第十章 私の普通、みんなの特別
未曾有の危機であった勇者タカシ率いる転生者軍勢の強襲、そして第九演習場の半壊という大惨事から数週間。セフティーヌ学園は、シャルレットが放った「創世再生魔法(本人にとってはただのお掃除)」の恩恵により、何事もなかったかのように美しく元の姿を取り戻していた。秋の澄み渡る青空の下、白亜の校舎にはいつもの穏やかな……否、どこか洗練された緊張感漂う日常が戻ってきていた。
「皆様、ごきげんよう!今日もとっても良いお天気ですね!」
登校風景の真ん中で、栗色の髪を揺らしながら元気よく挨拶を交わすのは、本物語の主人公シャルレット・ル・トロイである。その瞬間、石畳の登校路を進んでいた数百人の生徒たちが、一斉にピシッと動きを止めた。彼らは即座に道を空け、右手を胸に当てて完璧な角度で最敬礼を捧げる。
「「「ごきげんよう、シャルレット様!!!!」」」
地響きのような敬意と畏怖の唱和。かつては「田舎から来た謎の少女」として生暖かい目で見られていた彼女は、今や学園において「歩く至高の神威」「お怒りに触れれば世界ごと綺麗にお掃除される絶対者」として、全校生徒および全教師陣から崇め奉られていた。しかし、当のシャルレットは「まあ、皆様とってもご親切ですのね!」とニコニコ顔でペコリとお辞儀を返すばかりである。そんな彼女の頭の上には、すっかり定位置となった三十センチメートルほどの漆黒の小竜かつて世界を恐怖に陥れた伝説の古代竜ル・レットが、ちょこんと乗っていた。ル・レットは小さな翼をパタパタと動かし、つぶらな紫色の瞳で全校生徒をみおろしながら、鼻を鳴らす。『ふむ……人間どもめ、ようやく主に対する正しい礼節というものを覚えたようじゃな。まあ、以前のように無礼な言動をして手拍子一つで蒸発させられるよりは、賢い選択と言えよう』「もう、ル・レット様ったら。皆様はただ、挨拶の練習をされているだけですよ?私もお父様から『挨拶は社会人の基本』と教わりましたから、もっと上手にならなければいけません!」『……お前の中の「社会人」の定義が、未だに余には理解できんがな』小竜はあきれ顔で溜息をついたが、シャルレットの頭の上が心地よいのか、そのまま丸くなって目を細めた。校舎の二階廊下。 窓からその光景を見下ろしていたのは、魔王長女のクレア・ル・トロイと、その兄レオンハルトであった。「相変わらずね……。本人は本気で『自分は一番未熟な生徒』だと思っているんだから、たちが悪いわ」クレアは腕を組み、呆れたように呟きながらも、その頬を少し赤らめていた。学園防衛戦でシャルレットに助けられて以来、クレアのツンデレぶりに拍車がかかっていた。毎朝のお手紙とお菓子攻勢はさらに激しさを増し、今や高級魔導洋菓子店を一軒丸ごと買い占めてシャルレットに差し入れるほどの加熱ぶりである。「クレア、そう言うな」レオンハルトが静かに刀の柄に手を置きながら、妹の隣に立つ。「シャルレット殿のあの無知ゆえの純粋さこそが、荒んでいたこの魔王国に平穏をもたらしたのだ。現に、父上もゼノヴィア兄上も、シャルレット殿を我が家の『真の太陽』として認められた。我々もまた、あの太陽を守る一輪の花(あるいは剣)であらねばならん」「な……何よそのポエムみたいな例え!べ、別に私はあいつのことなんて……ただ、お友達として……その、お掃除のお礼をしてあげているだけなんだからね!」プイッと顔を背けるクレアの横を、重厚な甲冑の足音が通り過ぎた。「ふむ、妹よ。シャルレット様へのお礼ならば、もっと至高の品を用意するべきだぞ?」現れたのは、魔王軍総司令官にして魔王家長男ゼノヴィア・ル・トロイであった。彼は本来であれば魔王城で公務に追われているはずの身だが、現魔王ヴァルディスから「シャルレット様の筆頭護衛将軍」に任命されて以来、なんと『セフティーヌ学園特別名誉講師』という肩書を無理やり作り、毎日学園に見回りに来ていた。「ゼノヴィア兄上!?また学園にいらっしゃったのですか!?」「当たり前だ、クレア。シャルレット様がいつ『うっかり』そのへんの空間を雑巾がけして世界を削り取ってしまうか分からんのだ。私が影から、命に代えてもお世話をしなくてはならん」真面目すぎる長男の重すぎる情熱に、クレアとレオンハルトは揃って「はあ……」と大きな溜息をつくのだった。さて、第一節の授業は、因縁の第九演習場における『属性変化と魔法応用』の実技であった。もちろん、蒸発した演習場と穿たれた山脈は、シャルレットの「お掃除魔法」により見事な新緑の公園のように美しく再生されている。教壇に立つのは、胃薬の瓶を握りしめた結界魔法教師ヴァルディである。「えー……本日の課題は……『風属性魔法による落ち葉の集積』だ。……決して、爆発させたり、空間を歪めたり、山を削ったりしないように……頼む……頼むぞ……」血走った目で懇願するヴァルディ。 最初に指名されたのは、風の四天王の息子アールトであった。アールトは前に出ると、かつての生意気な態度は完全に影を潜め、冷や汗を流しながら丁寧に杖を振った。「『そよ風よ、葉を集めよ・微風』……!」ふわりと優しい風が吹き、散らばっていた数枚の枯れ葉が一箇所に集まる。「よ、よし!完璧だアールト君!素晴らしい加減だ!」ヴァルディが涙ぐんで拍手する。アールトは「ふう……助かった……」と胸を撫で下ろし、命拾いした心地で列に戻った。
「では……次は……シャルレット・ル・トロイ生徒……!」
ヴァルディの声が震える。見学席の影では、風の四天王ヴェルナーが物陰から胃薬を口に放り込み、火の四天王カルミラが「よっ! 待ってました!」と手すりに身を乗り出していた。
「はい! ヴァルディ先生!」
シャルレットは元気に返事をすると、トコトコと前へ出た。 頭の上のル・レット(三十センチメートル)が「む、シャルレットよ、くれぐれも加減を忘れるなよ?」と念を押す。「分かっていますわ、ル・レット様!今日は『風のお掃除』ですから、とっても優しく拭き掃除をする感覚ですね!」シャルレットは笑顔で両手を掲げた。「お父様から教わりました、お庭の落ち葉をひとまとめにする『お風のお手伝い』です!」シャルレットが、ふわっと可愛らしく両手を扇いだ。
――その瞬間。
空気が、重力を失った。シャルレットの指先から放たれたのは、風ではない。『大気中のすべての分子を完璧な密度で整列させ、指向性を持たせて運搬する神代の熱力学超越現象』であった。
ヒュオオオオオオオオオオオン……!
演習場どころか、学園全体、さらにはセフティーヌ領地数十キロメートル圏内に落ちていた『すべての枯れ葉』が一瞬で舞い上がった。それらは空中で一切の摩擦熱を生じることなく、幾何学的な美しい渦を描きながら一箇所へ集束。演習場の中央に、高さ数十メートルに及ぶ「寸分の狂いもない完璧な落ち葉のアート(巨像の形)」として組み上げられたのである。
静寂。
あまりにも緻密で、あまりにも圧倒的な「風の操作」。一粒の塵すら学園内に残さず、なおかつ建造物や人間には一切の風圧を感じさせないという、神業以外の何物でもない加減。「……あ……あ……」 ヴァルディ教師は膝から崩れ落ち、泡を吹いて倒れた。物陰で見守っていた風の四天王ヴェルナーは、「か……風の極意を……十二歳の少女が指先一つで……我がシャプティーナ家の数百年の歴史とは……」と呟き、白目を剥いて倒れた。一方、火の四天王カルミラは大爆笑である。「ギャハハハハハハハ! 見たかヴェルナー!?落ち葉集めで領地全体の掃除を完了させやがったぞ! 芸術的だ!芸術的な暴力だ!!」当のシャルレットは、完成した巨大な落ち葉の芸術像を見上げて、満足そうに手をぽんと叩いた。「わあ!綺麗に集まりました! ヴァルディ先生、これでよろしいでしょうか?」返事はない。ヴァルディはすでに精神の安息地へと旅立っていた。「あら……? ヴァルディ先生、お寝坊さんですね。お疲れなのでしょうか?」シャルレットは不思議そうに首をかしげた。放課後。 夕暮れ時の黄金色に染まるセフティーヌ学園の庭園。シャルレットは中庭のベンチに座り、クレアから貰った高級な焼き菓子を「美味しいですね!」と頬張っていた。隣には、なぜか誇らしげな顔で紅茶を飲むクレアと、影のように護衛として控えるレオンハルト。そして、放課後になると必ずやってくる史上最年少教授のリリネットが、目を輝かせてシャルレットの膝元にノートを広げていた。
「シャルレット師匠!さっきの落ち葉集めの際の魔力流動について、ぜひ論文の指導をお願いします!」
「まあ、リリネット教授。私はただ、お父様に教わった通りにお手を振っただけですのよ?それより、こちらのクッキー、とっても美味しいですわ!クレア様がくださったのです!」「ふん、べ……別に、あまったから上げただけよ!感謝しなさいよね!」クレアが顔を赤くして背を向けると、シャルレットは嬉しそうにクスクスと笑った。その頭の上で、三十センチメートルの漆黒龍ル・レットが、シャルレットから分けてもらったクッキーの欠片を小さな前足で大切そうに持ち、モグモグと噛み締めながら呟いた。『む……美味いな。……なあシャルレットよ』「はい、ル・レット様?」『お前は……この学園に来て、良かったと思っておるのか?深山でゴーゼルと静かに暮らしていた頃の方が、余計な羽虫も湧かず、穏やかだったのではないか?』漆黒龍の問いかけに、クレアも、レオンハルトも、リリネットも、思わず息を呑んでシャルレットの顔を見つめた。シャルレットは焼き菓子をゴクリと飲み込むと、夕日に映える大きな瞳をキラキラと輝かせ、心の底からの笑顔を咲かせた。
「はい! とっても、とっても幸せです!」
少女は胸の前で小さな手をギュッと握りしめた。「山にいた頃は、お父様とル・レット様しかいらっしゃいませんでした。でも、ここには優しく挨拶をしてくださる全校生徒の皆様がいて、美味しいお菓子をくださるクレア様がいて、かっこいいお剣を見せてくださるレオンハルト様がいて、一緒にお勉強をしてくださるリリネット教授がいます!」シャルレットは、自分の周りにいる大切な人々を一人ひとり愛おしそうに見つめた。「私は……まだまだ未熟で、皆様のような『普通の魔法』がうまく使えなくて、失敗ばかりしてしまいますけれど……。この学園で、もっとたくさんお勉強をして、いつか皆様みたいな、立派で素敵な『普通の人』になりたいんです!」
自分の力は、まだまだ未熟。
自分は、一番下っ端の未熟な生徒。
いつか、みんなのように「普通」になりたい。
少女が放った、あまりにもまっすぐで、あまりにも純粋な誓い。その言葉を聞いた瞬間、クレアも、レオンハルトも、リリネットも、さらには物陰で静かに見守っていた魔王長男ゼノヴィアも、思わず天を仰いだ。
((((……これ以上『成長』されたら、本当に世界が崩壊する……!!))))
全員の心の声が、完璧に一致した瞬間であった。
しかし、その恐怖と呆れを超えて、彼らの胸に湧き上がってきたのは、温かく、かけがえのない愛おしさであった。世界を容易く滅ぼせるほどの神威を抱えながら、誰よりも優しく、誰よりも謙虚に、「普通」を目指してひたむきに努力する少女。 彼女が目指す「普通」は、世界の誰のそれとも違う、絶望を希望へと変える最高に特別な『輝き』であった。
『……フン』
ル・レットは呆れたように小さく鼻を鳴らすと、シャルレットの頭の上で丸くなり、満足そうに目を閉じた。『まあ良い。お前がそう望むのなら、余も最後まで付き合ってやろう。……お前が「普通」になるその日までな』「はい!よろしくお願い致します、ル・レット様!」シャルレットは嬉しそうに笑うと、夕暮れの空に向かって、可憐な手を大きく広げた。
「明日もまた、たくさん『普通のお勉強』を頑張ります!」
澄み渡る大空に、少女の朗らかな声が響き渡る。世界最強の無自覚な神威を秘めた少女シャルレット・ル・トロイと、彼女を温かく(そして胃を痛めながら)見守る人々。彼女が目指す「普通」への道のりはまだまだ遠く、そしてこれからも数々の賑やかで破天荒な大事件を引き起こしていくことだろう。だが、どんな困難が訪れようとも、彼女の描く「普通」という名の平和は、決して揺らぐことはないのだ。頭に三十センチメートルの漆黒龍を乗せた少女の、最高に特別で、最高に賑やかな「普通の学園生活」は、これからもずっと、ずっと続いていく――。
【エピソード一 完】




