第2章 何でも屋は夜が遅くて朝が早い【5】
会話にひと段落ついたところで休憩時間を切り上げ、シリルは再び書類整理に取り掛かった。書き間違えのないよう集中していると、次第に目が疲れてくる。しばらくは自力で書類を片付けていたが、街の予算に関する書類に確認のサインを書き込もうとしたとき、メリフがシリルの手を止めた。
「ここ、計算が合ってないわよ」
「え、本当? ……うーん……? ここが合ってないと……あれ、どれだろ……」
その予算一覧は他の書類と関連すると記憶している。その書類はまだ「未確認」の中にあるはずだが、未確認の書類が散らばっていて見つけることができない。シリルがもたついているのに痺れを切らせたメリフが、未確認の書類にサッと目を通して素早く並べ替えた。そうして、シリルはようやく書類を見つけ出す。
「えーっと……」
「ここね。桁が間違えてるわ」
「うん。あれ、訂正印どこだっけ……」
机の上を見回すシリルに、メリフが引き出しの中からサッと判を取り出した。
「さっき自分でしまったんでしょ」
「ああ、そっか……ありがとう」
自分の忘れっぽさに呆れつつ訂正印を朱肉に押し付ける。メリフがいなければ、あと十分は探し回っていたかもしれない。シリルには、その末に発見できなくてトラインを呼ぶ自分の姿が見えていた。
「いつもこんな調子なの?」
「うん……。僕がこんなんだから、引き継ぎに時間がかかってるんだ」
「なるほどね。ちょっと待って、訂正はそこじゃないわ」
「うう……字がよく見えないんだよ……」
メリフの目と指を頼りに訂正し、その次の書類も修正して押印を終えると、ようやく書類を「確認済み」に移動させた。
「この半年間、よくやって来られたわね」
「うーん……僕じゃなかったら、もっと早く仕事が済んだだろうね」
「でも、仕事はほとんどシドニー・グレンジャーがやってるんでしょ?」
「そうなんだ。僕はよく知らないけど……」
曖昧に言うシリルに、メリフは呆れたように目を細める。シリルがなんと答えたものかと困惑していると、メリフは小さく息をつき、決めた、と意志を込めた声で言った。
「あたし、シリルの秘書になってあげるわ」
「ん、でも……メリフは依頼を受けに来ただけでしょ?」
シリルにとってはありがたい申し出だが、メリフの本来の目的はシリルの依頼を遂行することだ。領地経営は依頼とは関係ない。
「シリルは見てて冷や冷やする……というか、イライラするのよ」
「ええ……でも……」
「依頼人のサポートも手厚く、が当社のモットーよ」
「そういうサポート……?」
首を傾げるシリルに、ふふん、とメリフは誇らしげに笑う。
「そうやってシリルの信用を得ようという魂胆よ」
「そういうのは言わなくていいんじゃないの……?」
「見たところ、シリルは遠回しに言っても伝わらないタイプだわ」
「うーん……?」
シリルが首を反対側に傾げると、メリフはパシッと机の上を手のひらで叩いた。
「じゃ、まずはこの書類を初めから書き直すところからね」
「初めから……」
シリルが手にした書類は、五分の二ほど書き進めてある。初めからだとしても書き直し部分は少なくて済むだろう、とシリルは小さく溜め息をついた。
……――
うたた寝から目を覚ますと、星座が瞬いて流れ堕ちる天体が眼前に広がった。
星々は醜く、色とりどりに輝いて、こんなはずじゃなかったと呻いて散って逝く。
揺り椅子に深くもたれ、溢れる雫をそのままに煌めきの光景を眺め星屑を吐き出す。
鮮明な赤の向こうで弾けて飛沫を上げる虹がドロドロと溶けて血溜まりを作った。
ああ、美しい光景だ。だから、頭の中から出て行ってくれ。
大嫌いなあの子の歌が耳を突き出す前に。屑が詰まって息が止まる前に。心臓が砕ける前に。
恐怖で足が竦む前に。
これで最後だから。
――……
「シリル!」
呼びかける声に瞼を開く。顔を上げると、メリフが呆れた様子で腕を組んでいた。
「起きなさい! ディナーのお時間よ」
シリルはぴくりとも反応しない。首を傾げるメリフの視界に入るように、机に手をかけ顔を出した。
「ここからは僕がお話しさせていただきます」
メリフがこちらに気付いて視線を寄越す。ニコルが微笑んで見せると、デュランが来てシリルの体を抱き上げた。
「先にも申し上げた通り、シリルは意識が混濁するときがあります」
「だからあなたが出て来たのね」
デュランがシリルを運んで行くのを眺めつつ、ニコルは頷く。いま、シリルは眠っている状態だ。話をすることはできない。
「ロスは何か掴んだでしょうか」
「そうね。聞きに行きましょ」
メリフに当惑した様子は見られない。そういったものだと理解したらしい。ニコルが思っていたより聡明な少女のようだ。
ダイニングに向かって歩いている途中、そういえば、とメリフが口を開いた。
「トラインとアイレー、デュランはラト家の使用人なのよね」
「はい」
「グレンジャー家の人間は別館に出入りしないの? つまり、シドニー・グレンジャー以外ね」
「はい。たまに末妹のマギーが顔を出しますが、それ以外の者は基本的には近付きません。別館はシリルが心安く過ごすための場所。他の使用人がいてはシリルが気にしますから」
「なるほどね。あたしたちが出入りしていることをシドニー・グレンジャーは気付いているかしら」
「もちろん。グレンジャー男爵に伝えたかはわかりませんが」
勘の鋭いシドニー・グレンジャーのことだ。何でも屋がシリルに接触していることにはとうに気付いているだろう。彼がロスとメリフについてどう考えているかは判然としない。ただでさえ何を考えているかわからない男だ。しかし確かめる手立てはない。
「あたしたちのことを追い出したりするかしら」
「どうでしょう……。男爵とシドニーが判断すると思います」
「まあ、なんにしても派手な行動は起こさないようにしましょ」
「はい」




