第二章 一流への道 14-泥沼からセレナーデを 後編
アランが死んだ。俺は十九歳、ダルク三十歳、シャロン三十二歳のことだ。
肺がんだった。あれだけ好きで煙草を吸っていれば、こうもなる。
灯されたロウソクの明かりのもと、俺は無言で動かなくなったアランの顔を見ていた。
俺が言いたかった『拾ってくれてありがとう』という言葉も、伝えられないままアランは死んでしまったのか。
「……大丈夫か、スヴァン」
ベロリオという通夜を迎え、黒いスーツを着たダルクが声をかけてきた。
「いつの間にか手配してたんだってよ」
「……? 自分の葬儀をか?」
「いや、次に俺が働く工場だ。自分の葬儀的なことは、なんにも考えてなかったらしい」
「そうか……」
俺は、涙が出なかった。なぜ出なかったのかはわからない。たぶん、信じられないのかもしれない。
ダルクは話を続けた。
「俺が初めてアランさんに出会ってもう二年か。色々面倒をかけても笑って許してくれてたアランさんは、ほんと良い人だったよ。今日は朝までいるからな」
「あぁ……、サンキュな」
「そういえばシャロンが一度家に帰るって言ってたな。今からでも追いかけて送ってやったらどうだ、もう夜も深い」
「わかった」
シャロンは金持ちの家系だから、こんな所の通夜に出るなんて親が良い顔しないだろう。
『もうそのまま帰っていい』と、伝えるつもりだ。
俺は暗くなった路地を走る。
その時。
「ジェームズ、なんで……」
突き当たりの路地でこちらに後ずさるシャロンがいた。
「シャロン?」
俺が後ろから声をかけると、振り返るシャロンは恐怖で怯えた顔をしていた。
「こっちに来ては駄目!」
何が起こったかわからないが、シャロンの叫ぶ声に危険だけ察知した俺は足を止めてシャロンの奥を見る。
そこにはナイフを構えた男がいた。
シャロンが『ジェームズ』と言っていたのを思い出す。こいつが、シャロンの恋人。それならその向けているナイフは何だ?
男は言う。
「ごめんな。もう僕はこうするしかないんだ。でないと、ボスが僕を信用してくれない」
「なに? 何の話なの? ボスって誰? ナイフをおろして!」
「シャロン、頼む! 僕のために死んでくれ!」
シャロンの言葉を聞かず、男はナイフを構えてこちらに走り出した。
「……! 危ねぇ!」
俺はシャロンにナイフが刺さりそうな直前で彼女を突き飛ばし、男のナイフをなんとか受け流して男ともみ合いになる。
「てめぇ、なんのつもりだ! シャロンは恋人だろ!?」
「わかってたまるか……わかってたまるか!」
意味不明な言葉がやけに耳に残った。
そこからどうしたのか、俺には記憶がない。しかし、男の胸にナイフが刺さる生々しい感覚が手に残り、とっさに後ずさるとシャロンが泣きながら俺に駆け寄った。
俺が、殺した?
「おい、どうした!」
遠くからダルクの声がする。
シャロンが俺の胸で、泣いている。
それからダルクが男の様子を見て、「死んでいる」と言った。
ダルクは男の手にある、とあるタトゥーを見てすべてを悟ったらしく、俺にこう告げた。
「こいつ、殺し屋だったのか? 手の甲に殺し屋の組織の証である蛇のタトゥーが入ってる。おそらく、そこのボスに『恋人を殺してこい』とでも言われたんだろう。殺し屋の素質を試すテストだな」
「……」
「……この遺体は、俺がどうにかしておく。ただ、気を付けろよ。しばらくその組織の他の殺し屋がシャロンを狙いに来るかもしれない」
俺は、頭が真っ白になった。
『盗みや殺しはしないと誓え』
そう言った昔のアランの言葉がひたすら脳裏に響いていた。
***
それから、俺とシャロンは恋仲になった。
朝の光が窓から差し込み、俺は目が覚める。隣には静かな寝息を立てるシャロンの姿。
俺は上半身だけ起こして、シャロンを見つめていた。
初めて人を殺してから、もう二年くらい経つ。
俺はアランが手配してくれた工場を辞め、シャロンと逃避行をする毎日を過ごしていた。
ダルクの忠告通り、シャロンは何度も他の殺し屋から命を狙われ、その度に俺が返り討ちにして。
一度は殺さずに怪我を負わせるだけにしてみたのだが、そんな手ぬるい方法で相手が引き下がるわけもなかった。
それ以来、殺している。
俺とシャロンはどこで道を踏み外したのだろう。
わからない。いつしかシャロンの実家からも追われるようになったし。
でも、なるべくしてなったとは思う。俺たちは分岐点に立つ度、最善の方法を選んでいたはずだ。
そんなことを思いながら、何人殺しただろうか。
たまに会うダルクからは再三、シャロンを諦めろと説得されたがやんわり断っている。
ここまで来たら引き下がれない。そんな気がしたから。
だが、もうこの生活も長く続かないだろう。
プエルトリコ中を点々としてきたが、この狭い島でもう隠れられる場所もない。
シャロンの金でなんとか生活していたが、その金ももう少しで尽きる。
「俺たちは、どうなるんだろうな」
ベッドに流れているシャロンのプラチナブロンドの髪を撫でた。
*
……泥沼だと思った。
もがいても足掻いてもどうやっても沈んでいく。
いつの間にか抜け出そうとする力さえ無くなって、俺たちは静かに死を待つだけに思われた。
アランに拾われたときは、『神はいるのかもしれない』なんて思ったけれど。
神なんて居ない。居たとしても俺たちは見限られたんだろう。
そう実感したのは、殺し屋のボスがついに俺たちの前に現われた時。
*
大雨が降りそうな黒い曇り空の日だった。
灰色のロングコートの男が煙草を足で踏みにじり、こちらを見て笑う。
「会いたかったよ。ジェームズ殺しの名も無き者。いや、名前が付けられたんだったか。――スヴァンだったかな。私は殺し屋の組織『蛇の目のトップ、コードネームはヴォルテックスだ。よろしく頼むよ」
血相を変えたシャロンは俺より一歩前に出た。
「……やめて。あなたの狙いは私でしょう!? スヴァンは関係ないわ!」
「最初はそうだったさ。けれど、そうも言ってられなくなってね。その男のせいで我が組織は壊滅ギリギリまで追い込まれたんだ。私も落とし前をつけなければならない」
ヴォルテックスは銃をシャロンに向ける。
「まずは君からでもいいんだが。せっかくのいい女だ、体に傷をつけるのがもったいないな。……片耳を奪って仲間の組織に献上でもしようか」
「やめろ」
俺がシャロンの前に立つと、ヴォルテックスは嬉しそうな奇妙な笑みを浮かべた。
「麗しい愛だね。お互いをかばい合う姿は美しいよ。それならばスヴァン、君から殺そうか。私はフェアな人間でね、今日は私一人で来たんだ。一対一で、楽しくやり合おうじゃないか」
俺はシャロンを抱き寄せて耳元で言った。
「……ダルクの所に行け。前に教えたカジノにいるはずだ」
「でも……っ」
「ダルクを呼んでくれば、なんとかなる」
俺たちが何か話してるのを見て、ヴォルテックスは乾いた笑い声をあげた。
「何か策でもあるのかな? 言っとくが、逃げ切れないぞ。私は一人で来たとは言ったが、私が帰ってこなかった場合は君たちを他の者が追う手はずにしてきたからね」
俺はヴォルテックスを睨みながらシャロンを腕から離して言い捨てる。
「……行け!」
シャロンは不安そうな顔でひとつうなずいてその場から走り去った。
「いいのか? 今度はブラッディ・メアリーという組織が彼女を追うぞ」
――ひとつの賭けだった。シャロンが無事にダルクのもとに着くかなんて、わかりもしない。
「これで、いい」
「……そうか。では我々も場所を移そう。この近くに廃れた教会があるんだ。神に見放された者同士、お似合いだろう?」
そう言って笑うこいつも、泥沼の中にいるんだと思った。
*
雨が降ってきた。……大雨だ。
郊外に近い所の、付近に誰も居ない廃れた教会だった。
「廃れてはいるんだが、鐘は鳴るようでね。三の鐘がもうじき鳴るはずだ。そしたら殺し合いを始めよう」
俺たちは教会の最奥のステンドグラスの光が鈍く輝く床を踏みしめて立った。右側に俺、左側にヴォルテックスが立つ。
中央に聖母の像があり、俺はぼんやりとそれを見ていた。
今度こそ、死ぬかもしれない。
でも、いい。時間さえ稼げれば、それで。
俺は殺しを始めてから用意せざるを得なかった腰のナイフを抜く。シャロンが見た目で選んだマチェーテナイフは皮肉にも使いやすかった。
対してヴォルテックスはククリナイフを構えた。
「お祈りは済んだかい? スヴァン」
「……祈る相手なんて、いねぇよ」
お互い苦笑した途端、鐘が鳴った。
「行くぞ」
俺たちは走り出して、ナイフを振りかぶる。
――キンッ!キンッ!
いくつもナイフがぶつかる音が響いた。
幾度となく切り傷を負ったが、皮肉にも『生きている』と実感できた。
***
ダルクはホールの窓際の席で、トレインに話す。
「しばらくして、シャロンが俺の居るカジノまで来たんだ。靴が片方脱げて、足の裏なんて見てられないほどだった。シャロンから話を聞いて、俺は背筋が凍ったよ。スヴァンが、一人で殺し屋の組織のボスと戦ってると言ったんだ」
トレインは苦い表情で、ダルクに聞いた。
「それで、ダルクはどうしたんだい?」
「もう逃げる場所はないとシャロンから聞いていたんでな。その日の夕方に出航するヨーロッパ行きの船のチケットを二枚、緊急で手配したよ。そしてシャロンを無理やり船に乗せた。そして言ったんだ。『スヴァンが間に合えば二人で逃げろ、もし出航の時間になっても来なければ、お前一人でどうにか生きろ』とな。簡単な旅道具と旅に困った時に使うヨーロッパの言葉が書かれた本を持たせたよ。彼女も不安でいっぱいだったと思うが、俺も当時余裕がまったく無くてな。何度も俺に着いてこようとするから、船員にチップを渡して、『この女性を船から降ろすな』と言っておいたんだ」
「ずいぶん手荒なことをしたんだね……」
「まぁ、今思えばそうだな。シャロンとはそれっきり会ってなくて、久々に再会したのが今日のことだった。向こうからすれば、俺に会ったのは奇跡に近いだろうな」
トレインは昼間のシャロンの様子を思い出しながら、それもそうかと思っていた。
「で、話を戻すけど今のスヴァンの様子を見るにその殺し屋のボスとの戦いは圧勝だったのかい?」
トレインの言葉にダルクは暗い表情で首を横に振った。
「俺が二人の戦ってる場所をなんとか割り出して着いた頃には、戦いは終わってたんだが……殺し屋のボスの死体と虫の息になってるスヴァンが倒れててな」
「……!」
「体の切り傷がひどかったし、頭から流れる血で片目は見えてないし、しかも肩を撃たれたとかで、出血がひどかったんだ」
***
「……シャロン、は」
スヴァンが血を吐き出しながら言った第一声はそれだった。
「無事だ。船に乗せたよ。ヨーロッパ行きだ」
「……そうか。……っ、こいつ、土壇場になって銃まで使ってきやがった……誰だよ『フェアだ』って言ったやつ……」
「もう喋るな! ……生きて帰るぞ。肩を貸すから立て!」
「無理……言うなっつーの」
ダルクは無理やりスヴァンを立たせて教会の外に停めていた車の後部座席にスヴァンを乗せた。
「いいか、絶対死ぬなよ! 油断するな、どうにかして意識保ってろ!」
「……」
「スヴァン!」
「……わーったって。聞こえてる」
ダルクは猛スピードで車を運転し、スヴァンを闇医者のもとへ連れて行く。
建物から出てきた医者はスヴァンの様子を見て、目を丸くした。
「こりゃあひどい。ダルク、こいつぁもう死ぬぞ」
「なんとかしてくれ! 金なら俺が出す! あんた、確か整形外科の知識もあったよな? こいつの顔も変えてくれ」
「こんな整った顔を崩すのか? マフィアは何考えてるかわからんな。……やれることはやる。金は普段の三倍だ。こいつが死んでも払ってもらうが大丈夫か?」
「それでいい」
その日、スヴァンが船に乗ることはできなかった。
***
「それから二か月後、奇跡的にスヴァンは息を吹き返した。連絡を医者からもらって駆けつけたら、スヴァンが鏡に写った自分の顔見て、『だせぇ顔』って言ってたな。で、ちょうどその頃ロメインから余命宣告を受けたって手紙が届いてな」
「ロメイン……、あぁ、ダルクにここを譲ってくれた友人だね」
「そうだ。それで俺とスヴァンはヨーロッパに向かったんだ。お前と出会うのはその後のことだな」
「なるほど、これで辻褄があったよ。それがシューレさんと僕たちが会った、あの襲撃の時にスヴァンが言っていた『俺は一回死んだようなもんだ』っていう言葉に繋がったんだね」
「そういうことだ」
トレインは一呼吸おいてから、『ちなみにだけど』と言ってダルクの方を見た。
「昔のスヴァンはかっこいい顔してたんだよね。どんな顔なんだい? 写真があれば見てみたいよ」
ダルクは『そんな昔の写真あったか……?』と言いながらごそごそと懐を探って、『あった』と言いながら一枚の写真を見せた。
それを見たトレインは、
「え!? ぼ、僕よりかっこいいじゃないか……」
……ひどく落ち込んだ。
***
翌日。この日は休業日で、スヴァンは市場を歩いていた。
すると、目の前を歩いていた帽子をかぶった女性が段差につまずいて転びそうになる。
「おい!」
とっさにスヴァンは手を伸ばしてその体を支える。
「大丈夫か、足元に気をつけろ」
「ありがとう……」
その声を聞いて、『まさか』と思った。
顔を見て、確信する。シャロンだ。
「そ、それじゃあな」
なんとかその場をごまかして歩き去ろうと背を向けると、
「スヴァン!」
と、シャロンが背後から声をかけた。
突然のことで足を止めてしまうスヴァンが無視して歩こうと足を踏み出すと、シャロンに後ろから抱きしめられた。
「……行かないで。もう私の前からいなくならないで」
「なん、で……」
『どうしてわかった?』と言いたげなスヴァンが困惑した表情で振り返ると、シャロンは泣き笑いして言った。
「顔は変えられても、声は変えられないものよ、スヴァン」
「……!」
「ずっとあなたを探していたの。本当に長かったわ」
その時、ダルクがちょうどその場にやってきた。
「……スヴァン、お前は十分やった。もう幸せになっていいんだぞ」
「俺、なんかが……」
「?」
「俺なんかが、幸せになっていいわけねぇだろ!」
スヴァンはシャロンの手を無理やり離して、走り去ったのだった。
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