騎士団長閣下の秘めたる想い ①
カーティスはすっかり瓦礫の山と化した騎士団本部の前に立っていた。既に夜空は無数の星々を描き、魔法による松明だけを光源とする世界は激しい戦闘の後とは思えないほど静かだった。
やれやれ、と思う。ネージュがあれほどの魔力を得ていたとは、自分の目で見てようやく実感が湧いたものだ。
神とはなんなのだろうか。あの細い肩に重責を担わせようとする者。全ての命を救うことを望む傲慢な存在。
そんなことは騎士ならば当然のように望んでいる。カーティスはその為に命をかけて戦ってきたし、今までの戦で死んだ仲間を何人も見てきた。
それでも、命をかけてもなお難しいのだ。しかも敵方まで救えとは、いくら強大な力を得ようと個人が守る範囲には限界があるというのに。
「カーティス」
静かな声に振り返ると、そこには敬愛する騎士の姿があった。
バルトロメイは松明に照らされて、いつしか白くなった髪を橙色に染めていた。
「被害状況を確認してきた。怪我人は八人、いずれも軽傷。物的損害は本部の倒壊に加えて寮が半壊だ。ミカの奴が暴れまわったらしい」
「ふむ。人的被害がその程度で済んだのは結構ですが、ここまで破壊されては被害額は相当ですね」
「本部に関しては我々のせいだがな」
「人命のためですから仕方のないことです。予算はもぎ取りますのでご安心を」
不敵な笑みを浮かべて見せると、お前だけは敵に回したくないと言ってバルトロメイは笑った。
それはこちらの台詞だ。手合わせをしなくなって数年が経つが、バルトロメイがこの年齢でなければ勝てるかどうか怪しい所だと思う。奥方が病にかからなければ、やはり彼こそが騎士団長に相応しかったのに。
「奥様はお元気ですか」
「なんだ藪から棒に。まあ、元気だぞ。全快してからは再発もしていない」
「それは良かった。お身体をお大事にと、お伝え下さい」
ガルシア伯爵夫妻の仲の良さは有名だ。バルトロメイは平民出身で飛び抜けた戦功を挙げた英雄だが、地位に頓着しないため当時の国王が離心を憂い、最も年若い姫を妻に迎えることになった。八歳下の奥方とは初対面同士だったが、紆余曲折の末に愛し合うようになった、らしい。らしいというのはカーティスが生まれた頃の話であることと、本人に聞いてものらりくらりとはぐらかされてしまうのでよく知らないのだ。
「カーティス。お前、結婚しないのか?」
「……は?」
こちらの思考を読んだように切り込まれてしまい、カーティスは珍しくも無防備な声を上げた。
この流れは良くない。話の主導権を握られるとなんでも喋らされてしまう。この人生の先達にはそうした特技があるのだ。
「……こんな時に何をおっしゃる。しませんよ、もう立派な中年ですからね。嫁の来手が無いんです」
自分でも下手な言い訳だとは思ったが、やはりバルトロメイを誤魔化しきれるものではなかった。かつての上司はわざとらしく片眉を上げ、首を傾げて見せる。
「アドラス侯爵家に嫁ぎたい女なぞ、探さなくとも湧いて出てくるだろうに。お前が未だに結婚しないのは、シェリー嬢のことを考えているからだ。そうだろう?」
その指摘は半分は核心を突いていた。カーティスは観念したように笑って、バルトロメイの鉛色の視線を瞬きで遮った。
「確かにその通りです。シェリーには近々、家督を継ぐ意思はあるのか改めて確認するつもりですが……」
「その気はありそうなのか」
「ええ、シェリーはそのつもりでいるようです。ですが、それには甥のアントニーと結婚することが前提になります」
アドラス家の血は絶やせないし、姉の息子はよくできた青年だ。シェリーもアントニーについて不満を漏らした事はないが、それは養父への恩義に囚われてのことではないのか。
カーティスはそれが怖いのだ。娘が自由を失う時に、己が原因になるのが怖い。
「ならばと私が妻を娶って、子供などできたとしましょうか。その時シェリーは間違いなくアドラスから籍を抜きます。それがあの子の意思に基づく行動であっても、なくてもです」
シェリーは優しい子だ。聡明で我慢強く、悩みを決して口に出さない。騎士になって立派に身を立てているから、籍がどこにあってもやっていけるだろう。
だからこそ、あの子が何を思うのかが分からない。
いつも薄い膜の向こうにある娘の姿。この話題が難しく思えるのは、養子という関係のせいであることは解っている。
「両親はシェリーを可愛がってくれていますが、私に結婚しろとも言います。しかし私はご令嬢と引き合わされるたび、養子の存在を面倒に思う心を感じ取るんですよ。それで少々、疲れまして」
ということにしておいても、いいだろうか。
カーティスは虚ろな作り笑いを浮かべたつもりだった。これ以上追求しないでくれと、無言の圧力を放ったつもりだったのだ。
「ならネージュはどうだ。あの子なら養子の存在を面倒になど思わんぞ」
カーティスは危うく眉を動かす所だった。
この騎士、流石にやる。もう半分の核心を突いてくるとは、昼間の振る舞いがまずかったか。
「これは今日気付いたことなんだが……お前、あの子のことを気に入っているんだろう」
「いやいや、それこそ何をおっしゃるのです。私は仕事関係には手を出さない主義なんですよ」
「そんな主義はクソくらえだ、カーティス。そんなことを言って後悔しないのか? あんな良い子、今に誰かにかっ攫われるぞ」
その指摘は鉄の心臓の奥底を的確に抉った。
そんなことはわかってる。自分の想いもとっくに自覚してる。
それでも動けないのは、彼女が娘の友人だからだ。
「……そんなにわかりやすかったですか」
「いや、お前の笑顔はいつも完璧だよ。けど、そうだな。今日は態度に出ていた」
そう、恐らくは近付き過ぎたのだ。
この一連の謀反劇のせいで彼女が無茶なことばかりするから、つい側にいて助けるようなことをしてしまった。うっかり触れようとしたり……うん、あれは危なかった。
どうしても心配だった。今日の話を聞いて、なぜあんな無茶をするのか納得がいった。仲間の命なんてネージュが抱えるものではなく、カーティスの双肩にのしかかるべきものだというのに。
「バルトロメイ団長、どうか忘れて下さい」
「しかしな、カーティス」
「貴方が独り身の私を心配して下さっているのはありがたく思います。ですが、私は責任を取らなければ」
カーティスはいつもの笑みを浮かべた。松明が顔を照らして濃い影を落としていても、その表情は夜陰に溶け込みそうなほどに柔らかかった。
「……責任とは」
「マクシミリアンの狂気に気がつくことができなかった。その責任です」
そう、今は自分のことを気にかけている場合ではない。
止めなければ、あの男を。今ならまだ間に合う。そしてこのチャンスはネージュが作り出してくれたものだ。そんな彼女に対して感謝以外にどんな感情を抱くことが許されるのだろう。
バルトロメイは何かを言いたそうな顔をしていたが、やがて溜息をつくと首を横に振って苦笑を零した。
「立ち入り過ぎたな。年寄りの戯言だ、許せ」
「いいんです。では、私はこれで」
松明の炎が爆ぜて細かな音を鳴らしている。その間を通り抜けてしまえば晩秋の冷気が全身を包み、カーティスは首をすくめた。
そういえば、ネージュが入団してきたのも秋だったか。
そんなことを考えつくあたり、先ほどの会話が余程脳内を占拠しているらしい。カーティスは苦笑して、未だ色褪せない記憶を眺めることにした。




