月と太陽
「マリー……ちゃんか。良い名前だね。他に何か、覚えていることって……あるかな?」
目の前の少女……マリーに尋ねるが、マリーは首を横に振りながらルナの質問に答える。
「マリーで良いよ、ルナお姉さん。──さっきお姉さんに触れた時に、誰かが私のことマリーって呼んでたのだけは思い出したけど……う~ん、他にも何かあった気がするんだけど、忘れちゃった……」
マリーは暫し考え込む様子を見せたが、どうやら他に思い出せた事は無さそうだ。
あの電流のような感覚が、マリーに異変をもたらしたのは確かなようだ。であれば、一緒にいればまた何かの拍子に記憶が戻るのでは、という思いもある。
だとすれば、今は不確かな記憶を追うよりも、もう一つの重大な懸案について話をすべきだろう。
「じゃあ、マリーって呼ぶから。私の事もルナでいいよ。……大丈夫。名前が思い出せたんだから、きっと他の事も思い出せるよ。……それに、記憶も大切だけど、これからのお話をしないとね」
明るく振る舞いながらルナがそう告げると、マリーは少し不思議そうな顔をしながら、可愛らしく小首を傾げる。
「これから?」
「うん。記憶が無いってことは、家がどこかも分からないし、帰れないってことでしょう? だから、取り敢えずでも住む場所のことも考えないと……」
その一言に、改めて自らの境遇に思い至ったのか、不安げな表情を浮かべるマリーに、慌てて声を掛ける。
「あ、もしかしたら街に行けばマリーの事を知ってる人がいるかも知れないし、もし知ってる人が居なかったら、私の家に泊まることも出来るから、大丈夫だよ!」
そう口にしながらも、マリーを知っている人がいる、という線は望み薄だろうという事は理解していた。
なんと言っても『エルフ』の少女である。エルフが珍しくないのであれば、そもそもマリーは誘拐などされていないのだ。
もちろん、マリーを一人でここに置いていく、という考えは全く無い。とはいえ、伝説に語られるエルフの少女ともなれば、街へ連れて行くということ自体がリスクでもあるだろう。
それらの諸々を考えた結果が……全ての問題を一旦棚上げにしての、自宅への招待だ。
とはいえ、家に泊めるにしてもまずは本人の意思を確認するのが肝要だろうと考え、先ほどの言葉が口をついて出た。そうして、暫し思案げな顔をしていたマリーが、ささやくように口を開いた。
「私、何にも覚えてないし……迷惑……かけちゃうかも?」
そう伏し目がちに呟くマリー。エルフなので実際の年齢は分からないが……外見年齢が十歳前後の少女が、相手の負担になることを考えて遠慮する姿に、何とも言えない思いが湧いてくる。
「子供は遠慮なんてしなくて良いんだよ……マリーがどうしたいのか、教えてくれる?」
小柄な自分の体よりもさらに小さいマリーに視線を合わせ、微笑みながらそう尋ねる。
「……うん。私、ルナのお家に行ってみたい。──ん……ルナは大人なの?」
自らの意思を明確に伝え、その一言を聞いたルナは満足げに頷きながら、そっとマリーの頭を優しく撫でた。のだが……その後付け加えられた言葉に、ピタリと動きが止まる。
先程の会話の中で不思議に思った事を質問した形のマリー。マリー視点からすれば、ルナは少し年上のお姉さんにしか見えていないため、「大人なのかな?」という純粋な疑問ではあったのだろうが……その一言が、ルナのメンタルに予期せぬ方向から突き刺さる。
「あ~、うん。大人……大人、かぁ……」
身体は十五歳の少女だけれども、精神は三十二歳の男だから大人……いや、三十二歳になっても今までゲームしかしてこなかった、社会人としての経験が皆無の人間を、本当に大人と呼べるのか……?
ゲームをして来た事自体に後悔は無いが、自らの事を大人だと言い切る自信も無く、思わず天を仰ぐルナ。
「ルナ?」
訝しげにルナの名を呼ぶマリーであったが、しかしてその言葉はルナには届いておらず……。
「大人……かなぁ……?」
己が人生を振り返り、少しセンチメンタルな気持ちになりつつ、虚空を見つめたルナはそう呟くのだった。
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「よし。じゃあ、お家に帰ろっか! お家でもう一人のお姉さんが、ご飯作って待ってるからね」
暫し遠い目をしていたルナだったが、多少メンタルが回復したのか、空元気まじりにそう声を出す。そんなルナの言葉に、マリーは思わず「ご飯……」と呟いた。
「? ……お腹空いてるの、マリー?」
それに気が付いたルナがそう尋ねると、マリーはコクコクと頷きながら返事をする。
「うん……お日様が眩しくて目が覚めたら、大きな樹の下にいて……どうしていいか分からないからそのままジッとしていたら、夜になって、また朝が来て……。そのうちどうしてもお腹が空いたから食べ物を探してたら、あの変な人たちが急に来たの」
どうやらマリーは深王樹の袂で目を覚ましたらしく、しかも昨日からここに居たようだ。そうして今朝、お腹を空かせてこの辺りをウロウロしていた時に、あの亜人共に見つかってしまったらしい。
「じゃあ、尚更急いで帰らないとね。子供はいっぱい食べて大きくならないと」
「ん……大人は食べても大きくならない? ルナは大きくなる?」
間髪入れぬ返答には微塵の悪意も無い。しかし、またしても意図せぬカウンターをルナに突き刺すマリー。
「グフゥッ……」
なんだろう、肉体の成長の話だろうか。内面の成長の話だろうか。フィジカルの話ですよね? そうですよね? 決して「精神年齢が子供なままの大人」とか、そういう話じゃないですよね、大丈夫です、分かります。
「と、とにかく。走って帰れば夕ご飯には間に合うから、急いで帰ろ!」
口を開けば開くほど良くない流れになる気がしたルナは、マリーにそう訴えかける。
「わかった。ルナより足が短いから遅いかもしれないけど……私も頑張って走るね」
真剣な顔で言い放つマリー。その返答に思わず目が点になったルナは、一拍置いて笑いながらマリーの勘違いを正す。
「アハハ! マリーは走らなくて大丈夫だよ。さ、私の背中に乗って。私もお腹空いたからね」
そう言いながら、ルナはマリーが乗りやすいようにしゃがみ込む。
ルナが戦っている場面を直接は見届けておらず、その小さな体に慮外の力を秘めているとは知らないマリーは、ルナを案じ一瞬躊躇いを覚える。だが、ルナを信じ、その背にそっと体を預けた。
「よし……! しっかり捕まっててね。マリーが思ってるより、ずっと速いと思うからね!」
その言葉を聞いたマリーは首に回した腕に力を込め、それを感じたルナもまた、背中に回した手にグッと力を込めながら、膝を折り曲げその体を加速させ走り始める。
「わっ、あっ。凄い……速い……!」
ルナの言葉通り、想像していた以上の速度に思わず声を挙げるマリー。背後から聞こえる声をしっかり聞き取ったルナは、「大丈夫? もう少しゆっくり走る?」とマリーに問いかける。
「大丈夫。速いけど……風が気持ち良いよ!」
正午の最も日が高い時間よりは沈み始めてはいるが、それでも遮るものの少ない高原には強い日差しが降り注ぎ、暑さを感じさせる。
そんな中、疾走することで生まれた風は二人に涼しさを与え、その心地よさを全身に感じながら、二人は帰路を急ぐのであった。
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