第二話
食事を終えれば、本格的に仕事の始まりです。私は副隊長殿と一緒に、建物二階の小隊ごとに割り当てられている部屋へ向かいました。
コツコツコツと、律動的な足音を伴いながら、副隊長殿と私はずらりと並ぶ灰色の扉の一つで立ち止まりました。
「副隊長殿。おはようございます」
「おはようございます」
「あぁ、おはよう」
扉を開けると、部屋にはすでに他二人の小隊の隊員が集まっていました。青色の肌に口からはみ出た牙が特徴的な魔人であるジロウラと、顔に三つ、両手の甲に一つずつ眼球を持つ魔人のズアイです。彼らはすでにそれぞれの武器を帯び、私たちを待っていました。
私たち、といっても私もしょせんは副小隊長。二人とほとんど同じ立場です。急いでロッカーに収めている武器を取りに向かいます。
「俺も武器を取ってくる。少し待っていてくれ」
副隊長殿も同じように、ロッカーを開き、鞘に納められた一振りの剣を取り出して、腰のベルトに収めました。
武器をベルトに収める手際は流れるようで、つい手を止めてしまいます。
「あ……」
その様子を、五つ目のズアイが小さく笑いながら見ていました。
「どうした?」
「い、いえ。すぐに準備します」
赤面した顔を隠しつつ、小型魔導エンジンを搭載した小さなナイフと魔法の触媒となるロッドを手にしました。
「全員準備はできたか? では“統率局秩序部対開拓者課猟犬部隊第二小隊”の本日の予定を伝える」
副隊長殿が口を開きました。私たちはさっと副隊長殿の前に整列します。
「はっ」
「今日は普段のような捜索が任務ではない。先日、第五小隊が開拓者どもの巣穴を見つけた。殲滅任務だ」
殲滅任務。副隊長殿の一言に、私たち三人の間に緊張が走りました。殲滅任務とは発見した開拓者を処分する任務です。
秩序を乱す開拓者を処分することが私たちの存在意義。とはいえ、普段から開拓者と殺し合いをしているわけではありません。捜索がほとんどで、緊張してしまうのも無理はないと思います。
「行こうか」
副隊長殿は短く告げて、ささっと部屋を出て行ってしまいました。素っ気ないとも、開拓者との戦いを一刻も早く望んでいるとも言い切れない副隊長殿の態度に、私はジロウラとズアイの三人で顔を見合わせました。
「あれ?」
副隊長殿は同じ部隊の魔人たちからも嫌われています。幸い第二小隊のメンバーは私も含め、みな副隊長殿を尊敬していますが、第五は特に副隊長殿を嫌っているのではなかったでしょうか?
おかしい。ですがその違和感を、私は流してしまっていました。
*
副隊長殿を先頭に、建物を出ました。目の前に広がるのは、灰色の空の下に広がる、統一された建物としっかりと整備された道路。その道路も歩道と車道に分類され、行き交う魔人たちや魔導車が走っています。
空はいつもと変わらない灰色。遠くを見れば赤色の高い壁が見えます。
副隊長殿は外に出ると、周囲を通る魔人たちに鋭い眼光を光らせました。眼光を受けた彼らは、副隊長殿の眼光に臆し、二つの腕章に気づいてさっと目を反らしました。
「どうしていつも周りをにらみつけるんです?」
副隊長殿の視線に気づいたズアイが首を傾げました。目が多いズアイは視線というものに敏感です。副隊長殿は報告のあった場所に歩を進めながら答えます。
「俺は“裏切り者”だからな。威圧を緩めればなめられる。猟犬部隊がなめられれば終わりだ」
それに、にらみつけて反らす以外の行動をとった奴は怪しい。開拓者の疑いがある、と副隊長殿はおっしゃいました。ズアイはわかったような、わからないような、そんな顔です。
副隊長殿のお言葉ですのに、なんて態度でしょう。もっと感心したような表情をなさい。
と、思っていると隣にいたジロウラが私の肩を軽くたたきました。
「副隊長殿が好きなのはわかるが、その表情はやめとけ。なんていうか、狂信者の顔をしているぞ」
「そんな……私を“魔王教”のように言うなんて」
「なら、そんな風に誤解されそうな顔はするなよ」
ぼそぼそと二人で言い合います。その間にも副隊長殿とズアイは前に進み、私たちは急いで後を追いました。
追いつくと、副隊長殿とズアイは周囲の様子を観察しながら何やら言っています。ふと、副隊長は空を見上げて言いました。
「今日も空は灰色だな」
「……? 副隊長。それはどういう意味で?」
「あぁ、気にするな。他愛のない戯言だ」
おかしな副隊長殿。
空なんて、はるか昔から灰色で、それ以外の色になんてなったことはないのに。
周囲を見回りつつ、時々余計な話もしつつ足は目的の場所に向かいます。私たちが普段寝泊まりしているG7区画から工業地域であるG8、G9区画を渡って市民区画であるG10区画へ、そこから北上してB10区画。
そこまでは秩序の保たれた、美しい外観です。ですが、ここからは違う。
黒い線で仕切られたB10区画に入ると、とたんに悪臭が鼻をつきました。普段の業務で何度もこの区画には入っているので、いい加減慣れてもいいのかもしれませんが、不快感は消えてはくれません。
視線を横にやれば、汚れた建物のそばに寝転がるやせこけ老いた魔人。つけている腕章は黒。
「汚らわしい」
「気にするな。いくぞ」
眉をひそめる私たちを後目に、副隊長殿は淡々と、慣れた道を歩くように歩を進めていきます。
並ぶ建物は無秩序かつ無計画に作られ、みずぼらしい建材で作られています。雑然を通り越して醜悪で、
ここは貧民区画。市民の中でも最下位に属する“隷属民”が多く住まう場所で、
私たちを包む壁を破ろうとする開拓者たちの巣窟となっている場所なのです。
*
私たちの暮らしている“都市”には高い壁があります。壁は“都市”と外を遮るように作られ、“都市”の住人は壁の内側で暮らしています。
”都市”最高位である”指導民”をのぞく私たち一般市民は、壁の外側に何があるか知りません。知る必要がないからです。私たちの生活は、“都市”の内側で秩序正しく完結していて、壁の外は勘定に入っていません。
ですが、愚か者はどこにでもいるもので、秩序を乱し、壁の向こう側を知ろうとする魔人たちがいるのです。
それが“開拓者”。彼らは徒党を組み、統率局に抗って壁を越えようとしているのです。
壁の向こう側へ行く。それは統率局が定める規則の中でも最大級の罪悪です。ゆえに、開拓者どもの蛮行を制するべく、秩序部があり、私たち対開拓者課の“猟犬部隊”がいるのです。
「情報のあったポイントまであとどれくらいですかね」
貧民区画に住んでいるのは、ほとんどがブラック、“隷属民”たちです。市民の階級は“指導民”から始まり、“管理民”、“労働民”、“奉仕民”と下りていき、“奉仕民”のさらに下層に“隷属民”はいます。“隷属民”は他四つの階級とは異なり、生まれつきではなく深刻な規則違反を侵したり、開拓者になったりした魔人に当てられます。
“都市”は秩序を乱す存在に容赦はしません。一度“隷属民”に落ちてしまえば、“奉仕民”ですら受けられる権利の一切を受けることができなくなり、貧民区画で無様に生きるしかなくなるのです。
命があるだけまし。そういうことです。
「あと少しだろう」
副隊長殿は薄汚れた道を戸惑うことなく通り抜けていきます。そんな副隊長殿を、野垂れ死に直前のブラックたちが憎たらしそうに見ています。
殺してやりたいですが、いくらブラックといえど、訳もなく殺すことは規則違反。殺意を叩きつけるだけで済ませてやります。
「ここだ」
そうこうしていると、目的地の近くまでたどり着きました。一見すると、他と変わりない薄汚れた建物の一つ。しかも周囲には似たような建物が隙間もないほど並んでいるせいで区別がしにくいです。その建物からやや離れた場所で、副隊長殿は短く命令を出しました。
「作戦はいつもと同じだ。セメナが結界を張り、私とジロウラが先に入る。ズアイは周囲の警戒。いいな?」
「はっ」
副隊長殿の命令に敬礼で返します。やはり、副隊長殿に命令されると気持ちが引き締まります。これで勇気百倍。開拓者が群れとなって襲い掛かってきても、勝つ自信があります。
正面きって戦うのは私の役目ではありませんけどね。
ともあれ、命令を受けた私たちは戦闘準備を整えます。私は腰に差していたナイフを抜き、魔力を流して魔導エンジンを起動させます。
魔導エンジンは、私の魔力を魔導エネルギーに変換して、身体能力や五感を高めてくれます。戦いを生業とする者にとって魔導はなくてはならないものなのです。
続けて、ロッドにも魔力を流し込み、詠唱を始めます。使うのは命じられた結界の魔法。同じ魔力を源流としていても、魔導とは異なり、多種多様な結果をもたらしてくれます。
その分、魔力の消耗も大きいですが、魔法が得意な魔人は魔力も多く、大した問題にはなりません。
「展開完了です」
詠唱すること十三秒。私の結界が完成しました。静かに結界を構成するのは私の得意技です。気配なく張り詰めたおかげで中にいるであろう開拓者どもが騒ぎ出す様子はありません。内部の魔人の逃走を許さず、逆に我々小隊の魔人は自由に出入りできる強固な結界です。
「作戦開始」
短く副隊長殿が告げます。同時に私たちは走り出しました。先頭を走るのは副隊長殿とジロウラ。その後ろを私とズアイがついていきます。
「動くな!」
副隊長殿が入り口の扉を蹴破ります。中には二十人ほどの魔人。絶対に着けるべき腕章をつけていません。彼らはかけ事でもしていたのか、机の上に札が散乱していました。副隊長殿は、まばらに武器を取りながらも困惑する魔人たちを、順番ににらみつけていました。
「――腕章不携帯に、違法賭博。規則違反だ。武器を捨て投降しろ。そうすれば、必要以上の危害は加えない」
寛大な副隊長殿の言葉。ですがその言葉に魔人ども、いえ開拓者どもの怒りが燃え上がりました。彼らの視線は副隊長殿の二つの腕章に向けられています。
ですが開拓者の中に一人、腕章ではなく、副隊長殿の顔を見ている魔人がいました。
「ふざけるな!! “裏切り者”のお前が何様のつもりで語っている!! 投降など、するものか!! それに投降したところで先に待つのは死だけではないか!!」
開拓者のリーダーらしき魔人です。副隊長殿は顔色一つ変えません。いつもと同じ流麗な表情のまま、すでに魔導エンジンの起動した剣を抜きました。
私が副隊長殿と出会った時から使っている厚みのある片刃の剣です。剣は活性化された魔導エネルギーによって発光し、強烈な気配を漂わせています。
剣だけではありません。副隊長殿の肉体からも薄い光が放たれています。
「……言いたいことはそれだけか? 開拓者ども。今の私は統率局の局員だ。そして壁の外へ出ようなどとのたまう貴様ら開拓者は」
――全員拷問の末に極刑だ。
その言葉と同時に、副隊長殿は近くにいた開拓者に斬りかかっていきました。