EP 20
大地を揺るがす咆哮、ベヒーモスの衝撃
幾多の凶悪な魔獣を退け、いやらしい罠の数々を潜り抜けた僕たちは、ついにダンジョンの最下層――その深淵へと到達した。
目の前には、重厚な装飾が施された、見上げるほど巨大な扉がそびえ立っている。
「これが、最深部のボス部屋……」
扉の隙間から漏れ出る、胃を直接掴まれるような重圧。これまで戦ってきた魔狼やグリフィンとは明らかに格が違うプレッシャーだ。普段は元気なピカリも、震えながら『タロウ……怖いよぉ……』と僕のフードの中に隠れて小さくなっていた。
「行きましょう、太郎さん。私たちには、この迷宮を制覇する資格がありますわ」
「ええ。三人一緒なら、絶対に負けない!」
サリーが僕の左手を、ライザが右手をギュッと握ってくれた。
その温もりに勇気をもらい、僕は大きく深呼吸をして、重い扉を力一杯押し開けた。
ギギギギギ……ッ!
――そこは、広大なドーム状の空間だった。
中央に鎮座していたのは、小山のような巨体。赤紫色の剛毛に覆われ、天を突くような二本のねじれた角、そして建物の柱ほどもある極太の四肢。
「ブモォォォォォォォ……」
ゆっくりと立ち上がったその怪物が吐き出した息だけで、フロア全体に熱風が吹き荒れる。
「あれは……ベヒーモス!? そんな、伝説級の魔獣がなぜダンジョンに!」
ライザが驚愕に目を見開いた。
大地を支配する伝説の魔獣、ベヒーモス。空の王者であるドラゴンと並び称される、地上戦における最強・最悪のSランクモンスターだ。
「よし、先手必勝だ! 相手が伝説だろうと関係ない、これで終わらせる!」
僕は躊躇わず、背中の矢筒から『必殺の矢』を引き抜いた。
弓を引き絞り、狙いを定める。ターゲットはヤツの眉間。爆発の衝撃で、その巨脳を一撃で粉砕してやる。
「喰らえぇぇぇッ!!」
シュッ!!
放たれた漆黒の矢は、死の宣告となってベヒーモスの脳天へ向けて一直線に飛んでいく。
完璧な軌道。当たる!
だが、ヤツは避ける素振りすら見せなかった。ただ、深く、異常なまでに深く息を吸い込み――。
「ブモォォォォォォォォォォォォッッッ!!!」
それは咆哮というレベルではなかった。物理的な破壊力を伴った「衝撃波」だ。
圧縮された空気が目に見えるほどの壁となって押し寄せ、必殺の矢はその圧倒的な音圧と衝撃に耐えきれず、空中で無惨に弾き飛ばされた。
ドゴォォォォン!!
目標から大きく逸れた矢は、部屋の天井付近で無意味な爆発を起こし、虚しく火花を散らした。
「な……ッ!?」
思考が停止した。僕の最強の切り札が、ただの「声」だけで完全に無力化されたのだ。
「ウソでしょ……ドラゴンの風圧より凄まじいなんて!」
呆然とする僕たちを尻目に、ベヒーモスがその丸太のような脚で地面を蹴った。
ドズンッ! ドズンッ!
まるで巨大な戦車だ。その規格外の巨体に似合わず、恐ろしい速度でこちらへ突進してくる。
「来ます!! 地の神よ! 我が盾となれ! 『ロック・シールド』!!」
サリーが咄嗟に前に出て、杖を高く掲げた。
地響きと共に、地面から分厚い岩盤が何枚も隆起し、幾重もの防壁となってベヒーモスの進路を塞ぐ。
しかし。
ズドォォォォォンッ!!
ベヒーモスは止まらなかった。
サリーの全力の防御魔法を、まるで薄い障子紙でも破るかのように容易く粉砕し、その勢いを全く殺さずに突進を続ける。
「キャァッ!?」
防壁を破られた衝撃で、サリーの小さな体が吹き飛ばされそうになる。
そして、砕け散った巨大な岩の破片――鋭利な岩塊の礫が、散弾銃のように凄まじい速度で僕たちを襲った。
「危ない、サリーッ!!」
僕は反射的にサリーの体を突き飛ばし、彼女を庇うように前に出た。
直後、背中と脇腹に、ハンマーで全力で殴られたような圧倒的な衝撃が走った。
「が……はっ……!?」
ドスッ、ゴキッという嫌な音が鳴る。
僕の体は宙を舞い、数メートル先の冷たい石の床へと無惨に叩きつけられた。
「ゴフッ……! ゲホッ!」
口の中から、鉄の味がするドス黒い鮮血が大量に吐き出された。
肋骨が複数折れ、内臓に致命的なダメージがいった感触。視界が赤く、そして急速に黒く染まっていく。
「た、太郎さん!! 太郎さぁぁん!!」
吹き飛ばされたサリーが、血の気を引いた顔で僕の元へ這い寄ってくる。
「……おのれぇ」
その光景を見た瞬間。
ライザの中で、何かが完全にブチ切れる音がした。
「おのれぇぇぇッ!! 私の愛する人をォォォォッ!!」
ライザは激昂し、今まで聞いたこともないような獣のような咆哮と共に飛び出した。
恐怖も、騎士としての冷静さも全てかなぐり捨て、ただ純粋な「殺意」のみを蒼き闘気に乗せて、ベヒーモスの懐へと特攻をかける。
「太郎さん! しっかりして! 死なないで!」
サリーの目から大粒の涙がポロポロと溢れ落ちる。
彼女は震える両手で僕の血まみれの胸に触れ、最大出力の回復魔法を注ぎ込み始めた。
「癒やしの光よ! お願い、彼を助けて!!」
温かな光が僕の体を包み込むが、僕の意識は急速に冷たい闇へと沈んでいく。
寒い。痛い。サリーの泣き声が、遠くに聞こえる。
(ど、どうすれば……あんなバケモノに、勝てるんだ……)
薄れゆく視界の端で、怒り狂って神速の剣を振るうライザと、それを鬱陶しそうに薙ぎ払おうとする巨大な怪物の姿が見えた。
このままでは、ライザがやられる。全滅してしまう。
何か、手はないか。僕の、100円ショップのスキルで……。
僕の指先からスッと力が抜け、ついに意識が完全な暗闇へと落ちていった。




