まるでデートみたいに ⑤
名前を叫ばずに済んだのは僥倖だった。しかしそれには理由があって、ネージュは実物のリシャールを見たことがなかったのだ。
黒豹騎士団第二位のリシャールはとても特殊な騎士だ。魔法は扱わず剣も苦手で、全ての時間を黒魔術の研究に捧げている。
だから謀反を起こすまでブラッドリー城から出てくることもなかったし、ゲームにおいても目元が隠れている上にほとんど喋らないまま出番を終えてしまった。申し訳ないが「ギャルゲーの主人公みたいなキャラだな」という印象しか残っていない。
特徴は完全に一致しているが、果たして本当にリシャールなのだろうか。疑心暗鬼に駆られたネージュは、身分を隠して話しかけてみる事にした。
「す、すみません。お若い方とは知らず」
「ああ、よく言われますので気になさらないでください」
「本当に失礼しました。ところで、どちらにご用事ですか?」
すると彼は景華街の本屋に行きたかったのだが、道に迷っていたところを絡まれたのだと言って苦笑した。
なんだかイメージよりずいぶん喋るようだ。やっぱり人違いなのか……?
「本屋ですか。わざわざ景華街にまで来て本とは、どんなものをお探しです」
「実は、黒魔術の本を探しているんです」
——はい、リシャールさん確定です!
ネージュは笑顔で固まった。一体どういう神の思し召しなのだ、これは。
その反応をどう思ったのか、リシャールは慌てたように青ざめてしまった。
「あ、ち、違いますよ? 私ではなく、私の主が必要としているのです!」
黒魔術を扱った者は、程度にもよるが例外なく罪に問われる。リシャールはその危険を思い出して、見ず知らずの女に話してしまったことを悔いているようだった。
「黒魔術、私も興味ありますよ」
「えっ、本当ですか?」
「はい。景の本には良いものがあるのですか?」
これはチャンスだ。嘘をつくのは心苦しいが、リシャールの思惑を探れば何か見えてくるものがあるかもしれない。
ネージュは穏やかな笑みを浮かべて本屋までの案内を申し出た。リシャールが恐縮しながらもそれを受け入れてくれたので、二人は並んで歩き始めた。
「景では黒魔術は邪法ではないんです。流転術と呼ばれていて、れっきとした学問の一つなのですよ」
「そうなのですか。それは知りませんでした」
「ええ、ですからこの国よりもよほど研究が進んでいるのです」
「それは凄い。貴方はどんな術をお探しなのです?」
「……実は、私の主は若くして奥方様を亡くされておりまして。以前に一度だけ、魂を呼び寄せて欲しいと仰られたことがありました」
ネージュは微かに息を飲んだ。
マクシミリアンだ。これは間違いなくかの男が口にした悲しい願い事の話だ。
「黒魔術とはいえ、死者を完全に蘇らせることはできません。しかし主は話をするだけで構わない、一瞬でもいいからと仰られて。私は魂の召喚を試みたのです」
「……それで、どうなったのですか?」
リシャールは瑠璃色の瞳を伏せて首を振った。その悲しげな様子は、彼がどれ程に主君のことを案じているのかを物語っていた。
「駄目でした。奥方様の魂は、反応すら返しては下さいませんでした。泣いて詫びる私に、主は無理を言ったと、済まなかったなと微笑まれ……それ以来、一度も同じ願いを口になさることは無かったのです」
なんて悲しく、優しい話だろう。マクシミリアンはやはり妻に会いたがっていたのだ。そしてそれが叶わなくとも、部下を責めることなどしなかったのだ。
ネージュは右手で心臓のあたりを握りしめた。マクシミリアンの人柄を改めて知り、敵対しているという事実に怖気付いてしまいそうだった。
「私は、いつか必ずあのお方と奥方様を会わせて差し上げたいのです。近頃たまたま仕事が減って時間ができたので、こうして何か手がかりがないかと探しに」
「……そう、でしたか。貴方は、優しい方ですね」
泣き笑いのような顔をしたネージュに、リシャールはいいえと首を振った。青年の浮かべる笑みは優しく、そして儚げだった。
「貴女の方が優しいですよ。助けてくださったばかりか、本屋にまで案内して頂いて。……私は、本当は人と話すのがとても苦手なんです。でも、不思議と貴女は平気です。きっと優しい心をお持ちだからなのでしょう」
ネージュはそんなことはないと否定したかった。
こんなにも優しい人を騙して話を聞き出してしまった。謀反が起こってから今に至るまで、目的のために自分勝手な行動を繰り返してきている。
「……着きましたよ。ここが、本屋です」
「わあ、ありがとうございます! とても立派な本屋だ」
リシャールは無邪気な笑みを浮かべて何度も礼を述べる。最後にもう一度腰を折って本屋へと入ろうとした寸前、彼は思い出したように足を止めてこちらを振り返った。
「……あの。貴女は、モンテクロにお住まいですか?」
「ええ、そうですが」
「そうでしたか。悪いことは言いません。近々恐ろしいことが起きますので、どうか家族知人を連れて遠くへ避難してください」
白髪の間に覗く瑠璃色の視線が、悲壮な覚悟を宿して見つめ返してくる。
冗談でしょうと笑い飛ばすことはできず、ネージュは青ざめた顔で黙りこくってしまった。見ず知らずの女に勧告をくれたリシャールの優しさと、本当に彼があの悪夢を呼び込むという未来は相反しているようで、どうしようもない程に現実だった。
「……それは、黒魔術師の予言ですか?」
「そう思って頂いて構いません。どうか、検討してください」
リシャールは悲しげな笑みを残して本屋に吸い込まれて行った。
今見聞きしたもの全てが重苦しくのしかかってきて、ネージュはしばらくの間そこに立ち尽くしていた。己の使命とマクシミリアンの抱える悲哀が胸に迫って、足元がぐらついて仕方がなかった。
その後はカーティスと合流して、山に戻ってから今起きたことを報告した。
カーティスは真剣な眼差しでネージュの話を聞き、最後には頑張ったねと微笑んでくれたのだった。




