胃が痛いから本当にやめてほしい
翼竜に乗って空を飛びながら、ロードリックは舌打ちをせんばかりだった。
戦果についてはまあいい。元より幹部を討ち取れるとは思っていない。あの王立騎士団長の余裕綽々の態度は忌々しいが、今に始まった事ではないため気にしないでおくべきだ。
今成すべきはミカの回収。翼竜が見つかったのに本人がいないのだ。あのいかれ坊主は我を失うとすぐに最大出力で敵を叩き潰そうとするため、それが原因で足元を掬われることも多い。
「イシドロ、ミカを見つけたらすぐに言え」
「へーいへい……」
こいつ、まったく探してないな。
ロードリックはぎりぎりと奥歯を噛み締めつつ、地上に視線を走らせる。そうしてようやく目立つ薄青を見つけたのだが、とんでもない状況に心臓が止まりそうになった。
——ミカ、あいつ! シェリー様を殺す気か!
ミカは一人の騎士と剣を交えていた。その相手は身長もほとんど変わらず細身で、長い銀髪を靡かせた少女だ。
シェリー・レイ・アドラス。彼女がマクシミリアンの実の娘であることは、黒豹騎士団の中でもロードリックしか知らない秘匿事項だ。
マクシミリアンに殺すなと直接言われたわけではない。しかし敬愛する主君が娘への情を残していることは、カーティスに指摘されたまま正解だ。
どうやらシェリーは救護所となった訓練場を守ろうとしているらしい。いないと思ったらそんな所に配備されていたとは盲点だった。部下を従えてミカの猛攻に耐えているが、やはり力の差が大きいのか苦しそうに息を弾ませている。
一刻も早く止めなければ。ロードリックは焦るまま翼竜の脇腹を蹴ったのだが、イシドロが地上に向かって水魔法を放つほうが一拍早かった。
巨大な水柱がミカの足元から噴出し、軽い体は簡単に空高くまで運ばれてしまう。突然の出来事に呆気とられたのはミカもロードリックも同じで、目線の高さを同じくした者同士でしばしの間視線を交わらせてしまった。
「おい、シェリー。あんた、俺のいない所で死ぬなよ」
イシドロは面白そうに言葉を落とした。同じく呆気にとられて空を見上げていたシェリーは、ハッとしたように息を飲むと、顔を真っ赤にして怒鳴り返してきた。
「イシドロ! 降りてきなさい、決着をつけてやる!」
「今のあんたじゃ俺に勝てないから嫌だね。じゃあな」
小馬鹿にしたような笑いを落とし、イシドロは水柱の上のミカを乱雑に担ぎ上げる。並走する翼竜の空の座席に放り投げられたミカは、すっかり怒髪天を衝いていた。
「イシドロさん、何するんですか!? せっかくあの女を仕留める所だったのに!」
「だからお前はうるせえんだよクソガキ。蹴り落とすぞ」
ぎゃあぎゃあと言い争いを続ける若者二人をぼんやりと見つめながら、ロードリックは転移魔法を展開した。
イシドロが自分より弱い者、しかも女に執着するのを初めて見た。シェリーが誰かに対して怒りをあらわにするのもとても珍しいことのように思う。まさか、まさかとは思うが。
——いい雰囲気、なのか? イシドロが本部の襲撃に行くと言い出したのも、シェリー様の様子を見に来たんじゃ……?
ロードリックは脳裏に浮かんだ妄想を瞬発的に打ち消した。
いや、ないない、そんなはずはない。姫君と猛獣だぞ、ありえない。というかこれ以上面倒なことになってほしくない。頼むから私の胃に穴を開けないでくれ!
転移魔法に飲み込まれながら、ロードリックはキリキリと痛む腹を手で抑えたのだった。




