エンディングのその後は ①
まるで体の造りを根底から構築し直したような、不思議な感覚があった。
目覚めはやけにすっきりしていて、睡眠不足から半日爆睡した時とよく似ていた。目を開けると見知らぬ天井が広がっていたので、ネージュはぱちぱちと瞬きをする。
いや違う、馴染みがないだけで見当はつく。この古びた装飾は騎士団仮本部の医務室だ。状況を確認すべく視線を動かすと、窓辺に見慣れた後ろ姿があって、胸がぎゅっと痛くなるような心地がした。
濃紺の騎士服を身に纏い、ダークブロンドの髪が陽に透けて輝いている。逆光になってよく見えないが、出窓に置いた花瓶に花を活けているようだ。
「騎士団長、閣下……?」
自分のものではないみたいに掠れた声で呼びかけると、広い肩がぴくりと揺れた。
そうしてゆっくりと振り返ったカーティスは、どこか迷子の子供のような顔をしていた。不安に苛まれながらも探し続けたものがようやく見つかった、そんな表情を。
「ああ……」
ため息のような囁きを漏らして、カーティスが歩み寄ってくる。
伸びてきた左手が右頬を包んだ。その手はすっかり冷え切っていて、ガラス細工にでも触れるみたいに恐々と頬を撫でる。
「私が、わかる?」
「はい、閣下」
「……うん。エスターも、原因がわからないと言ったんだ。何の異常もないのに目を覚まさないなんて……そんな症状には、出会ったことがないと」
この時のネージュは馬鹿げたことに、カーティスが泣いてしまうのではないかと思った。
そんなことはあり得ないとわかっていたのに。そう考えてしまうほど、冷静で完璧な騎士団長には似つかわしくない表情をしていたから。
「二度と、目を覚まさないのではないかと思った……!」
聞き取りにくいほどに掠れた声が降ってきて、ネージュは堪えきれずに目を細めた。
緩慢な動作で腕を持ち上げて、震える手に己のそれを重ねる。自分の手の方がよほど温かくて、体温の差を感じられる事こそが現世にいる証だった。
——ああ、好きだなあ。
何のためらいもなく、そう思った。
どれほど眠っていたのかわからないけれど、お見舞いに来てくれたのだろうか。花まで持って。そんな顔をするほどに、心配をかけてしまったのだろうか。
全てが自惚れだとわかっていてもなお、幸せだと思う。
長い間彼に片思いをしていた。気付くのが遅くなったのは無意識に蓋をしていたからで、本当は出会った時からずっと好きだった。
もう伝えてしまいたい。だってもう役目は終わって、シナリオなんてものはどこにもなくて、これはただ冴えない女が恋をしたというだけの話で。
しかしネージュには伝えなければいけないことがたくさんある。最後の仕事として、やるべきことはやらなければならない。
「閣下……私、お話が」
意を決して息を吸い込んだ時、控えめなノックの音が室内に響いた。戸惑うように扉へと視線を滑らせたネージュは、すぐに再度カーティスを見上げた。
「……返事をしてあげるといい。きっと、すごく喜ぶよ」
頬に触れていた手が額に移動して前髪を整えてくれる。
その手つきがあまりにも優しく、更にはカーティスが優しい笑みを見せてくれたから、ネージュは今更のように赤面した。
顔を隠しついでに上半身を起こそうと身をよじる。すると背に逞しい腕が添えられて抱き起こされてしまい、余計に顔の赤さが悪化したような気がした。
手に手を重ねるだなんて、中々に大胆なことをしてしまった。しかし今は狼狽えている時間があったら早く返事をしなければ。
ネージュはどうぞと扉の向こうに呼びかけてみた。すると一拍の間の後に音がする勢いで扉が開け放たれ、二人の美少女が花の顔に驚愕を貼り付けていた。
「ネージュ!」
それぞれに名前を呼んで抱きついてきたのは、シェリーとファランディーヌだった。
「ネージュ、ネージュっ……!」
ファランディーヌが涙に濡れた顔を白いシャツの腹にぐりぐりと押し付けてくる。
「良かった……! ネージュ……!」
シェリーは眉を寄せて呟いたきり、左の肩口に顔を埋めた。
ファランディーヌが願ってくれたからこの世界に来ることができた。シェリーがいたから頑張れた。彼女らはもう悲しい未来に行き着くことはなく、この先もそれぞれの人生を歩んでいってくれるはず。
ネージュは両腕を一杯に伸ばして二人を抱きしめた。役得だな、なんて頭の片隅で思いながら。
「女王陛下。貴女様がご無事で、何よりです。シェリー……心配かけて、ごめんね」
本当に良かった。短い時間ではあったけれど、ファランディーヌに仕え、シェリーと共に騎士として務めた時間は本当に幸せだった。
死亡フラグは全て折って、シナリオなどない謀反劇は終わりを迎えた。二人が仕方がないわねとばかりに笑ってくれたから、ネージュはそれだけで満足だ。
「もう……ネージュは十日も目を覚まさなかったのよ。本当に心配したんだから」
しかしシェリーから告げられた衝撃の事実には、喜んでばかりもいられなくなってしまった。




