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老騎士の役目

 バルトロメイ・ガルシアは救国の英雄である。

 がしかし、彼自身はそろそろ引退したいなあと思っている。充分騎士団に貢献したという自負はあったし、老兵は去って後進に道を譲るべきなのだ。

 引退後は何をしようか。趣味のチェスに耽るのもいいし、気が向いた時に狩りに行くのもいい。とは言っても、それらすべては妻とともにのんびり過ごす時間があることが大前提なのだが。

 それでも副団長たるネージュがまだまだ歳若いこともあって、あと三年くらいは頑張ってみるかと半ば納得していた頃。

 そんな矢先の大騒動だ。

 バルトロメイは溜息を押さえつけながら、王都の大通りに仁王立ちになっていた。部下たちは良い仕事をしたようで、既に騎士団の手によって住民たちの避難は進み、街の中心部であるこの場所には踏み荒らされた雪しか残されていない。

 周囲の喧騒は遠く聞こえたが、バルトロメイはピクリと眉間の皺を深くした。

 近付いてくる。無遠慮で不快な大勢の足音が。

 睨み据える道の向こうに姿を現したのは見覚えのある顔たちだった。黒豹騎士団六位以下の幹部が四人と、その部下がだいたい二十名。

 彼らはバルトロメイの姿を認めるなり一様に顔を強張らせたが、敵が単身である事を悟るや隙のない動作で剣を抜き放った。


「バルトロメイ・ガルシア殿。そこを通して頂きたい」


 この中で最も上位の騎士が殺気も露わに言う。ここにたどり着くにはそれなりの消耗が課されるはずだが、少しも息を乱していないのは若さゆえか。

 全く羨ましい。こちらは今日予定される仕事を全てこなしたら、どれ程の疲労感に苛まれるか考えたくもない程だというのに。


「残念だがここで待機するのが私の仕事でな。このとおり老いぼれ一人だ、押し通るがいい」


 あえて飄々と言ってやったら、男は眉間の皺を深くした。


「……老いぼれとはよく言ったものだ」


 男のこめかみを一筋の汗が伝う。彼が剣を握る手に力を込めた瞬間、四人分の魔法が発動した。

 色とりどりの魔力の奔流が迫り来る。バルトロメイは防御魔法を繰り出すでもなく、何と足のバネの力だけでそれらの攻撃を躱して見せた。

 防御魔法は苦手だ。展開するにも消し去るにもコンマ数秒の時間を要するため、大勢相手だとその隙を突かれる恐れがある。そもそもバルトロメイにとっては魔法よりも剣技の方が性に合うのだ。

 四人の男たちが呆気に取られて立ちすくむ中、老騎士の動きはさながら突風だった。

 魔法も使わないまま敵陣を駆け抜ける。おそらく何が起こったのかも理解しないまま鳩尾に峰打ちを食らった男たちは、驚愕に目を見開いたまま雪の地面に倒れ伏していた。

 彼らの後ろに取り残された部下たちが、一斉に慄いて一歩足を引く。英雄相手に勝ち目がないと知っての行動は、バルトロメイにとっては見慣れたものだった。

 呪文を唱えて巨大な竜巻を生み出す。一瞬にして飲み込まれた黒豹騎士団員たちは、このまま遠く離れた山奥にでも捨てておくか。

 あとは倒れている幹部たちに魔力封じの腕輪をつけてやる。一通りの作業を終えたところでただならぬ気配を感じたバルトロメイは、通りの向こうからこれまた見覚えのありすぎる男が歩いてくるのを発見した。


「……おお! 爺さん、会いたかったぜ!」


 目を合わせるなり表情を輝かせたのは、イシドロ・アルカンタルだった。

 この男をここに留め置き、暴れさせないことこそがバルトロメイに課された大仕事だ。かの猛獣が如何にも楽しげに走り寄ってくるので、視線を外さないまま口の端を吊り上げる。

 倒れた同僚たちに気付いたイシドロは、ちょっと意外そうな顔をしたようだった。


「殺した方が楽だってのに、随分と手厚いな。一体何考えてんだ?」

「さあな。気になるのか?」


 その問いかけにイシドロは笑みを深めた。その表情は不敵としか表現しようがなく、これもまた若さゆえかとバルトロメイは感慨深くなった。


「俺の知ったこっちゃないね。ほら、やろうぜ爺さん」


 これはどうやらかなりの難戦になりそうだ。

 そんな予感と共にバルトロメイは剣を構える。両者の間に漂う緊張が極限まで張り詰めたその時、三度目の来客はあまりにも突然訪れた。

 突風が巻き起こって紺と黒の騎士服をはためかせる。思わず両手で顔を庇いたくなる衝動に抗って目を凝らしたバルトロメイは、夕闇が照らす空に人影が舞い上がったのを視界に捉えた。

 何だあれは。長い髪を一つにくくっているようだが……女か?

 驚きのまま人影を受け止めてやろうと体が勝手に動き出したのだが、その行動は無駄に終わった。彼女が落下する先にいたのはイシドロその人だったのだ。

 軽い音を立てて猛獣の腕の中に収まった人物の正体を知るなり、さしものバルトロメイも声を上げて驚いてしまった。


「シェリー嬢か!? なんだってまた空を飛んできたんだ?」

「ガルシア団長殿! ただ今ミカと交戦中で——」


 しかし状況報告をしようとしたシェリーは、顔を上げたことによって自らが置かれた状況に気付いたらしい。特に動揺した様子のないイシドロを翡翠の瞳で凝視すると、次の瞬間盛大に暴れ始めた。


「イシドロ……!? な、何をする!」

「いや、あんたが勝手に落ちてきたんだろうが。あー、ったく、暴れるな」


 イシドロは面倒くさそうな口調とは裏腹に、意外な丁寧さでシェリーを地面に降ろした。瞬時に一足飛びで距離を取ったシェリーは、尻尾を踏まれた犬のような剣幕で敵対する男を睨みつけたのだが、更なる来客のために両者の間で言葉が交わされることはなかった。


「あはははは! まだ生きてたんですねえ!」


 自身の風魔法に乗ったミカが空中を疾走してくる。目にも留まらぬ速さで地に足をつけた天才少年は、イシドロを一瞥しつつも手にした剣の先にいくつもの風の刃を出現させた。


「ああイシドロさん、もうちょっと距離を取って頂けますか? 貴方だって勝負に水を差されたら嫌で」


 しかしその台詞が最後まで紡ぎ出されることは終ぞなかった。ミカが口を噤んだのは、イシドロの放つ並々ならぬ殺気を受けてのことだった。


「少し黙れ、クソガキ。今こいつと話してんのは俺だ」


 青灰色の瞳がミカを鋭く射抜いた。全身から滲み出る圧迫感はバルトロメイですら数えるほどしか出会ったことがないような力強さで、それを正面からまともに食らった少年は唇を戦慄かせている。


「な、何を……! あなたねえ、僕の方が序列は上で」

「へえ、そう思うなら良いんじゃねえか。……俺とやりあっても、勝てるんだろうからなァ」


 イシドロの纏う気配が重みを増した。抜き身の刃でももう少し丸いのではないかと思わせる、ピリピリとした空気が周囲に充満していく。

 もはや舌戦でも実戦でもミカに勝ち目がないのは明白で、現実は少年の理解するところとなったらしい。ミカは悔しそうに目を逸らすと、半歩足を引いた上で剣を鞘に収めた。

 今のやり取りをバルトロメイは泰然としたまま傍観していたのだが、シェリーは何も飲み込めていない様子で敵の二人に視線を往復させている。


「おい、シェリー」

「え……な、何?」

「あんた、これからどこに行く気だ」


 急にイシドロに問われて目を白黒させたシェリーだが、しばしの間考えるようにして瞳を細めると、注意深い声音で答えを口にした。


「女王陛下のお側へ」


 どうやらその答えは想像するものと合致していたらしい。イシドロはニヤリと口の端を釣り上げると、抜いたままになっていたサーベルの峰を肩に乗せた。


「いいねえ。あんた、あいかわらず馬鹿のまんまだ。……行けよ。女王陛下がお待ちなんだろ」


 これにはバルトロメイも瞠目せざるを得なかったし、ミカもまた再度怒りを増幅させたらしかった。喚き始めた少年のやかましい声にはもう耳を貸さず、イシドロは小馬鹿にしたような笑みを浮かべている。


「あんたの力に興味はない。ここに残られても邪魔なだけだ」


 弱者呼ばわりされたシェリーは顔を真っ赤に染め上げたが、副団長としての冷静さを失うことは無かった。唇を噛みつつもイシドロから視線を逸らすと、バルトロメイに指示を求める目を向けてくる。

 はっきりと頷き返してやれば、シェリーはもう迷わなかった。一度も振り返らずに駆けていく背中を見送って、バルトロメイは気まぐれな猛獣へと問いかける。


「お前は不思議なやつだな。放っておけば勝負の邪魔にはならんだろうに」


 何事かを喚いているミカの頭に手を置いて押さえつけつつ、イシドロは誰もいなくなった大通りを眺めていた。まるでそこに銀髪の女騎士の姿を追いかけるかのように。


「……家族とは、話し合えるなら話し合うべきだろ」


 彼にしてはやけに静かに落とされた言葉は、果たしてどういう意味だったのだろうか。

 口を開こうとした時には既にイシドロは凶暴な笑みを浮かべていて、バルトロメイは尋ねる機会を失った事を悟った。


「さてと。そんじゃ、いい加減俺の相手をしてもらおうか。爺さん」

「いいだろう。泣きを見るなよ、小僧」


 水の柱がバネのようなしなやかさでミカを天高く投げ飛ばす。怨嗟の声が遠ざかって行くのをもはや意識の外に締め出した二人は、自身の最も得意な魔法を発動させてお互いの中間でぶつけ合った。


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