第七十回 無力
「ムムッ、無駄だっ! 魔女の魔法など、我の魔法で封じてみせる……!」
「……」
これだけ魔女の放つオーラに圧倒されながらも、まだ強気でいられるラズエルは地味に凄いのかもしれない。さすが、ブルーオーガと呼ばれているだけあるな……。
「あら、じゃあ試してみる? あなたを見た感じだと、風と火に弱そうだけど……」
「……なっ、なじぇそんなことまでえぇ……」
ラズエルの顔が信じられないくらい汗で光っている。弱点を突く的確なリュカの台詞で追い詰められた格好か。それにしてもそんなことまでわかるのは凄いな。長く生きているだけあって、気配だけでどこに弱点があるかまで察することができるのかもしれない……。
「そうね……特別に、本当に耐えられるかどうか試してあげてもいいわよ」
「……へ……?」
「あなたの得意なバリアは何?」
「……わっ、我を舐めてもらっては困る――」
「――何かって聞いてるんだけど?」
「……みっ、水でしゅ……」
プルプル体を震わせながら言うラズエル。魔女のプレッシャーに対して意識が飛びそうになってそうだ。
「じゃあ水魔法を使ってあげるから、早くバリアを張りなさい」
「……わっ、我の結界は自動的だ……。くぉっ、来いぃ……」
「それじゃ行くわよ。《エル・アクア》」
「……ひぇっ?」
リュカの小さな手のひらに水の魔法が出現する。人の頭ほどの氷柱のような水の塊だ。ところが出しただけでそれ以降は何もせず、既にラズエルの周囲には半透明な水色の結界が張られていた。リュカは魔法の立ち上がりも抜群に早いから、結界が張られる前に撃とうと思えば撃てたはず。つまり、律義に結界の強度を試そうってわけだ。
「は、早く来いっ」
「もう撃ったけど?」
「……え……」
信じられない光景だった。リュカの放った水魔法は、ラズエルが喋った直後に結界を貫き、聖所の出入り口まで行ったかと思うと彼女のすぐ背後まで戻ってきていたのだ。
「後ろを見て頂戴」
「……う、うしょ……」
ラズエルは振り返った途端、その場にへなへなと座り込んでしまった。
「……にゃ、にゃんで……初歩の水魔法なんかでぇ……」
「確か、結界術は属性さえ合えば100%防げるんだっけ? じゃあ、なんで初歩の水魔法ですら防げなかったのかしら? 魔女についてのお勉強が足りなかったみたいね」
「……どうしちぇ……」
とうとう涙まで流し始めたラズエル。プライドが木っ端微塵に崩れ去った瞬間に見えた。他人を見下すほど自信があるがゆえに、魔女についての知識が足りなかったんだろう……。
「死ぬ前に特別に教えてあげる。エルっていう古代語は、魔法の威力を上げるだけじゃないの。あらゆるブースト、結界を打ち消す効果があるわ」
「……あひ、あひぃ……」
「あら、頭が変になっちゃった? じゃあ、そろそろ殺すわね」
「……たしゅけて……」
「……リュカ、待ってくれ」
ラズエルには散々バカにされてきたが、殺すには惜しい。
「あら、コーちゃんどうしたの?」
「命だけは助けてやってくれ。悪いやつじゃないんだ」
「……まあいいけど……。そこの結界術師、よく聞いて。もしコーちゃんを通らせなかったら、リンデンネルクごとあなたを消しちゃうから、そのつもりで」
「……は、はいぃっ! ありがたき幸せえぇっ……!」
うずくまって震えるラズエル。そこにはブルーオーガなど存在せず、ただ命乞いをする少女がいるだけだった。
「お礼ならコーちゃんに言いなさい」
「……あ、あ、ありがとうございましゅ。コーゾーどのおぉぉ!」
「……」
やれやれと言いたくなるこの変わりよう。シャイルたちも呆れ顔だ。どこに隠し持っていたのか、木の枝でラズエルのお尻をつつく始末……。
「それじゃ、私はそろそろ失礼するわ。じゃーね、コーちゃん、それに……アトリ」
「……」
リュカがアトリの名前を出したと思ったときには、その姿は忽然と消えてしまっていた。本当に、風みたいな子だな……。
「……コーゾー様、よかったですね……」
「あ、ああ、ありがとう、アト――」
俺はアトリの顔を見てはっとなった。目が完全に死んでいたからだ。
「……アトリ?」
「……はい?」
「……放っておいてごめん。俺が浮かれすぎてたからだな。魔女は仇のような存在なのに……」
「……そんな。違います。私、自分が情けなくて……」
「……情けない……?」
「はい……。だって、こんなにも無力で、コーゾー様のために何もしてあげられないじゃないですか……」
「……アトリ、それは違うぞ」
「……コーゾー様?」
「アトリがいなかったら、俺は絶対にここまで来られなかった。洞窟でリュカが俺たちを見逃してくれたのも、アトリやシャイル、リーゼ、ヤファの俺を思う気持ちが伝わったからだ。強さを追い求めるだけじゃ、本当の意味では強くなれない。それを教えてくれたのが君じゃないか……」
アトリの冷たい手を両手で握りしめる。
「……コーゾー様……私……」
「……アトリ?」
「……私、コーゾー様のことが……」
お、おいおい……。ダメだ、それ以上は……。
「へっくしょん!」
「「あ……」」
ヤファのくしゃみで俺は我に返った。アトリも同じだったらしくきょとんとしてる。
「……もー、ヤファのバカッ。せっかくいいところだったのにっ」
「最低なけだものですわ……」
「しょうがないのだ!」
「……ははっ」
「ふふっ……」
俺はアトリと顔を見合わせて二人で笑った。
「……もう少しだけ、胸の中にしまっておきます」
「……」
ほっとしたような、がっかりしたような……なんとも甘酸っぱい感情が俺の中で渦巻いていた。あー、ドキがムネムネする……。




