第26話:深淵の管理者(システム・アドミニストレーター)
女王蟲の巨躯が冷え切らぬうちに、ハヤトはその死骸の背後に隠された「真実」へと歩みを進めていた。
大空洞の最奥、女王が守るように鎮座していたのは、自然の造形物とは思えぬほど滑らかな黒曜石の隔壁だった。その表面には、微細な金細工のような魔導回路が脈動し、触れれば静電気に似た魔力の圧が指先を刺す。
「……リッカ、これを開けられるか」
「やってみる。……でも、これ、今までの階層にあるものとは『格』が違うよ。廃都の深部で見た、あの通信施設に近い」
リッカは煤けた手を拭いもせず、解析用の魔導具を取り出した。彼女が回路の一部に触れ、魔力を流し込む。数秒の沈黙の後、地底全体を揺らすような重低音が響き、巨大な扉が左右にスライドした。
吹き抜けてきたのは、これまでの湿った土の臭いではない。乾燥し、どこかオゾンの香りが混じる、徹底的に管理された空気だった。
内部は、ドーム状の広大なホールになっていた。
壁一面に埋め込まれた巨大な水晶板が、ハヤトたちの侵入に反応して青白く発光を始める。空中に浮かび上がったのは、無数の光の文字と、この迷宮の全容を示す精密な立体図だった。
「これは……地図か? いや、それにしては細かすぎる」
ザルガスが、その巨大な指先で光の図形をなぞろうとして、指が透過するのに驚き、目を剥いた。
「地図じゃない。……『設計図』だ」
ハヤトはホールの中央に鎮座する、石碑に似た操作端末へと歩み寄った。
ピピがハヤトの肩から滑り降り、端末の表面に触れる。瞬時に、ピピの身体を通じて膨大な情報がハヤトの脳内へと流れ込んできた。
『――地下自律防衛型・生体兵器プラント「ユグドラシル」。稼働状況:低電力モード。管理者:不在』
ハヤトの瞳が鋭く光る。
「……リッカ、ザルガス。俺たちが『迷宮』と呼んでいた場所の正体がわかった。ここは自然にできた洞窟でも、魔物の巣でもない。かつて何者かが、地上からの侵入者を拒絶するために造り上げた、巨大な『自動防衛要塞』だ」
「兵器プラント……? 兵器って、あの女王みたいな化け物のことかい?」
リッカの声が震える。ハヤトは冷徹に頷いた。
「そうだ。この施設は、侵入者を感知すると最適な『防衛ユニット(魔物)』を合成し、配置するように設計されている。……つまり、これまでは俺たちが不法侵入者だったから、この場所そのものが俺たちを排除しようとしていたんだ」
ハヤトは端末を操作し、立体図を回転させた。
第一階層から第百階層まで。そこには、軍事拠点として完璧なまでに計算された空間配置が記されていた。各階層は、それ自体が独立した「防衛セクター」であり、最下層には都市一つを数百年維持できるだけの膨大なエネルギー源と、広大な居住区が存在している。
「……ハヤト様、アクセス権の承認を求めています」
ピピが震えながら、ハヤトの手を端末へと導く。
ハヤトは迷わず、その掌を石碑に押し当てた。
「俺が管理者だ。……全システム、防衛プロトコルを『待機』に移行。これよりこの施設を、独立軍事拠点として再定義する」
瞬間、ホール全体の照明が赤から静謐な青へと変わった。
迷宮全体を支配していた、あの「見られている」ような不気味な気配が、一瞬にしてハヤトに従順な「力」へと変質したのを、その場にいた全員が肌で感じた。
ザルガスが、信じられないものを見る目でハヤトを見つめる。
「……人間、いやハヤトよ。貴様は今、この迷宮そのものを我が物にしたというのか?」
「ああ。これからは、魔物が俺たちの敵になることはない。むしろ、これからはこいつらが俺たちの『地底軍』の尖兵になる」
ハヤトは立体図に映し出された地上の「帝国」の方角を睨みつけた。
そこには、レオが率いるであろう最新鋭の軍勢がいる。
「リッカ、ザルガス。……ここを拠点にする。里の者たちを呼び寄せろ。ここなら空からの爆撃も届かない。この迷宮の防衛システムを俺たちの近代戦術と融合させ、帝国さえも踏み込めない『絶対不落の要塞』を築き上げる」
銀狼族とリザードマンの戦士たちが、一斉に歓喜の咆哮を上げた。
ただの避難民として深淵に逃げ込んできた彼らが、今、世界で最も強固な「牙」を手に入れたのだ。
ハヤトは冷たく笑った。
かつて無念のうちに散った軍帥の魂が、この異世界の深淵で、かつてない野望に火を灯していた。
「レオ……お前が地上を支配するつもりなら、俺はこの奈落から、お前の帝国を根こそぎ引き摺り下ろしてやる」
牙なき元帥による、地底からの「逆襲の宣戦布告」。
その第一歩となる、独立国家の礎が、今ここに築かれた。
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