第25話 生雲ツカサ
「――きゅうじゅーごっ、きゅうじゅー、ろくっ」
広いトレーニングルームの片隅で、ツカサは今日も一人で筋力トレーニングにいそしんでいた。
つま先をバランスボールに乗せてあえて負荷をかけた腕立て伏せに、腕の筋肉が限界だとばかりに震える。
したたり落ちた汗の粒が、薄ピンク色のマットの色を濃くしていった。
「――きゅうじゅーくっ、ひゃー、くっ!」
ツカサは息を止めて両腕を伸ばしきると、崩れるようにして床に倒れ込んだ。
大の字になって全身を投げ出せば、バランスボールが跳ねて遠くへと転がっていく。
「っ、はぁ……終わったぁ~」
息を吐くと同時に、ツカサは全身の緊張をゆるめた。
血液が体の隅々までめぐるのを感じる。
息を吐きながら、閉じたまぶたをゆっくりとひらいていく。
天井の白いシーリングファンが、ぐるぐると一定の速度で回転していた。
「はぁ、はぁ……まだ、こんなんじゃ……」
大きく胸元を上下させ、ツカサは限界を訴える腕を天に向かって伸ばした。
手のひらに遮られた明かりが、汗ばむ顔に影を落とす。
(まだ、やれる……まだ、諦めるな……)
ぐっ、と握り込んだこぶしに力を入れて、ツカサは唇を引き結んだ。
スペランツァとして、この程度で満足するわけにはいかない。
そう自分に言い聞かせ、深く吸い込んだ空気を時間をかけて吐き出す。
(みんなの期待に、応えたいから……だから……)
「ツカサー、いるー?」
「……アキトさん?」
不意に耳に届いた声に、ツカサは上体を起こして出入口へと首を振った。
半開きになったドアから、アキトが遠慮がちに顔を覗かせている。
「やっぱりここにいた。さすが、『ツカサに会いたければまずトレーニングルームに行け』って言われるだけのことはあるよね」
「もー、なんですかそれー」
「ははっ、それだけツカサがトレーニングに励んでるってことだね」
常日頃からトレーニングルームに入り浸っている自覚はあるが、いつの間にかそんなふうに言われるようになっていたとは。
急に恥ずかしさを覚えたツカサはそれを隠すように、顔の輪郭に沿って流れる汗をぬぐった。
「ところでアキトさん、なにかご用ですか?」
「うん。実はもう、定期検査の時間なんだけどね?」
「……え?」
アキトが言い終える前に、ツカサは反射的に壁の時計を見遣る。
次の瞬間、彼女は「忘れてたぁ!」と叫ぶなり青ざめた顔で立ち上がった。
「十五分も過ぎてる!? すぐ! すぐ行きます!」
ツカサは私物化している棚の一角にマットやダンベルを押し込み、転がっているバランスボールを拾いに駆ける。
「急がなくていいよー」と言うアキトの声も耳に入らぬ様子で、ツカサは床に放ったままのパーカーを拾い上げると、つまずきながらも小走りにアキトのもとへと向かった。
「お待たせしました!」
「おつかれさま。はい、これ」
「えっ、ありがとうございます!」
アキトから差し出されたのは、よく冷えたスポーツドリンクだった。
喉を鳴らして乾きを満たせば、冷たさが火照った全身にじんわりと染み渡っていく。
「ぷはー、生き返るー」
上がった口角をそのままに天を仰げば、隣でアキトがくすくすと笑った。
「あー! アキトさん、今わたしのことオジサンみたいって思ったでしょ!?」
「バレちゃったか」
「前にホノカさんにもおんなじこと言われましたもん!」
ついこの間のできごとを思い出して、ツカサは小さく唇を突き出した。
「そんなに笑わなくてもいいじゃないですかー」
「ははっ、ごめんごめん」
「もう! 置いていっちゃいますからね!」
ツカサは不服だとばかりに頬をふくらませて大股で歩きだした。
アキトもすぐに彼女を追いかけて、ツカサの歩調に合わせて隣を歩く。
「心拍数上がっちゃうから、あんまり急がなくていいよ」
「でも、時間遅れてるし」
「もうツカサの検査だけだから大丈夫だよ」
「え? ホノカさんとハルさんは、検査終わったんですか?」
「二人とも昨日終わったよ。ハルの検査は今日の午後の予定だったんだけど、暇そうにしてたからってマリアが昨日のうちに済ませちゃってね」
なんの気なしに相づちを打ちながら、ツカサはまだ冷たさを保っているペットボトルを首すじに当てた。
「それにしても、毎日よくがんばるよね」
「動いてないと落ち着かなくて」
「ほどほどにしとかないと、またマリアに怒られるよ?」
アキトの言葉に、ツカサは前を見据えたまま軽くこぶしを突き出した。
「だって! ハルさんとホノカさんに、早く追いつきたいですから!」
並んで歩くツカサをちらりと横目に見て、アキトはやれやれと小さく苦笑した。
「入隊した頃のことを思えば、ツカサは十分がんばってると思うけどね。近ごろはシンクロ率も飛躍的に伸びてるわけだし」
「そう、かもしれないですけど……」
ツカサがわずかにうつむいた。
「……くやしかったんです」
エレベーターに乗り込むなり、先ほどまでの元気とは対照的に、ツカサはぽつりとそうつぶやいた。




