伯爵夫人のツンデレ
途中まで書いていたままでした。きりのいいところまで書いたのでよろしければ読んでくだされば幸いです。
物心ついたころには両親は不仲となり、父は愛人の元へ通い母はそんな父を罵倒し続けた。
昔は仲が良かったという。父が母に惚れて求婚したのだという。
それなのに、家に帰ってくることもあまりない。母には男などそんなものだと、男を信用すべきではないと刷り込まれた。
伯爵家である誇り矜持、男を頼らずに生きていく方法、それらを学び、それが自身の正義だった。
それでも、家を存続させるにはいずれ結婚し、子を残さねばならない。
愛はいらない。
不実を働かぬ人ならばそれでいい。甘い言葉はいらない。うわべだけの称賛、透けて見える下心。伯爵令嬢という肩書に集う男ども。
誰も彼も不愉快だ。
そんな中で見合いをしたのが今の夫、ゼノンだった。ファルコルト侯爵家の次男。
今まで私に言い寄ってきた男とは違い、甘い言葉も称賛も下心もなく、淡々と貴族の義務として見合いに臨んでいたように見えた。
話は弾まなかった。
何を話していいのかもわからなかったし、向こうも特に話を振ってこなかった。
変な沈黙ばかりが落ちたけれど、それほど不愉快に感じることはなかったから見合いの話を進めることに異議はなかった。
婿に来て、レオンハット家次期当主としての仕事ぶりは有能であった。
王宮での仕事も引き続き行う傍ら、家のこともする。堅実で、レオンハット家次期当主としては尊敬さえ出来た。
ただ、夫婦としてはあまり距離は縮まなかった。
そもそも夫婦とはどういうものなのか。どう接すればよいのか。未知すぎてどう対応するべきか混迷を極めた。
夫も同様で、そもそも女性が苦手なのか私という存在を持て余している風だった。
ギクシャクとした夫婦生活、それでも私なりに良き妻というものを勉強した。
出しゃばらず、夫の言葉には粛々と従うように、とのことだったので取りあえず従った。ギクシャク感は変わらなかった。
あとは子を産むこと。これは難航を極めた。
夫は私とあまり接点を持とうとしない。どのように誘えばいいかわからない。
結婚初夜ですら寝室が別だった。当時はそういうものだと思っていたので、侍女の戸惑いが分からなかった。
新婚夫婦は寝室を一緒にするらしいと知って、取りあえず夫の寝室で待つことにした。部屋に入ってきた夫は、非常に嫌そうな顔をした。それが何故か悲しかった。
子供が必要なのだと説明すると、大きくため息をついた後、了承した。
ただし、今日は疲れているから明日にしてくれと。
私は大人しく自分の寝室へと戻った。
なぜか胸が苦しくて、涙がこぼれた。
初めてのことで戸惑ったけれど、夜も遅く一人で静かに泣いていたらいつの間にか眠っていた。
ちなみに翌日は久々に寝坊してしまったけれど、誰も咎めなかった。
夫はすでに出かけていていなかった。
子供が生まれたのはそれから二年と少ししてから。
妊娠が分かってからは、お互いの寝室には出入りしなくなった。
自分のおなかが大きくなるは不思議だった。
つらくはあったけれど、貴族の義務だと弱音は吐かなかった。
生まれてきた子供は、私にとってただただ未知の生物だ。とても小さい。そして、何故泣いているのか分からない。
困惑ばかりでどうしていいか分からない頼りない新米の母よりも、手慣れている年かさの侍女と乳母が何でもしてくれた。
出産直後は体力が落ちていてすぐに疲れてしまう私に代わり、使用人たちが代わる代わる面倒を見ていてくれたから任せていた。夫も同じように使用人に任せて、仕事に集中していた。そうやって日々を過ごすうちに、子供と接する機会が減っていた。
子であるジリルが五歳になり、そろそろ教育をと以前より話をするようになったものの、やはり私にとっては未知の生物であった。
この頃の自分と母はどうだっただろうかと振り返っても思い出すのは父の罵倒を繰り返す母の姿のみ。それを苦痛に感じていたから、私はそんなことだけはするまいと夫のことについては口にしないようにしていた。
息子は無口で無表情であることが多く、やはり何を考えているのかがさっぱりわからない。
父親である夫に似たのだろう、と気にすることもなかった。
それからもずっと息子のことは理解できないままだったし、夫とも相変わらずだった。
時折あるお茶会やら夜会やらが面倒だったこともあり、いつしか社交シーズン以外は領地の屋敷で過ごすようになった。
私の結婚後、早々に隠居した父はふらふらと愛人たちと旅行に出かけたり帰って来たりを繰り返している。母は領地の田舎で静かに暮らしている。母には時折、会いに行っているが父とはもう何年も顔を合わせてすらいない。ジリルと顔を合わせたのは数える程度だろう。
私と夫も、母と父のようにバラバラに過ごしていくのだろうかと漠然と思う。
夫に愛人がいる気配はないように感じる。
でも、いないと断言はできない。
私たちは義務で夫婦となり、義務で子供を作った。今も義務で夫婦をしているだけに過ぎない。
あぁ、まただ。
どうしてか胸が痛い。こういうことを考えるといつもそうだ。
今日は気分を変えて視察に赴こう。手配を頼まなくては。貴族の義務を怠るわけにはいかない。
息子の婚約に関しては本人と夫に丸投げし、私は一切関知していなかった。
そのため、領地にいた私に婚約者が変わったという知らせを受けたのは随分後になってから。相手はダンバール侯爵令嬢ということで、特に疑問にも思わなかった。けれど、それほどもせずにやはりダンバール侯爵令嬢との婚約を取り消す、との知らせが入った。
婚約者が変わることも、婚約が駄目になることも珍しい話ではない。だが、取り消しの連絡はジリル本人からのものだった。そのことが気になって、事情を聞くついでに久々に王都へ行くことにした。社交シーズンには王都へ行くこともあるが、その頃は大抵忙しくしているので夫や息子と会うこともあまりない。
王都の屋敷で使用人たちから聞いたものは碌でもない話ばかりで、思わず久方ぶりだというのに会うなり息子を怒鳴りつけてしまった。
だが息子は淡々と説明をし、冷めた目を向けてくる。
いつまでも息子は未知の生物のままだ。夫も同じように淡々としている。
夫の出してきたダンバールの調査書は禄でもない内容で、言葉を失う。そうこうしているうちに話は進んでいく。
「フェリアは俺の婚約者として、未来のレオンハット伯爵夫人として落第点を取ったことはないはずだ。この際なのではっきり申し上げておきますが、例え今回以上のいい話があったとして、彼女以外を妻とする気はありません。我が儘を言っているつもりはありませんよ、別に教養も常識もない人を妻にすると言っているわけじゃないのだから。そもそもこの話も結果、勇み足も良いところであったわけです。下手に高望みをするべきではありませんよ」
正論だった。
別にあの子がダメだったわけではない。問題はなかった。
だけど、損はしないが特段得もない相手だったから。
「確かにうちとは合わないだろうし、婚約破棄は正しいのだと思う。だが、確かにフローラ嬢は、お前を好いてこのような強引な手段に出たということはわかっているんだろうな?」
「はっ……何を言い出すかと思えば、父上らしくもないことを」
「…………私だからこそ、だ」
苦笑をこぼして、一瞬こちらを見た夫の視線。
その苦笑の意味は何だろうか。好きだから婚約したかった、ダンバールの令嬢。好きでもないのに結婚した私たち。そこに、何を思ったのか。
「俺は、フローラ嬢が嫌いですよ」
思いがけず強い言葉が息子の口から発せられた。
自身が嫌いだと言われたわけではないのに、まるでそう言われたかのようにどきりとした。
好きだとか愛だとかは必要ないのだとはっきりと言われた気がした。
だが、その直後。
「俺が好きなのはフェリアです。フェリア以外の愛など一欠片も求めてはいませんよ」
それこそ、思いがけない言葉だった。
驚いて顔を上げて息子を見る。
やはりいつも通りの無表情……のはずだった。
だけれど。
こんなにも、強い目をしていただろうか。冷たく凍えるような表情の奥で、ゆらりゆらりと炎が揺れているような気がした。
得体のしれない、未知の生物だと思っていた。
今もまだよくわからない未知の生物のまま。
でも、あぁ、そうだ。
この子はいつも、フェリアが来れば誰に言われるでもなく迎えに行き、同じ時間を過ごしていた。フェリアのもとへ赴き、時に贈り物をして。
貴族の義務としてだと思っていたが違っていたのかもしれない。
私たち夫婦がそうであったからそうなのだと思い込んでいた。
この子には、好きだと思える人がいたのだ。
息子は未知なる生物で、到底理解することなどないのだろうと思っていた。
「お義母様、お時間がありましたら一緒にお茶などいかがでしょうか?」
結婚後、義娘となったフェリアの誘いもあり息子や夫と話をする機会が増えた。
賑やかな家族団らんには程遠く、沈黙の時間も多いお茶の時間ではあったが不思議とギクシャクとした雰囲気はあまりなく過ごせた。フェリアはおしゃべるというほどでもないがたまに話題を振ってくる。夫は言葉少なく、私もあまり話が出来るとはいいがたい。
そんな中で、息子はフェリアを気遣いフェリアはそれに幸せそうに微笑む。
その幸せそうな笑顔に、息子は本当に分かりにくいけれどやはり幸せそうに微笑むのだ。
その二人のやり取りを見る夫もまた、穏やかに笑っている。
どこか似た夫と息子の笑顔に、どうしてだかたまに泣きたくなる時がある。
胸が痛くて、悲しいわけではないのだが泣きたくて、笑ってしまいそうな気分だ。これはなんなのだろうか。
二人が留守でフェリアと二人のお茶の時間に、ポツリと零してしまったその気持ちに。
「お義母様は嬉しいのではないですか?」
などと言われて首を傾げていると。
「お気づきではなかったですか? ジリル様はお義母様に目元が似てらっしゃいますから。お茶の席でお二人を眺められている時のお義母様の目の動きはジリル様が嬉しい時とそっくりですよ。いつも気難しそうに仕事していらっしゃるお義父様が笑っていてジリル様を慈しんでいるのが嬉しいのではないですか?」
「あの人が、笑っていて……?」
「ふふ、お義母様はお義父様が愛しくて仕方がないって顔をされていらっしゃいますよ。ジリル様にそっくりなので私にはわかります」
「……な……いと……え、な……」
「お義父様は女性が苦手でいらっしゃるとか。ご負担になりたくなくて、無意識に距離を置かれていらっしゃったのではないですか? ジリル様のことも、最近では愛していないのではなく愛しているからこそ子供のことを知らないご自分よりも乳母の方や教育出来る方に任せたほうがジリル様のためになるとお考えだったのではないかと思うようになりました」
そんなことはない。
私は男性が苦手で、子供も未知の生物だったから。
「いえ、過去のことは私が口を出すべきではありませんでした。お義父様のことは、一度ゆっくりお二人でお話になるのもいいかもしれません」
夫とゆっくり話す。
領地のことや家のこと以外で話をしたのは最近ではジリルの結婚のことくらいだった。
「お義父様は目の細め方がジリル様とはそっくりなのです。生意気なことを言うようですが、きちんとお互い目を見てお話してみてください」
目の細め方……
そういえばじっくりとあの人の目を見て話をするなんてことはどれほどあっただっただろうか。
レオンハット当主として尊敬していたし、嫌いだとは思わない。
だからいってフェリアの言うような、い、い……しいという感情とは思わない、はず。
だって、これでも長年夫婦として過ごしてきたのだ。
いまさらこんな、そんなのはきっとおかしい。もしそうだとしても、それはきっと夫にとっては煩わしいものでしかない。
けれども。
その日屋敷に戻ってきた夫を目にすれば心臓が早鐘を打ち、顔に血が集まってまともに声もかけられなかった。
ツンデレ、とは違う気もします。