第63話 共鳴
「っく、はぁ、はぁ、はぁっ……!」
呼吸を乱しながらも、ハルは一向に減ることのない敵の群れに向かっていく。
傷だらけで絶えず痛みを訴える肉体に、ハルはおもわず顔をしかめる。
まるで頭からバケツの水をかぶったかのように全身を染める鮮やかな赤は、敵を斬り伏せたときに浴びたモルテなのか。それとも自分の体から流れ出たものなのか。
今となってはもはや区別などつかない。
「そろそろ、諦めたらどうだ? もう立ってるのもつらいんだろ?」
不意に視界に捉えたレンは、うすら笑みを浮かべながらハルのことを見ていた。
彼が姿を見せたとたん、敵の攻撃がピタリとやむ。
「……やっぱり、ペッカートはレンの命令で動いてるんだ……」
いったいいつの間にそこまでの力を身につけたのか、ハルには見当もつかなかった。
しかしながら、誰よりも優れたスペランツァであった彼ならばやりかねないと妙に納得してしまう部分もある。
「わたしは、ここで負けるわけにはいかないんだっ!!」
ハルはまっすぐにレンを睨みつけた。
互いの視線は絡み合ったまま離れることはない。
しかしレンの言うとおり、たしかにハル自身、立っているのがやっとだった。
視界はかすみ、意識は朦朧としている。
「くっ…! あんた、なんかにっ……!!」
踏ん張りがきかず一歩よろめいたときだった。
鼓動がひときわ大きく脈打つ。
おさまることのない激しい動悸に、ハルはおもわず胸元を握りしめた。
体じゅうをめぐる血液が熱い。
呼吸のリズムが追いつかないほどに、体は酸素を欲している。
(なにっ……!? こんなに苦しいの、いままで一度も……!)
尋常ではない自身の体の変化に、ハルは焦りを感じていた。
しかし同時に、どこからか力がみなぎってくるような感覚に包まれる。
ひたいが、焼けたロープを巻きつけられたように熱い。
(キューブ……?)
異常を訴える体の変化がキューブによるものだと本能的に理解したハルは、再度目の前の男を睨みつける。
レンはまるで、こうなることを望んでいたかのように満足そうに笑っていた。
◇◇◇
「ハルはどこ!?」
司令室内にマリアの声がこだまする。
戦場が映し出されたモニターでは、闇に飲まれた彼女の姿を確認することができない。
「生存、確認しました!」
サーモグラフィーのモニター上で、人型の影が飛ぶように敵に斬りかかっていく。
「敵が、多すぎる……!!」
「ハルさんっ……!!」
「シンクロ率上昇! リミットライン、突破します!」
いたるところから現状の報告が飛び交う。
「ひとりじゃ無理だ! もうハルを下げてください!!」
祈るような気持ちでモニターを見守っていたシュウだったが、もはや我慢の限界だった。
いてもたってもいられなくなり、彼はユキノリに食ってかかる。
彼女ひとりが戦っていることが当たり前のようなまわりの人間も、止めることなく黙っているキョウヤにも腹が立った。
「ハルを下げたとして、それからどうしろと言うんだい?」
「そ、それは……」
モニターから目をそらすことなく発せられた言葉に、シュウは返す言葉が見つからない。
ペッカートと対等に戦えるのは、キューブの力を得たスペランツァだけである。
ホノカの意識はまだ戻ってはいない。たとえ意識が戻ったとしても、到底出撃できる状態ではないのは明白だった。
スペランツァ抜きでこの戦いを勝ち抜く勝算はない。
「我々にはもはや、ハルにすべてを託す以外、手段がないんだよ……」
奥歯を軋ませながらしぼり出されたユキノリの言葉が、やけに室内に響いた。
その声色に、そのひと言に、さまざまな感情が込められていた。
一瞬の静寂が流れる。
それほど長い時間ではない。
だがどうしてか、それは異様に長く感じた。
「っ、シンクロ率さらに上昇!! ……うそ……! そんなっ……!?」
突如として静寂を打ち破った女性オペレーターの甲高い声が震えに変わる。
尋常ではない彼女の様子に、次の言葉を誰もが固唾を飲んで待った。
「シンクロ率……計測、不能です……!!」
「なんですって!?」
マリアの表情が一変する。
彼女はすぐさま何台も並ぶパソコンに駆け寄り、複数のキーボードを指で弾く。
いくつものデータを映し出すディスプレイは赤く染まり、そのどれもが警告を発して点滅していた。
「そんなっ……!?」
「マリアちゃん? いったいどうしたんだい?」
ディスプレイを凝視していた彼女は、ゆっくりとした動作でユキノリを振り返る。
その唇は心なしか震え、瞳は不安げに揺れていた。
「シンクロ率、バイタル反応、すべてが計測不能よ……」
「なっ…!?」
「ハルは!! ハルは無事なんだろーな!?」
それまで黙ったまま戦況を見守っていたキョウヤがマリアに詰め寄った。
あまりの勢いに、彼女は数歩後ずさる。
「なあ!! ハルは大丈夫なのかよ!?」
「キョウヤ! 落ち着け!!」
咄嗟にシュウはキョウヤの腕を掴んだ。
多少なりとも理性を取り戻したのか、キョウヤは下唇を噛みしめたまま下を向く。
握りしめられたこぶしからは、うっすらと血がにじんでいた。
「マリアちゃん、ハルの状況は?」
司令室全体が困惑に包まれる中、ユキノリの冷静なひと言にマリアは首を横に振った。
「わからない。こんなことは前例がないわ。正直、なにが起こっているのか……」
司令室内になんとも言えない静寂が広がる。
誰もがモニターに映し出される映像から、目を離せなくなっていた。
キョウヤは必死に自分を落ち着かせ、祈るように彼女を見守っている。
今すぐにでもハルを迎えに行きたい。
その思いが、彼の表情から見てとれる。
先ほどから様子のおかしいハルの姿に、誰かが生唾を飲み込んだ。
そのときだった。
ハルが急に前かがみになる。瞬間、彼女は勢いよくレンに向かっていく。
それはいままでに見たことのないほどの速さで、彼女の姿をモニターで追うのもやっとだった。
驚異的なハルのスピードに、レンの体は咄嗟に反応ができない。
案の定、真正面から攻撃を受ける羽目になってしまう。
かろうじて攻撃を受け流し、レンはその場からそれほど離れていない場所に立つ。
レンの顔からは、笑みが消えていた。
「いったい、なにが……?」
マリアの声に、司令室にいた全員が顔を見合わせた。
「っハルは!?」
キョウヤの言葉に、全員がモニターの隅々まで彼女の姿を捜す。
ようやく砂煙が晴れ、その中にうっすらと人影が現れた。
「こ、これは……!?」
「どういう、ことだ……」
しかし現れたのは、みながよく知る彼女の姿ではなかった。




