第9話:衛生兵(メディック)の矜持
戦場から帰還したハヤトを待っていたのは、勝利の凱歌ではなく、死の腐臭と絶望の呻きだった。
里の中央広場には、帝国魔導師の放った「獄炎魔法」に焼かれ、あるいは魔導障壁に肉を削ぎ落とされた銀狼族の戦士たちが転がされていた。
その中心で、一際巨大な体が横たわっている。族長ガザックだ。
「……ガザック様! 目を開けてください!」
「無駄だ。右腕は消失し、内臓まで焼かれている。……銀狼の誇りとともに、眠らせてやるのが慈悲だ」
年配の戦士が、介錯のために爪を立てる。銀狼族には「高度な医療」という概念がない。治癒魔法を持つ個体も稀で、致命傷を負えば、戦士として死ぬことだけが唯一の救いとされていた。
「――そこをどけ。死なせたいのか」
低く、硬い声が広場を制圧した。
人だかりを割り、ハヤトが歩み寄る。その肩にはピピが乗り、背後には戦利品の医療キットを抱えたフェンが控えていた。
「牙無し……貴様、戦士の最期を汚すつもりか!」
「黙って見ていろ。……ピピ、展開。滅菌フィールドを作れ」
ハヤトの指示に、ピピが『プピッ!』と応える。
ピピはガザックの傷口を覆うように薄く広がり、体内で生成した抗生剤を含む特殊な粘液を分泌し始めた。同時に、ハヤトは帝国兵から奪った止血鉗子とナイフを取り出す。
「……今から、この男のバイタルを安定させる。ミーナ、清潔な水と、できるだけ強い酒を持ってきてくれ。……フェン、周囲を警戒。誰も近づけるな」
ハヤトの瞳は、もはや少年のものではなかった。
前世、砲火の中で仲間の内臓を押し込み、無理やり生に繋ぎ止めてきた「戦場衛生兵」の冷徹なプロの目だ。
「な、何を……」
「血管を縛る(タイアップ)。焼けた壊死組織を切り離す(デブリードマン)。……ガザック、聞こえるか。あんたはまだ、俺に貸しがあるはずだ。勝手に死ぬな」
ハヤトは麻酔なしで、ガザックの焼けた肉にメスを入れた。
あまりの激痛に、意識を失っていたガザックの巨躯が跳ねる。だが、ピピの粘液が即座に痛覚を遮断し、細胞の再生を促していく。
周囲の銀狼たちは、息を呑んでその光景を見ていた。
彼らが信奉する「力」とは対極にある、繊細で、論理的で、気味の悪いほど正確な「修復」の作業。
一時間後。
ハヤトの全身はガザックの返り血で赤く染まっていた。
だが、ガザックの荒かった呼吸は、驚くほど静かで安定したものに変わっていた。
「……出血は止めた。ピピが体内で欠損した血管を代行している。一晩越せば、死ぬことはない」
ハヤトは血に濡れた手を酒で洗い、無造作に立ち上がった。
その背中に、看病に駆けつけたミーナが、涙を浮かべて問いかける。
「……ハヤト。あなたは、一体……どこでそんな力を?」
ハヤトは一瞬、足を止めた。
だが、振り返ることはなかった。
「……俺には牙がない。だから、命の繋ぎ方も、奪い方も、あんたたちとは違うやり方を知っているだけだ」
翌朝。
ガザックは薄暗い洞窟の中で目を覚ました。
右腕を失った喪失感よりも先に、体の中から湧き上がる奇妙な「活力」に驚いた。傷口には、奇妙な半透明のゼリー(ピピの一部)が貼り付き、脈動している。
枕元には、ハヤトが置いていった「栄養剤(ピピ特製)」と、帝国軍から奪った地図が置かれていた。
ガザックは、重い体を起こし、自分の胸に刻まれた執刀の跡をなぞった。
それは、彼が今まで「弱者の道具」と切り捨ててきたものが、最強の戦士の命を繋ぎ止めたという、動かしがたい証拠だった。
「……ハヤト、か」
ガザックは、初めてその名を呟いた。
牙も爪もない、しかし誰よりも鋭い殺意と慈悲を持った「息子」の名を。
銀狼族の歴史が、この日、明確に変わった。
「力」の時代が終わり、「知略と兵站」の時代が幕を開けたのだ。
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