総員、傾注ッ!
「こっ……この期に及んで……領主さま、すぐにこやつを捕らえるべきですっ」
セザルがヒステリックに叫んだとき、野太い声が会場に響いた。
「お待ちください──っ!」
剃り上げた頭に、太い眉。分厚い胸板の男が、会場の入り口に立っていた。
領主のアフォンソは、むぅ、とうなった。
「そなたは、ナザリオ家の……」
「エンゾでございます。大切な宴の席に、申し訳ござりませぬ。しかし、先ほどのセザル・ダヴァロス氏の申し立てについては、どうしても領主さまのお耳に入れたいことがございます」
「ふぅむ……客人の前とはいえ、こうなっては、もはや咎めだてはせぬ。申してみよ」
「はっ……」
エンゾが、おいっ、と呼びかけると、屈強な若い漁師たちが目つきの悪いゴロツキを追い立ててきた。
「この者たちは、地方官さまの配下を名乗って、南海岸の漁師たちを脅していた男どもです。一帯の漁師たちの協力で、酒場でくだを巻いているところを引っ捕らえてまいりました……おい、顔を上げないかっ」
床にひざまづいたゴロツキたちは渋々、顔をあげる。
黒髪のパウロは、厳しい声で訊いた。
「お前たちが地方官の指示で動いていたというのは、本当か。言ってみろ」
「そっ、そうでさぁダンナ。オレたちは地方官さまの、直々のご命令で仕事をしただけなんで……もっ、文句がありなさるなら、地方官さまに言っておくんなせぇ」
「なるほど、そうしよう。では、その地方官とやらを指差してみたまえ」
「えっ……」
「どうした。直接、地方官の命を受けたのだろう? さあっ、早く差さないかっ」
「へっ、へへぇっ……」
急かされたゴロツキたちは、全員がバラバラな出席者を指差した。
「これは……いったい、どういうことだ?」
領主がキツネにつままれたような顔をしたとき、ホールの向こうでは大柄な男がナプキンを外して、そっと席を立とうとした。
「……どうされました、ペドロさん」
斜め向かいに座った、オ・ポルトの経営者アルトゥールが柔和な顔で訊ねる。
大男のペドロは、ごく静かな笑みを返した。
「ちと、小用を思い出しましてな。このあたりで失礼を……」
「そうですか? しかし、まあ、そうあわてることはありますまい」
「む……」
ペドロの席の背後には、いつの間にか黒髪のガッチリとした給仕係と赤毛のメイドが陣取って、身動きが取れなくなっている。
アルトゥールは、にこやかに言った。
「もう少し、おいでになられたほうがいい。今日のデザートは、 銀海岸の歴史を変えますよ──」
主賓のテーブルでは、セザルがワナワナと身を震わせながら言った。
「ちゃっ、茶番だっ……オラビーデ、貴様ッ、事前にこやつらと申し合わせたのだろうっ」
「それは苦しい言い訳ですね」
背後から冷ややかな声がして、セザルはガバッと振り返った。
ツンとした貴族的な顔立ちの修道士が、厳しい目つきでこちらを睨んでいる。
その横では丸メガネの修道士が、深くうなだれた男の背を支えて立っていた。
「なっ、なんだお前たちはっ」
「わたしはアルコア修道院で財務を担当する、マテウスと申します。こちらは、同胞のブラザー・エリアス……そして、ご同行を願ったのは、地方官さまの下で出納係を勤めておられるピレス氏です。平素、修道院へのご寄進を届けてくださるのが同氏ですが……資金の一部を、毎回、別の場所に届けていたことを告白されました。そのすべては、あなたの指示だそうですね、ダヴァロス殿」
真っ青な顔をした行政官のピレスは、声を絞り出すように言った。
「もっ……申し訳ありません、オラビーデさま……手を貸せば、父が作ったダヴァロス家への借金を帳消しにしてやると言われて……」
セザルは、目を血走らせて叫んだ。
「ええい、黙れだまれっ! 領主さま、これは罠ですっ……再び、我が一族にすべての罪をなすりつけようと、この者たちが──」
「もうよい、やめぬかっ!」
「りょ、領主さま……」
「セザル・ダヴァロス! 逆恨みからオラビーデ卿を陥れようと策を弄したようだが、卿のほうが一枚上手だったようだな。不正を働くだけでは飽き足らず、賓客の前で領地の恥をさらすとは言語道断。厳しい処置を覚悟するがいい……誰か、こやつを連行せよ!」
「うう……なぜだ……計画は順調だったのに……どいつもこいつも、なぜ、わたしの邪魔をするっ……」
床に崩れ落ちたセザルを、駆けつけたふたりの衛兵が両脇から抱えて引きずっていく。
ホールの空気はいっきにゆるんで、客たちがざわつきはじめた。
領主のアフォンソは、ふう、と息を吐く。
「オラビーデ卿、そなた、こうなることを読んでおったのだな。手回しのよさに驚いたぞ」
「いえ……見抜いたのは、わたしではありません」
「卿ではない? では、いったい誰が──」
「そうですね……天から舞い降りた聖女、とでも申しましょうか」
そのとき、すっとんきょうな女の声がホールに響いた。
「あれぇ? あんたたち、なーにやってんのよぅ?」
セザルを連れ出そうとしている兵士たちの行く手をさえぎるように、メイドが立っていた。
スラリと長い脚が目立つメイドは、無遠慮に兵士たちの顔をのぞきこむ。
「なっ、なんだお前はっ」
「だぁってぇ、あんたたち、真珠の館の用心棒じゃないのさぁ。そーんな騎士さまみたいなカッコしちゃって、どぉしたの?」
「くっ……人違いだっ、どけ、おんなっ」
「一緒に飲んだ仲じゃないの、つれないわねぇ。忘れちゃったの? ほら、あたいよあたい、アマリリス」
セザルがハッと顔を上げた。メイド姿のアマンダは、ペロリと小さく舌を出す。
「アンタ、ボーッとしてると、お友達に消されちゃうよ?」
「てめぇっ……なにもんだっ」
兵士に化けていた男たちは、セザルを突き飛ばすと、いきなり短剣を抜いた。
ホールのあちこちから悲鳴が上がり、軍人たちが一斉に立ち上がる。
「このアマッ……いや、女っ、邪魔だてすると容赦しねぇ……せぬぞっ」
「アッハハッ、お里が知れるねぇ」
繰り出される短剣を、アマンダは銀のお盆を盾にして、器用にかわす。
バレエダンサーのようにクルリと回転したアマンダは、サッとテーブルの上から金属製の水差しを手に取ると、男のひとりの顔面に叩きつけた。
男がうめきながら倒れたのを見て、商業ギルドのテーブルに座っていたペドロが小さくつぶやく。
「潮時、か……」
「なに?」
カクタスが聞き返すと、ペドロがふいに大声を出した。
「海軍のみなさまっ、お助けくださいっ! 従業員に賊が紛れ込んでいますっ、わっ、わたしの後ろに立っているふたりも、タダ者じゃないっ。どうか、お助けを──!」
「このっ……どこまでも悪知恵の働くやつめっ」
カクタスが眉をしかめたとき、海軍の若手将校が興奮気味に飛びかかってきた。
黒髪の騎士は、青年の拳を軽くいなすと、腕を背後にひねりあげて野太い声を出す。
「鎮まれっ、我らは敵ではないっ……通りすがりの給仕人だ」
「うっ、嘘をつけっ……こんな給仕人がいるもんかっ」
ペドロの思惑通り、ジリジリと距離を詰めてくる軍人たちを見回して、スキュラはハァ……と溜め息を吐いた。
「まったく……それでも貴殿らは、緻密な戦況分析で知られる帝国海軍の軍人か。敵対すべきは誰か、まずよく観察してだな──」
「バカめっ、言葉だけはもっともらしいが、その格好で言われても不審でしかないわっ」
「なっ……わたしのメイド姿が不審だと? 貴様ら、命は惜しくないようだな──っ」
混乱が広がるホールの一画で、アマンダはまだ、残るペドロの手下と打ち合っていた。
先に倒れたひとりと違って、この男にはスキがない。それに……体格差がありすぎる。
太い腕から繰り出される一撃一撃がズンと響いて、さすがのアマンダも手に痺れを感じはじめていた。
「ムンッ──」
一瞬のスキをついて男が放った裏拳が、アマンダの持つ銀のお盆を弾き飛ばす。
その刹那、無防備になった胴体めがけて男の短剣が突き出された。
《避けきれない……っ》
アマンダの背筋に冷たいものが走ったとき──
バキンッ……と強烈な音がした。
気配もなく脇から現れた影が、男の手から短剣を叩き落としたのだ。
「ガァァッ……手がっ、オレの手がっ」
奇妙な方向に曲がった手首をおさえて、大男は絶叫する。
アマンダはギョッとして、猫のように後方に飛びずさった。
「だれっ」
「落ち着け……オレだ」
「あんた、トビー……?」
大公家の影……入り江の丘でトビーと名乗った青年が、毒気のない顔で肩をすくめた。
変装のつもりなのか、青年貴族のような黒い夜会服を着込んではいるものの、その胸元は分厚い筋肉に押されて今にもはち切れそうになっている。
乱れた髪をかきあげて、アマンダはフン……と鼻を鳴らした。
「仕事の横槍を入れられるのも趣味じゃないって、言っとくべきだったわね」
「ツンツンすんなよ。力仕事なら、アネさんよりオレ向きだろ」
「だいたい、何の気まぐれよ。ダールの一族が守るのは、お姫さまだけのはずでしょう」
「んー、そこは、素直にありがとう、でいいと思うぞ? 年上なんだし」
「ちょっ、あんたね──」
ガンッ……再び打ちかかってきた男を殴り飛ばして、トビーは真っ直ぐにアマンダを見た。
「それとさ……ザルだから」
「えっ、なに?」
「Thalってのは、西のやつらの発音。オレの名前は、トビー・アル=ザル……アネさんは、ちゃんと覚えててくれよな」
それだけ言うと、トビーは乱戦状態のバンケットホールに飛び込んでいく。
アマンダは、まだ痺れている手を振りながらボソリとつぶやいた。
「だから……アネさんはって、なんなのよ……」
したたかに酒の入った海軍の軍人たちや、騒ぎを聞いて駆けつけた衛兵隊、さらには客の一部までが入り混じって、会場は大乱闘に陥っていた。
領主のアフォンソやパウロがいくら叫んでも、取っ組み合いをしている者たちの耳には届かない。
飛んできた皿に、丸メガネのブラザー・エリアスが首をすくめて、ヒィッ……と悲鳴をあげた。
そんなとき──
ピィィィィィィィィィィィィィィィィィィッッ!
耳をつんざくホイッスルの音に、人々は圧倒されて口をつぐんだ。
ピィィィィッ、ピッピッ! 笛の号令がかかると、軍人たちは反射的に直立して動きを止める。
号笛を口から離した金髪の貴公子エンリケ提督は、凛とした声で言った。
「総員、傾注ッ!」
ザッ……軍人たちが威儀を正すと、ホール内に張り詰めた緊張感が漂った。
「帝国海軍の精鋭たる諸君が、公の場で乱闘とは、なんという体たらく……嘆かわしくて淑女に紹介もできんぞっ。副長っ、これはいったい、どういう事態か。状況を端的に説明しろっ」
「か、閣下……ええ、これには、いささか複雑な経緯が──」
礼服のボタンが引きちぎられた若い副官は、ゴニョゴニョと口ごもる。
エンリケは深く溜め息を吐いてから、よく通る声で言った。
「いいか、諸君! あちらにおわすお方をどなたと心得る! 畏れ多くも、さきの皇帝陛下のご皇孫にして、ギュアスタラ大公が姫君……そして、貴官らが搭乗する新造艦がその名をいただく、マリア・アントーニア大公令嬢そのひとにあらせられるぞっ!」
なっ、なんですとっ!? と領主のアフォンソが目を丸くした。
「取られたな」「ああ、取られた」……ボロボロになったカクタスとスキュラは、決め台詞を奪われて不満そうにボヤく。
全員の注目が集まった通用口から、キコキコという甲高いノイズが響いてきた。
現れたのは──
配膳用の大きなワゴンをそろりそろりと慎重に押してくる、エプロン姿の銀髪の少女。
「???」
小さく息を吐いたミトは、あっけに取られる人々を前に、困ったような笑顔で言った。
「あの、みなさん……そろそろ、銀海岸特製の、甘いお菓子はいかがでしょうか──?」