避難所のインフラ問題と例のアイツラ
応接室を出て、俺たちは松下さんのところへと向かっていた。
昨日までの血生臭さ、陰鬱な空気が嘘みたいに、避難所は妙な活気に満ち溢れている。
通路を整理する警察官のキビキビとした動き。
どこからか漂ってくる、炊き出しの味噌汁の美味しそうな匂い。
そして、積まれた段ボールの影で追いかけっこをする子どもたちの笑い声。
崩れた瓦礫やあちこちに吹っ飛んでいた物資も、綺麗に片付けられている。
……勇者が一晩かけてやった「掃除」の結果、ってわけだ。
隣を歩く茜は「ふんふ〜ん♪」と鼻歌交じりで機嫌が良い。
新しい服が気に入ったのか、俺の腕にこれ見よがしに抱きついて歩きにくいったらない。
すれ違う避難民や警官たちが生暖かい視線を送ってきて……マジで気不味いだが。
違うんだ、俺たちはそういうんじゃないんだ。
隣の茜に抗議の視線を送るが、ニコッとかわいい笑顔を返された。
はい、かわいい。
……いや、こいつの情緒が安定してるなら、もう良しとしよう。俺は考えるのをやめた。
「……茜、ちょっとトイレ行っていいか? 勇者の相手してたせいで昨日の夜から行けてないんだよ。実はもう漏れそう」
「……いいわ、私も鏡見たかったし」
勇者って言葉に一瞬だけ顰めっ面する茜。
どうでもいいけど、吸血鬼って鏡に映るのか?
そんなことをぼんやりと考えながら、俺は男子トイレの暖簾を潜った。
☆
トイレの蛇口からは水が出なかった。
電気が完全に止まっていて、蛇口のセンサーが反応しないんだろう。
「……顔、洗いたかったな」
一応、茜が用意してくれていた濡れタオルで身体を拭いたが、やっぱり朝イチはちゃんと顔を洗い流したい。
俺には俺の、朝のルーティンがあるんだ。
それが崩れるのは……なんかモヤる。
それに喉も渇いたし風呂にも入りたいけど、まぁ無理だろうな。
三日目にして、完全にインフラが死に始めている。
電気、ガス、水道、順番に悲鳴をあげてる感じだ。
特に水が止まるのがキツい。
そうなると、次に直面するのは決まっている。
「……トイレ、使えんのか?」
水が流れないトイレなんて、想像しただけで地獄だ。
俺は個室に入って、恐る恐る便器の蓋を空けて覗き込む。
だが、
「……お、お前」
そこにいたのは――透明なぷるぷるした、あいつ。
「なんで、お前がここに?」
俺のアパートの部屋以来の再会(一話参照)。
便器の底に、なぜかスライムがいた。
ちゃんと確認してよかった。
よく見ずにうんこしてたら、今ごろ俺のケツが酸で溶けてたかもしれない。
よし、重曹かけよう。
……いや、その前に一応『魔物鑑定』かけてみるか。
俺はスマホを構えてスキルを発動。
カシャッ。
ピロン!
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《鑑定成功》
・スライム(特殊個体)
能力 : こうげき ☆
まもり ☆
すばやさ ☆
状態 : 元気モリモリ
弱点 : 核
重曹
好み : 美味しいごはん
性格 : グルメ
スキル :『消化』
『吸収』
『分裂』
『微香』
《備考》
ファンタジー定番の魔物。酸でできた身体に弱点である核を内包している。ただし、この個体は異世界の魔物使いに調教されたもので、勇者アリスティアが所持していた個体の分体。
調教されたスライムの用途は様々で、下水処理に残飯処理、果ては《《女性用生理用品》》と多岐に渡る。
世界広しといえど、コイツラより働いている奴はいない。毎日毎日文句の一つも言わず命令通りに働く様は、まさに社畜の鑑。
間違っても、重曹なんかで、雑に殺していい、魔物じゃない!
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「……スライム有能だな!」
いつもと変わらない平常運転で安心した。
相変わらずふざけた内容の《備考》だが、これ誰が書いたんだろう。スライムリスペクトからか、めっちゃ圧が強い。
勇者が言うには、このステータスシステムは元は女神製らしいけど……女神もスライム使ってんのか?
俺が思わず声を上げると、隣の個室から聞き覚えのある消え入りそうな声が返ってきた。
「……あ、あの。そ、その声は……も、望月さん、ですか?」
「……影山? お前、そこにいたのか」
隣の主は松下さんの部下の一人、隠密要員《覗き魔》、影山光人だった。
「昨日の夜から見かけないと思ったら。ほんと影薄いなお前」
「あ、あの……なんか、すみません……」
「なんで謝るんだよ。それがお前の長所だろ。あ、そうだ。お前にちゃんと礼を言ってなかったな」
「れ、礼ですか……?」
今回の騒動で、こいつのスキルのおかげで色々と捗ったからな。
影山がいなかったら、俺と松下さんは茜に殺されてたかもしれないし。
「だから、ありがとう影山。お前のおかげだ」
「え、いや、その、ぼ、僕は、別に……」
「特に最後の、なけなしの魔力を振り絞ってのスキル発動。正直、めっちゃかっこよかった」
「うぇっ!? か、かっこ、……」
「茜にも、お前に礼くらい言わせないとな。あいつもお前のおかけで正気に戻れたみたいなもんだし」
茜のおっぱいの一つや二つ、揉ませてやってバチ当たらんだろ。こいつ、巨乳好きだし。
「いや! あか、茜さんから礼なんて! そんな、恐れ多いですっ……! 望月さんだけで十分!」
「お、おお。そうか、ならいいんだが……」
茜の話題を出したら食い気味に来るじゃん。
まぁ、こいつ見るからに童貞だからな。
あんな超絶美人と対面したら、テンパって「あ、あ、あ、」とか言ってそう。
「今の茜の格好見たらお前、多分死ぬんじゃないか。めっちゃエロいし」
「え、えろい……」
「これからもあいつと顔合わせるんだから、今のうちに耐性つけといたほうがいいぞ」
「……(ゴクリ」
俺はしばらくこの避難所を拠点に活動していくつもりだ。
その間に影山ともまた仕事するかもしれないし、茜のエロさに早く慣れてもらったほうがいい。
「そ、そういえば」
「ん、どうした?」
「茜さんといえば、良い名前ですね」
「え?」
……急に何の話だ?
「あの時、あのタイミングで、あの名付けを持ってくる。望月さん、あなた――やりますね!」
「は?」
どうした影山。
さっきまでの蚊の飛ぶような声で喋ってたくせに、妙に声のトーンが安定している。
「いや、まぁ……俺なりに結構考えて付けたんだよ。あいつに似合ってるだろ?」
何気なく適当に返した言葉が、影山のスイッチだったらしい。
「いや、良いなんてレベルじゃありません!」
「えぇ……」
隣の個室から急に、明瞭で、それでいて異様に熱量の高い声が飛んできた。
「『茜』って夕暮れの空の色じゃないですか! そして古来より魔除けや薬草としても重宝されてきた茜草の色でもあるんです。つまり過去の呪縛や血塗られた運命をその鮮やかな赤で塗り替え、新たな夜明けではなく、あえて穏やかな『夕暮れ』の名を授ける……! 望月さん、あなた天才ですか!? 彼女の銀髪に映えるその色のコントラストまで計算に入れているとしたら、もはや芸術の域ですよ。名前を呼ばれるたびに彼女の紅い瞳のハイライトが0.5ミリ秒ほど輝きを増す……その瞬間こそが救済なんです!!」
めっちゃ早口になった。
おい、さっきまでの影山どこいった。
「しかもですよ! 彼女のこれまでの辛い過去、そして彼女のあの天真爛漫な性格を考えて、そこに望月さん、あなたという存在が――」
影山の喋りが止まらない。
影山、お前自分の好きなコンテンツには語りが止まらないタイプのオタクだったのか。
あれだ、推し語りとかいうやつか?
「影山、とりあえず落ち着け。分かったから」
「彼女が幸せなら、僕は――あっ!? は、はい……すみません……」
急に通常モードに戻るのか。
落差が酷いな。
「今の、本人に言ってみたらどうだ? あいつも喜ぶだろ」
「い、言えるわけないじゃないですかぁ……!」
でしょうね。知ってた。
「あれ? でもお前、あいつの過去とかなんで知って――」
「……っ!! そ、それでですね! 望月さん!!」
影山が俺の言葉を遮って叫んだ。
「お、おお? なんだ、今度はどうした?」
「えっと、その……あ、そうだ! 望月さん、す、スライムが気になってたんですよね!?」
なんか隣の個室からゴソゴソと音が聞こえるけど、何テンパってんだ?
さっきから大丈夫かこいつ。
「じ、実はですね、このスライム、アリスティアさんがくれたものなんです」
「勇者が?」
「はい。昨日の夜、トイレ掃除してるときに……」
今、さらっと凄いこと言ってないか?
勇者がくれた?
「水が止まると、衛生問題に影響が出るじゃ、ないですか。だ、だからって」
「確かにあいつ、そんなこと言ってたけど……」
「『これ使って、分裂するから』って」
「マジか」
「この子たち、アリスティアさんが普段使ってるスライムの、分体なんです」
便器の中に視線を落とすと、スライムがぷるんと揺れた。
心なしか、少しだけ誇らしげに見えるのは気のせいだろうか……。
「まぁ、当然、最初は女子トイレに、配備されたんですけど……」
「へぇ。あの勇者、そんな気の利いたことやるのか。まぁ、女の方が色々大変そうなのは分かる」
スライム、生理用品に使えるとか書いてあったしな。
衛生問題的に考えたら女優先で良いと思う。
「そのあと、男子トイレの掃除のついでに、置いていってくれました。あとは、水の浄化にも、使ってるみたいです。残飯処理とか、ゴミとかも、いろいろ。炊き出し担当の、おばちゃんたちが、その、喜んでました」
「マジかよ。有能すぎるだろ、勇者もスライムも」
避難所のインフラ問題、ほぼこいつらが解決しちゃってる。
トイレ掃除する勇者とか意味分からなかったけど、勇者様様だな。
「……で? お前、その勇者様と他に何か話したのか? 昨日の夜な、あの勇者、随分と情緒がブレブレで気持ち悪かったんだけど」
「い、いえ。僕のときは、そんなことは。ただ、少し……釘を刺されたというか。僕の……その、日頃の『行い』について、少しだけお言葉をいただいて……」
影山の声が、今日一番小さく震えた。
釘を刺された?
あの勇者に?
剣じゃなくて?
「なぁ、『日頃の行い』ってなんだ? あいつに絡まれたってことは、あいつの『それは、良くない』センサーに引っかかったんだろ?」
「え!? いえ、それは、その、いや、あの……」
なんでそこでキョドる……いや、そういえばこいつのスキル。
それにこいつには前科があったわ。
覗き魔。
……あー。つまり、勇者モードのアリスティアに詰められたのか。
何をしたのかは詳しく聞かないでおこう。
影山が今、こうして無事に(?)個室にこもれているだけで奇跡に近い気がする。
「……勇者のあのセンサーは感度が良すぎるからな。俺も名乗らなかっただけで斬られかけたし。まぁ、頑張れ」
「……は、はい。身に沁みました。あ、あの、望月さん。アリスティアさん、最後に言ってましたよ。『掃除は完璧にしたけど、男の人の使い方が汚いとすぐに汚れちゃうから、ちゃんと言っておいてね』って」
「……了解だ。肝に銘じとくよ」
自分で言えばいいのに。
あ、でもトイレの使い方なんかで、あいつに詰められたくないな。
普通の人間だったらトラウマになりそう。
そのあと、影山と二言三言会話したあとに、掃除の行き届いた(スライム付きの)トイレを後にする。
個室から出てこない影山に「先に行くぞ」と声をかけ、俺は洗面台の横に置かれた「謎の箱」に恐る恐る手を突っ込んだ。
さっきも気になったんだけど、影山が言うにはこれ――「手洗い用スライム」らしい。
ヌルリ、とした感触。
なんか、ローションの塊? みたいな感覚。
だが、手を抜くと指先が驚くほど清潔になっている。
爪の間のゴミとか、指のササクレとかも無くなってるし。
……本当に、凄まじいな、異世界の文明。いや、スライム。
☆
外へ出ると、壁に寄りかかって退屈そうに爪を眺めていた茜が顔を上げた。
「ずいぶん遅かったわね。中で何してたのよ」
「いや、ちょっとスライムの有効活用についてな。お前も鏡、見れたか?」
「ええ。悔しいけど、女子トイレもすっごく綺麗だったわ。鏡もピカピカだったし。でも、新しい服のチェックもバッチリよ。……ねぇ、やっぱり似合ってるでしょ?」
くるりと回って見せる茜。
タートルネックの縦線が、またしても俺の視神経を激しく攻撃してくる。
やっぱり魅了の魔眼なんて使わなくても、普通にしてりゃみんな魅了できるんじゃないのか?
「……ああ、完璧だ。さすが『Perfect Body(小杉感)』。いい仕事してる」
「うふふ、ありがと。じゃあ、行きましょうか」
俺と茜は、今度こそ対策本部へと足を向けた。




