エピローグ:牙を休める日
帝都の中央塔が光となって霧散してから、三ヶ月の月日が流れた。
かつて世界を恐怖させた迷宮「ユグドラシル」は、今や「アビス連邦」の首都として、その姿を変えていた。第一階層から第三階層までは、人間、エルフ、ドワーフ、そして亜人たちが共に暮らすための居住区や市場が整備され、かつての殺風景な通路には子供たちの笑い声が響いている。
「ハヤト、またここでサボってたの?」
聞き慣れた声に、ハヤトは迷宮の展望バルコニーから視線を戻した。そこには、技術局長としての多忙な日々を反映してか、以前よりも少し大人びた表情のリッカが立っていた。その手には、二つの温かいスープ皿がある。
「サボっているわけじゃない。……ただ、少し風が静かすぎると思ってな」
「贅沢な悩みだよ。……ほら、ドワーフ特製のポタージュ。ピピが『ハヤト様の栄養バランスが崩れています』ってうるさいんだから」
ハヤトは苦笑しながらスープを受け取った。傍らでは、小型のドローンに意識を移したピピが、満足げにレンズを点滅させている。
帝都の崩壊後、ハヤトは「皇帝」の座を望まなかった。
彼はあくまで「軍師」として、各部族の代表からなる評議会を組織し、自らはその防衛と技術供給の役割に徹した。
レオが目指した「絶対的な統治」は消え、代わりにハヤトが持ち込んだ「近代的な社会基盤」が、人々の生活を支えている。魔法と科学が混ざり合った新しい文明が、この大陸で産声を上げていた。
「サキはどうした?」
「彼女なら、第四階層の演算センターに引きこもり。レオの遺したシステムの残骸から、農業用の気象予測プログラムを作ってるよ。……あの子、本当は戦いよりも、数字をいじってる方が好きなんだね」
リッカの言葉に、ハヤトは静かに頷いた。
戦う必要がなくなった転生者たちは、それぞれが「前世で持っていた、兵器以外の顔」を取り戻しつつある。
ハヤトは、展望台の隅に置かれた、小さな黒い金属片に目をやった。
それは、あの日の中央塔で回収された、レオの機甲鎧の破片だ。
「……レオ。お前が望んだ、強者だけが生き残る世界にはならなかった。だが、お前が最期に守ったこの世界は、それなりに賑やかだぞ」
ハヤトは独りごちるように呟き、スープを口に運んだ。
あの日、光の中で消えたレオの最期の笑顔。それは、敵としてではなく、同じ時代を駆け抜けた唯一の理解者としての「託託」だったのかもしれない。
ハヤトは腰に下げた「零式・深淵」を外し、テーブルの上に置いた。
セーフティをかけ、長い戦いに終止符を打つように。
「ハヤト、これからのことだけど……」
リッカが少しだけ照れくさそうに、空を見上げて言った。
「戦いじゃないこと、一緒に考えてくれる? 例えば、次の春の祭りのこととか……新しい学校の教科書のこととか」
「……ああ。俺に教えられることなら、いくらでも協力しよう」
太陽が西の地平線に沈み、迷宮の壁面に設置された魔導街灯が一つ、また一つと灯っていく。
かつて「牙」を研ぎ澄ませて潜伏していた男は、今やその牙を、平和を刻むための道具へと持ち替えていた。
地底から始まった反逆の物語は、ここに一つの完成を見る。
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