第3話 ヒロイン七十五歳 【幕1】構図の不在
① 噂から始める
城下町の市場は、今日も穏やかだった。
魚屋が声を張り上げ、子どもが走り回り、焼き菓子の甘い匂いが漂う。
その中に、いつもの話題が混じる。
「今回のヒロイン様、七十五歳らしいぞ」
「七十五?」
「王子より年上か?」
「それもう恋愛じゃないだろ」
どっと小さな笑いが起きる。
嘲りではない。
驚きでもない。
ただの、軽い可笑しさ。
「断罪って、若い者のもんじゃないのか」
「今回は揉めないんじゃないか?」
「平和でいいじゃないか」
誰も声を荒らげない。
誰も肩を怒らせない。
熱がない。
噂は広がるが、炎にはならない。
その温度の低さが、すでに異様だった。
② 設定確認
王城、執務室。
デルガは資料に目を落とす。
ヒロイン:リリアナ(75)
王子:40
悪役令嬢:レイア(18)
沈黙。
紙の音だけが響く。
通常構図。
若き王子。
若きヒロイン。
若き悪役令嬢。
未来を奪い合う三角形。
未熟さがぶつかり、
誤解が燃え、
嫉妬が爆ぜる。
その熱が断罪を生む。
だが今回は。
王子は成熟している。
政治も理解している。
衝動より理性。
ヒロインは人生を終盤に差しかかっている。
恋を争う年齢ではない。
未来を奪われる恐怖もない。
嫉妬も、独占欲も、焦燥も。
成立しない。
デルガは目を閉じる。
(構図が、立たぬ)
三角形が、熱を持たない。
図形としては存在する。
だが。
燃えない。
③ リリアナの性格
初対面の日。
リリアナは穏やかに微笑んだ。
背筋は伸びているが、威圧感はない。
声は柔らかく、言葉は静か。
「王子は昔から、少し無理をなさるのです」
そう言って、優しく目を細める。
王子を「坊や」と呼ぶ。
それは侮辱ではない。
本当に、そう見えているのだ。
達観。
若さを通り過ぎた者の視線。
恋敵ではない。
保護者に近い。
一方、レイアは十八歳。
だが敵意はない。
「リリアナ様のご経験は、私など及びません」
素直に頭を下げる。
挑発も、棘もない。
対立が生まれない。
断罪の前提が、崩壊している。
デルガは二人を並べて見る。
静かな庭園。
落ち着いた会話。
波立たない空気。
(若さがぶつからない)
未熟さが衝突しない。
完成と、成熟。
それは安定する。
安定は、物語を生まない。
デルガはゆっくりと息を吐いた。
断罪という装置は、
若さを前提にしていたのではないか。
まだ確信はない。
だが違和感は、はっきりとそこにある。
静かな庭に、風が吹く。
葉が揺れる。
それだけだった。
炎は、どこにもない。
——幕1終了。




