠片のような果物を与えられて生き延びるのだ。人の尊厳などあったものではない。

 気が立ち過ぎて妙に腹のわってしまった三葉は、自分の腰に巻き付いているツタをベシリと思い切りひっぱたいた。


「いつまで巻き付いてるつもりです?犬ではないんですよ、僕は」


 それに驚いたようにビクッとなったツタだったが、今度はイヤイヤというようにぐねぐねと揺れる。うぐっ、と息の詰まった三葉である。


「良いから離しなさい。逃げやしませんよ」


 可能な限り声を落ち着けてもう一度ツタをペシペシと叩くと、ようやくスルリと腰から離れた。


(正確には逃げないと言うより、『どうせ逃げられない』ですけどね)


 心の中では思いつつも、置かれた中央辺りにでんと胡座をかく。


「僕を飼うと言うなら、食事と水を持ってきてください。言ったでしょう、人間はすぐに死にますよ」


 自分の命を引き合いに出して食事を強請ねだる。我ながら何様かと思うが、こんな扱いをされて下手したてに出るのも馬鹿馬鹿しい。


 その上言ってみるもので、まるで焦ったように壁の隙間からわさわさっと様々な果物が差し入れられる。

 その見た目は見知った果物に似たものから何か分からないものまで様々だが、一様に赤い色をしていた。


(……ちゃんと食べられる果物なんだろうか、これ)


 少々不安を覚える三葉である。

 しかし落ち着いてよくよく考えてみれば、最初に食べた果物が苦くて酸っぱい時点で放り出さなかった三葉も三葉だったのだ。

 味覚の苦味と酸味は毒や腐敗や未熟な果物を判別するためにあるというのに、人間社会の食生活に慣れていたばかりについ黙って食べてしまった。実際、我慢できないほどというわけでもなかったからなのだが。


(つまり、既に食べたあの果物に毒がある可能性もあるので、心配しても今更ですね)


 どうせ毒の有無など当たってみなければ分からない。

出された果物を端から口に入れ、食べ方の分かる限り食べた。

 一応、食べられないと思うほど苦いものや酸っぱいものは拒否してその旨を訴える事にした。


(こんな風に飼っておいて、人間の食べられるものが分からないなんて無責任な事を言われても困ります)


 葡萄のような何かを口に入れながら、ふと自分が何に腹を立てているのか理解した三葉である。


 この、『精霊』だかなんだか分からない『何か』は、扱い方も知らないのに犬を飼いたいと駄々を捏ねる子供にしか見えないのだ。

 人間を愛しているのだかなんだか知らないが、その人間がどれほど壊れやすいか死にやすいか何も知らないというのに勝手に遠くから喚び出したり抱き締めたり溺れさせたり埋めたりと、あまりに勝手過ぎる。

 言葉が通じないのかと思っていたが、通じるのであれば尚更である。


「君達は、どうして僕を呼んだりなんてするのです?家族から引き離されて水に溺れて、ようやくできた友から引き離されてこうして閉じ込められて。それが君達の『愛』ですか?あまりに無責任が過ぎる」


 得体の知れない『何か』の腹の中で。腹の満たされたおじさんの説教が始まった。

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