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キューブ −世界再生の生贄−  作者: 志築いろは
第2章 The Reason for Tears

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第37話 知らぬは罪か

「きみ、なにも知らないのね」


 看護師は小さく一礼すると、使用済みの点滴袋を持って仕切りカーテンの向こうに消えていく。


「ちょっと待っ」

「シュウ、いるか?」


 看護師と入れ替わるようにして、カーテンの向こうからキョウヤが顔を覗かせる。

 中腰のままのシュウを見るなり、彼は仕切られた空間に静かに足を踏み入れた。


「所長が呼んでる。こいつは俺が見とくから、行ってこいよ」


 極力シュウから視線をそらさないようにしながら、キョウヤは出入口のほうを親指で示した。


 シュウは一瞬、ハルの姿を視界に捉えて躊躇する。

 だが司令官たるユキノリからの呼び出しを無視するわけにもいかない。

 シュウはしぶしぶこの場をキョウヤに任せると、足早に医務室をあとにした。


 廊下に響く足音が聞こえなくなると、室内は再び静寂に包まれる。

 キョウヤはハルの眠るベッドの端に静かに腰かけ、彼女の頬にそっと右手を添えた。

 ハルは薬のおかげかよく眠っているようで、規則正しいゆったりと落ち着いた呼吸に、キョウヤも安堵の息を漏らした。


「……ハル……」


 体温を確かめるように互いのひたいを合わせ、じっとハルを見つめる。


「なあ……俺にしとけよ、ハル……」


 吐く息とともにささやかれたひと言は、眠る彼女には届かない。

 キョウヤはハルを起こさないように、彼女のひたいにそっと唇を落とした。




 高かったはずの太陽が、長い影を東の方角へと伸ばしていた。

 空一面を鮮やかに染める夕日は、その強烈な色彩とは裏腹にひどくやわらかい。


「っ……」


 ふわりと頭をなでるぬくもりに、ハルはゆっくりと意識を浮上させた。

 徐々に明るくなっていく視界とともに、耳が周囲の音を拾い始める。


「おはよ、眠り姫」


 半日以上眠り続けたハルを迎えたのは、心配そうに自分を覗き込むキョウヤの姿だった。

 目尻を下げた彼の表情が、ハルの視界いっぱいに広がる。


 キョウヤはふんわりとハルの頬を両手で包み込むと、こつん、とひたいを合わせた。

 伝わるぬくもりが心地よくて、ハルは安心したように目を細める。


「ん。熱、下がったみたいだな」


 離れていくぬくもりに名残惜しさを覚え、ハルはキョウヤの手に自分のそれを重ねた。


「キョ、ヤ……?」

「ん? どした?」


 小首をかしげてそうたずねる彼の声色が、ずいぶんとやわらかい響きをしていた。


「……なんでもない」

「水飲むか?」


 彼の手を借りて上体を起こしたハルは、手渡されたグラスを落とさないように慎重に受け取る。

 まだ力の入りきらない両手で包むようにして、ハルは常温のミネラルウォーターを少しずつ一気に飲み干した。


「そういや、マリアさんから伝言。今日はここにお泊まりだってさ」


 そのひと言にハルは、すー……とキョウヤから目をそらした。


「…………やだ」


 経過観察のためには致し方ないのはわかっている。だがどうにも、ハルはこの病室の雰囲気が苦手だった。

 けっしてひとりで寝られないわけではない。

 ただ、病室特有の空気感が心をざわつかせて落ち着かないのだ。


「そう言うと思って、マリアさんに付き添いの許可もらってきた」


 キョウヤが勝ち誇ったようにピースをする。

 その瞬間、ハルは無意識に期待のまなざしを向けていた。

 わかりやすい彼女の反応に、キョウヤもつい頬をゆるめる。


「俺と一緒なら、さみしくないっしょ?」


 冗談っぽく笑ってみせるキョウヤに、ハルも短く答えて首を上下する。


「あ、でも……」


 一瞬安堵の表情をこぼしたハルが、気まずそうに視線を泳がせた。


「キョウヤ……明日……仕事、は……?」


 ハルは顔色をうかがうように上目づかいにキョウヤを見上げた。

 きっと自分のわがままで彼を付き添わせてしまって、迷惑に思っていないかと不安に駆られたのだろう。


 だがハルの不安を打ち消すように、キョウヤはあっけらかんと笑ってみせる。


「なんと明日はお休みでーす。まあ仕事あってもハルと一緒にいるけど」


 そう言って、キョウヤはハルの髪に指をすべらせた。さらさらと流れる細い髪を、彼女の耳にそっとかける。

 耳裏をなぞる指先がくすぐったくて、ハルは息を吐くように小さく笑った。


「やっと笑ったな」


 満足そうに微笑んだキョウヤが、大きな手のひらでくしゃくしゃとハルの頭をなでる。

 窓から差し込む夕日に照らされて、キラキラと煌めくキョウヤの姿がやけにまぶしかった。



◇◇◇



 仰向けに寝転がったベッドの上で、シュウは色褪せた石膏ボードの天井を見つめていた。なにをするわけでもなく、長いことこうしている。

 無意識にこぼれるのはため息ばかりで、胸のうちに渦巻くこの感情を表現するための言葉が見つからない。


(……ハルは、もう目が覚めた頃だよな)


 ぼんやりと頭の片隅でそう思うも、彼女に会いに行く気にはなれなかった。

 会いたい気持ちはもちろんある。その後の経過も気になっている。

 だが。


(どんな顔して会えばいいのか、わかんねぇよ……)


 あんな話を聞かされて、いままでどおり彼女と接することができるだろうか。


(どうすりゃいいんだよ……)


 頭の中が、整理できなかった。




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