叱られオスカー
エリザへの襲撃を撃退した次の日のこと、俺は執務室で一人の女と向き合っていた。
「私、オスカー様に、二点、確認したいことがございます」
「はい」
「まず一つめ。昨晩の聖国部隊による襲撃で、あなたはエリザベート陛下に賊の攻撃を通しました。とっさに陛下が避けたため事なきをえましたが、あれは極めて危険な局面だったようにおもわれます。閣下、もっと手厚く陛下の守りを固めるべきだったのでは? 影武者を置くなり、陛下を隠し部屋に案内するなり、いくらでもやりようはあったはずです。しかしあなたはそうしなかった。これはなぜなのか?」
「自分は確実に敵をしとめたかったのです。可及的速やかにエリザの危険を排除したかった。小細工を弄した分だけ、敵に察知される可能性が高くなる。自分はそれを恐れました」
「それで、その判断は正しかったと、そうお考えですか?」
「いいえ。矢よけの魔術具を過信しすぎたと思います。相手側が対策している可能性を失念しておりました。万が一あれが当たればエリザは重傷でした。完全に自分の落ち度であります」
女は重々しく頷いた。
椅子に縛り付けられているというのに随分と威厳がある。
対する俺は執務机の後ろ側ですっかりしょぼくれている。
「次に、エリザベート陛下に手を出したことです。なぜよりにもよって襲撃があったその晩に、エリザを襲ったのですか? 状況の安全確認が十分だったとは思えません。軽率な行動であったように思われます」
「ちゃんと責任取ります。ですから、許して下さいコレットさん」
「論点をずらさないで頂きたい。私はエリザの安全を問題にしています。もう一度言いますが、状況の安全確認が十分だったとは思えません。軽率な行動です」
「もう、我慢が、できなかったのです……! 自分は、あの晩、彼女をもらうつもりでありました……」
「はい、有罪。一ヶ月間の接触禁止を申し渡します」
「コレットさん、何卒! 何卒、お慈悲を! 自分、死んでしまいます!」
俺は、逆上したコレットから襲撃を受け、これを返り討ちにして簀巻きにし、そして彼女から熱い説教をもらっていた。
今はその正念場だ。
正直な俺は、馬鹿正直に彼女の下問に返答し、そして順当に厳罰を申し渡されたところであった。
このままだと一月も生殺しだ。
しかしこの女の言葉は完全なるド正論。
ぐうの音も出ない。即ちぐう正。
これはもう反論の余地がない。
コレットは未だに利己的な動機で慌てる俺に、あきれたような顔を向けるとため息を漏らした。
「オスカー様、はっきりと申し上げます。今の貴方は自信過剰なのではありませんか? 戦闘なら絶対に負けない、なにがあろうと自分の思いのままにしてみせる。そういう傲慢さがあなたの態度や行動からは透けて見えるのです」
「まぁな。部屋に忍び込んできたお前も一瞬で返り討ちだし」
「だから、そこが駄目なのです! あなたが自分の過信ゆえに傷ついたり死んだりするのは勝手です。でもエリザを巻き込まないで下さい! エリザは普通の女の子! なのに貴方には、その配慮がさっぱり足りていない。モテなかったというのがよくわかります!」
「おい、今、モテるモテないは関係ないだろう!」
「いいえ、大ありです。正直、今、私はあなたとエリザの交際を認めがたく思っております。エリザにはもっと普通で常識的な男性が相応しい。あなたのような事故物件ではなく!」
黙れ、俺は好きにする!
貴様の許可などなかろうとも俺は彼女をさらっていくぞ!
喉の奥まででかかったその言葉を俺は飲み込んだ。
次のコレットのこの言葉が俺の肺腑に刺さったからだ。
「『俺が助けてやったんだから、エリザは俺の好きにする。エリザだって受け入れている。だからあいつは俺の物』。もしあなたがそんな気持ちでエリザと接しているのなら、私はあなたを許しませんよ! 絶対にエリザは守ります」
俺は言葉に詰まった。
そんなこと無いと言い切れる自信がなかったのだ。
思い返してみても、エリザの口から出てくるのは、俺への感謝と親愛の気持ちばかりだったのだ。
そしてエリザは俺が何をしても許してくれる。
結果、俺は「ああ、やはり俺はたいした男なのだ、だってエリザが認めてくれているのだから」とすっかりのぼせ上がっていた。
エリザはただひたすらに優しく甘い。
ある意味でそれは酷い毒だった。
特に俺のような男に対しては……。
思えば腹心のマルノイからも「最近調子に乗ってるよね、オスカー」と、本気の諫言をもらっている。
悪口に片足突っ込んでるが、的確すぎて認めるほかない。
それに、奴が俺の事をオスカー呼びするときは本気で怒っているときなのだ。
反省だ。
誇張でもなんでもなく、俺は人生で一番反省した。
新年早々、説教をもらった俺であるが、エリザはエリザで閣僚達から怒られていた。
彼女も最初の閣議で「帝国に併合してもらいます!」と勢いよくぶち上げて、この女王、何言ってるんだと臣下達から熱い忠言をもらったのだ。
裏でせっせと嫁入りの準備も進めているじじい共は、国の併合などという大事業でエリザが拘束されるのを嫌ったのだろう。
凹む彼女を見るにつけ、思わぬシンパシーを感じた俺はすこしだけ気持ちが軽くなった。
「お前なんぞエリザには相応しくない」
コレットの言葉が予想以上に堪えていた。
振り返ってみると、俺のほうにも、エリザに恩を着せたという負い目があったように思う。
俺には戦うぐらいしか能がない。
だから、その力を認めてもらわねばと、無駄なことをしていたようだ。
だが、エリザはエリザでかわいい欠点を沢山抱えている。
なにしろ、彼女は隙だらけ。
その善性は美点でもあり大きな弱点でもあったのだ。
時代や周囲の人間に恵まれなければ、愚鈍とそしられ、あるいは食い物にされる類いのものだ。
ならば俺がすべきは、ドラミングするゴリラのごとく力を誇示するのではなくて、彼女を守るためにそれを隠し、いざという時にふるえるよう研ぎ澄ますことではないだろうか。
わかってしまえば単純なこと。
遅ればせながらその事に気付いた俺は、穴に埋まらんばかりの恥ずかしさを味わった。
それから二日後、俺はエリザに良く関わる人間を呼び出した。
コレット、アリス、ルチアの三人だ。
この時俺は、聖国への遠征計画について詰めの議論をすすめていた。
故にエリザの親征を要請したいと考えていた。
親征、即ち最前線への女王の臨御。
エリザの安全を守るにあたっては腹案があったが、それには彼女に仕える人間の協力が是非とも必要で、俺は彼女らを説得する必要にかられたのだ。
以前の俺なら上意下達の命令書一通で済ませたのだろう。
だが、何分、俺は失敗したばかりだ。
一国の女王を危険にさらした上、半ば無理矢理迫ったという、こんな失態を侵しながら、また何の説明も無しに彼女を前線まで引っ張り出すのは許されざる所業だろうと、流石の俺も思い当たったのだ。
考えて見れば、極めて常識的なことである。
その事にすら思い当たらないとは、非常事態の処理ばかりで、感覚がおかしくなっていたように思う。
自信を無くしていた俺は、少しビクビクしながら、エリザの側近を執務室に迎えた。
入ってきた彼女らが俺の方へと視線を向ける。
それは案の定というべきか極めつけに鋭く厳しいものだった。
まず最初にアリスという帝国出身の令嬢が挨拶をした。
「つい先だっての襲撃でエリザベート陛下をお救い頂いたこと感謝しております」
「ああ、当然のことをしたまでだ」
「ですがグレイン閣下。その後のエリザベート陛下に対する扱いについては如何なものかと私は思います。あのような状況で、陛下に半ば無理矢理関係を迫るなどと……。閣下の陛下へのお気持ちも、また陛下が閣下のことを慕いしていることも存じておりますが、もっと大事にして頂けませんか? 陛下に、エリザ姉様にあまり酷い事をしないでもらいたいのです」
「すみません」
もう一度言うが、このアリス嬢が俺に対して一番好意的だった。
その彼女からして二言目からは苦言である。
続いてコレットだ。
「私、エリザには、オスカー様との交際をやめるべきだと、進言させてもらいました」
俺は、血が引く音を聞いた。
これが、これこそが、もっとも恐れていたことだ。
「王国と帝国の関係は、もはや閣下を通じてのものだけではありません。ですからエリザの交際相手には、もっと広い選択肢が考えられるのです。中将閣下には確かに恩義がございます。しかし限度という物がありますので……」
「すまなかった……。だが、そんなことをされては、俺が、死んでしまう。……いや、まずは、エリザだ。エリザはなんと言っていた?」
コレットは首を横に振る。
「エリザは、あなたのことを慕っています。自分を救ってくれたオスカーを自分から裏切るなどありえないと。ですから、私達も今のところは静観させて頂くことにしました。無理に言葉を尽くして引き離してもエリザは傷つくだけでしょうから」
「すみません」
極めつけに手厳しかった。
この女、隔意がある相手には敬語になるらしい。
以前はもっと砕けた話し方をしてくれていたのだが、あの晩以来、馬鹿丁寧な物言いを崩そうとしない。
正直かなり傷ついている。
そして最後の一人は、聖国からの客人ルチアだ。
この女の俺に対する好感度は最初からほぼゼロであったが、今は地面の遙か下に潜り込んでいる。
岩盤ぶち抜いて、地下水脈とか掘り当てられそうな勢いだ。
目線の冷たさたるや、凍土を吹きすさぶ寒風に勝るとも劣らなかった。
「できれば、エリザベート陛下に近寄らないでもらいと考えています。このケダモノ」
命を捨てる覚悟で敵国に飛び込んできたこの女は、失う物など何も無いため大変豪胆な物言いをする。
最近は俺に対して、「道理を通すぞ、私の事が気に入らなくば、煮るなり焼くなり好きにしろ。殺さば殺せ!」という態度を隠そうともしない。
「本当にすみませんでした」
俺は、帝国の遠征軍司令官であり、聖国の命運を左右する立場にある。
そんな人間の謝罪を興味なさげに聞き流すと、ルチアは俺から一番離れた椅子に着席した。
「では皆さんが揃ったところで、本題に入らせて下さい」
開幕から敬語で話す俺。
いいでしょう、聞くだけはきいてあげますよ、と言わんばかりの態度で代表らしいコレットが頷いた。
「近く我らは聖国への遠征を実施する予定です。おそらく野戦が一、二回、その後、聖都を攻略して、ルチアを代表に和平条約を締結。戦争を終結する見込みです。作戦そのものについての懸念事項はありません。しかしこの間、エリザをどう守るかについて話し合いをしたいのです」
「城に置いておけば良いのでは?」
俺は首を横に振った。
「自分が聖国の指揮官であれば、エリザを亡き者にします。それは可能だ。彼等はそれだけの力を有しているのです。故に王城に置いておくわけにはいきません。自分はエリザにもこの遠征に同道してもらいたいと考えております」
「……それはエリザを戦場に出すという事でしょうか? しかも最前線に。あり得ません。私は当然反対です。危険すぎますから。あと敬語はやめて下さい。違和感で肌がぶつぶつします」
コレットは厳しい。
ダダ漏れの不信感もそうだが、「肌がぶつぶつ」するって、それもうほとんど悪口だ。
まぁ、敬語は無しでいいと言ってもらえるのはありがたいのだが。
残る二人も程度の差こそあれ、なんてことを言うのかしらという顔で俺を見ている。
一応、考え無しなわけではないと主張させてもらおう。
「親征になった場合の危険については、完全に排除できる策がある。彼女の安全を確実に確保できるよう、機材を準備中だ。どうか信じてもらえないだろうか」
俺は誠心誠意頼んだが、コレットの表情は硬いままであった。
「それは……無理ですわ。申し訳ありません。でも私達には信じられるだけの材料がないのです。先日のあれを見るにただ閣下を信じろといわれても、納得するのは難しい」
「そうか……・。ならばどうすればいい? どうすれば、俺は信じてもらえるだろうか」
以前の俺であれば力づくで我意を通しただろう。
だが、今それをするわけにはいかぬ。
俺が犬っぽい恭順さを示してみせると、女達はその目を妖しく光らせた。
な、なんだその目は。
俺はおかしなことをいっただろうか?
内心で慌てる俺。
謎の眼光で俺を困惑させたコレットは、心持ち低くした声で俺に言った。
「であれば、無礼を承知でお願いします」
「お、おう」
「今一度、閣下を信じられるかどうか、私どもに見極める機会を頂きたい。要はテストです。その結果をもって今回の親征についても可否を考えると共に、場合によっては陛下と閣下の仲をとりもつべく、私どもも手助けをさせて頂きましょう」
「それは……、願っても無いことだ。是非頼みたい」
「では、まず、私どもから見た今のオスカー像ついてお話しさせて頂きます。それがスタートラインですから。心して聞いて下さいませ」
「ああ、頼む」
彼女らが言うところによると、俺は、近所で平和に暮らす優しいお姉さんを拐かして、無理矢理手込めにしたヤクザ、ないしチンピラのような存在らしい。
腕力が強く、強引で、しかも思考は極めて野蛮。
能力はともかく、個人の人格に関して言えば、俺の信用は著しく低いのだという。
単に戦争ができるだけで、しかもそれを鼻にかけた嫌な男。
そんな男と一緒になって、エリザは幸せになれるのかと彼女らは心配しているらしい。
「そこまで酷いのか……」
ルチアが力強く首肯する。
こいつめ。
「これが閣下に対する世間の評でございます。私たちだけでは無く、帝国軍将兵の皆様もふくめての一般論。流石にこれではエリザの相手として困ります……。故に閣下には生まれ変わって頂きたいのです」
「部下達までそんなことを思っているのか。正直許しがたいが……。だが事実であれば厳粛に受け止めねばなるまい」
「はい厳粛に、かつ真摯に受け止めて下さいませ」
「しかし、生まれ変われというが、俺はずっとこんなだったのだ。それが今更変われるものなのか? さっぱり自信はないぞ」
「なにを仰います! 閣下ほどのお方であれば、容易いことでございます。そも、人は学ぶ生き物、エリザベート陛下が女王として産まれたわけではないのと同じように、閣下もこれから騎士になればよい。ちんぴらっぽいオスカーにさっさとおさらばするのです。これは陛下のためでもあるのです。閣下には頑張って頂きたい」
俺が首肯すると、コレットの視線を受けて、ルチアが一歩踏み出した。
「では、このルチアがオスカー矯正作戦の任にあたりましょう! エリザベート陛下へのせめてもの恩返しです!」
この日、俺は条件付きでエリザの親征を認めてもらうという当初の目標を達成し、交換条件として、俺はエリザに相応しい男として生まれ変わることを義務づけられた。
そして、ルチアから手厚い教育を施されることになる。
俺は作戦開始日まで、騎士道的心構えや振る舞いから、細かい礼儀作法にいたるまで、いろいろと仕込まれた。
ルチアはとても厳しい教師だった。
彼女は俺を傭兵上がりの指揮官から、女王の騎士に相応しい騎士様へと生まれ変わらせるべく、容赦なく俺をしごき、思想改造までしてくれたのだ。
女性を力づくで好きにしてはいけない。
女性の気持ちを大事にして、できるだけ慮ってやらねばならぬ。
特にエリザは、あんたに対して奥ゆかしい。日に一度は彼女の希望も聞いてやれ。
とりあえず、その腕力で何とかしようとする癖を改めろ、頭丸めるぞ、この猿が!
云々かんぬん。
厳しい訓練は俺を散々に苦しめた。
だが、俺は挫けたりしなかった。
なにしろ俺の意思は固かったからな。
それになにより、頑張ったご褒美にと、奴ら三人がエリザとの逢瀬をご褒美にくれたのが大きかった。
俺がエリザの格好について好みを伝えておくと、連中はこっそりエリザの服装に細工をしてくれたのだ。
なにやら言い含められてもいたのだろう、綺麗に着飾ったエリザは、会う度になぜか俺のことを褒めてくれた。
そして、俺の些細な変化を喜んでくれた。
「なんだか最近、オスカーが優しくなった気がします。仕草とか、言葉遣いとか。私の気のせいかしら?」
と。
俺は面はゆくも誇らしい。
「いや、気のせいではないぞ。俺も女王の伴侶となる身。故に今、専門の教育を受けているところなのだ。エリザから見ても違いがわかるなら、成果があがっているということだろう。ありがとう。嬉しく思う」
「なるほど……。そんなことしなくても、私は貴方と一緒になれればそれでいいのですけど……。もともと私も田舎貴族みたいなものですし。……でも、私のためっていうのは嬉しいです。好きです、オスカー」
これは、やりがいがある!
ルチアが鞭というのなら、エリザはまさに飴だった。
しかもとびっきり甘い奴。
おれはエリザに喜んでもらおうと、軍務や警備の合間を縫っては、せっせと騎士道学習に精を出した。
俺は、エリザは純真で騙されやすいなどと思っていた。
だが、違った。
俺も大概馬鹿だったのだ。
なんとこの俺の学習計画であるが、コレット一味が立案しユリウスが承認した「オスカー調教計画」なるものの一環であったのである。
俺の心の動きなど最初から奴らの手の上で、「戦争屋のオスカーにエリザを大事にしてもらうにはどうすべきかと?」と、エリザの側近達が、帝国軍の幹部も巻き込んで策をめぐらした結果であった。
そんな計画があったことを俺が知らされたのは、大分先になってからのこと。
もうすっかり丸くなっていたいた俺は、「おのれ、一本とられたな」などとたいそう平和な感想を抱いたのだった。
なおそれとは別に戦争の計画は着々と進めた。
俺たち中央即応軍にとっては既にルーチンワークであったので、滞りなく完了した。




