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寝坊なんて二度とするものか ②

 大丈夫じゃない。全然大丈夫じゃなかった。

 騎士服に着替えたネージュは、今にも倒れそうになりながらも必死で背筋を伸ばして立っていた。

 場所は騎士団長室の前。レリーフの施された木製の扉は来る者を圧倒的な存在感で出迎え、ともすれば追い返すだけの迫力すらある。

 肺の空気を出し尽くしてから、また目一杯吸って、軽く吐く。そうして心を落ち着けたネージュは意を決して扉をノックした。想像通りの低音が返事を返すのを待って、ゆっくりと扉を押し開く。

 奥の磨き抜かれた執務机は空席で、臙脂色のカーテンが陽の光を受けて静かに輝いている。革張りのソファも織り目の緻密な絨毯も、歴代の騎士団長が使ってきた逸品だ。指先すら触れるのが躊躇われるような重厚感に、ネージュは聞こえない程度に喉を鳴らした。

 果たして、騎士団長カーティスは応接テーブルの向こうに腰掛けていた。意外だったのはその顔にいつもの笑みが浮かんでいたことと、彼の対面にバルトロメイの姿があったことだ。


「やあ、呼び立ててしまってすまないね。体調はどうかな」

「……は。出仕できずに申し訳ございませんでした」


 カーティスの体調を気遣う言葉にも、ネージュは緊張のあまり顔色を失ったままでいた。卒倒しそうな若き副団長を前にして、年長者二人は顔を見合わせて苦笑している。


「ほら見ろ、カーティス。お前が呼びつけるから怯えているんだ」

「ふむ、困りましたね。敵意は無いと示してきたつもりでしたが」

「意地の悪い奴め。勘付いていたならもっと早く声を掛けんか」

「確証がなかったので。貴方だって隠していたでしょう、バルトロメイ団長」


 騎士団の最高戦力たる彼らの気安いやり取りは、まったくいつもの調子だった。

 出世を拒んだ老騎士と、騎士団長とならざるを得なかったかつての部下。ネージュは関係が逆転してからの二人しか知らないが、信頼関係の固さは当時から少しも変わらない。

 前騎士団長はコネだけでその座を手にした無能だった、とは先輩方がよく言う話だ。

 カーティスは失脚した前騎士団長の代わりに騎士団長職を拝命した。年長のバルトロメイは奥方が体調を崩していることを理由に打診を断っていたため、受けざるを得なかったらしい。


「レニエ副団長、掛けなさい」

「は……はっ! 失礼いたします!」


 部屋の主に着席を勧められてしまい、ネージュは直立不動で返事をした。ギクシャクとした動作で腰掛けたのだが、隣に座るバルトロメイが予告なくぶつけてきた言葉には、流石に上官に対する礼を取り繕うことができなかった。


「ネージュ、済まないな。カーティスにどういうことかと問い詰められたから、洗いざらい話してしまった」

「ええっ!?」

「私が知らないはずがないと当たりをつけたらしい。勘の良いことだ」


 話した? 信じ難いほどぶっ飛んだあの秘密を。この尊敬する騎士団長閣下に……!?

 あまりのことに眩暈を覚え、ネージュは荒れ狂う心臓を抑えて何とか落ち着こうとした。


「まったく、少々傷ついたよ。そんなに私は信用置けないのかな」


 蒼白になる部下に対してカーティスは冗談めかして笑う。責めるような言葉の割に、綺麗な笑みには少しの憤りも見当たらない。


「騎士団長閣下……信じて下さるのですか? こんな、妄想めいた話を」

「ああ、疑問が解けてすっきりした。君がマクシミリアンの攻撃を防いだことも、偵察任務を無理に買って出たことも、あの計ったように現れた雷雲も、全部に説明が付く」

「……どうして、昨夜はあの場にいらっしゃったのですか」

「街の噂を小耳に挟んでね。近頃、王宮から人間が吹き飛ばされてくることがあるらしい。幻だと思われているみたいだったけど、私は真相を確かめようと思って見張りをしていた」


 君の仕業とまでは半信半疑だったけどねと、カーティスは軽快に笑った。

 どうやら半ばカマをかけられていたらしい。彼は最初からネージュの行動に疑問を感じていたのだ。だから偵察任務にも付いてきたし、夜間の見張りも行なっていた。

 ネージュは情けなくなって、驚愕に揺れる琥珀の瞳を伏せた。

 馬鹿みたいだ。恩義あるお方に気を遣わせて無駄な仕事を増やして、守りたかったのにいつのまにか庇われていただなんて。


「ええと、何だったかな。未来の私は女王陛下を守り、シェリーを庇って戦死、だったね」

「……! あ、あの、申し訳ありません!」

「君は嘘をついたりしない。何を謝る必要がある?」


 空色の瞳が細められている。初めて出会ったあの日から変わらない、騎士の真心ある微笑み。その表情に、今も昔もどれほどの安堵を得たことか。


「私にしては上出来の死に様だ。けどまあ、団員たちを付き合わせるわけにはいかないからね。これからは私も仲間に入れてもらうよ」


 ——閣下。私は、貴方のことだって死なせたくないのです。


 ネージュは気さくな冗談にも叫んで返したいような気持ちがしたが、信じてもらえた喜びとぐちゃぐちゃに混じり合って、言葉に出せないままとなった。



 *



 その後は秘密の作戦会議が始まった。

 内容は主に今後の対応について。騎士団長の力が加わった事により取れる行動は今までとは比べ物にならないほど増えて、ネージュは一筋の希望を見たような気がした。


「それで、これからも他の幹部には明かさないということでいいのか」


 不意にバルトロメイが放った言葉に、ネージュは琥珀色の瞳に罪悪感を映した。

 カーティスは信じてくれたものの、皆がそうだとは限らない。嘘をつく罪悪感には抗いようがないけれど、これ以上シナリオから逸脱しないためには必要だと思う。


「私もそれでいいと思うよ。未来を知っても知らなくても、皆は怖気付いたりはしないだろう。ハンネスなどはどうせ救われた命だからと言って余計な無茶をしかねない」


 騎士団長の言には部下への信頼が詰まっていた。彼らは勇猛果敢だからこそ行動の予想がつかないのだ。そう、無謀な決闘に挑んだシェリーのように。


「確かにな。それならば今のままネージュの見た未来に沿って、仲間の行動に予想を立てた方がやりやすい、か」

「ええ、そういうことです。どうかな、レニエ副団長」


 ネージュは問われるままに頷いた。

 彼らの命を救うことが最優先。その為に現状維持が必要なら、仲間に対して口を噤む罪悪感にも耐えてみせる。




 そうして誰がどう動くのか、緊急時の対応など様々な取り決めを終えた頃。そろそろお開きにしようかということになったので、ネージュはバルトロメイに続いて部屋を出ようとした……のだが。


「レニエ副団長は残ってくれないか。聞きたいことがある」


 笑顔とともに騎士団長から放たれた言葉に、ネージュは腰を浮かしかけた姿勢のままピタリと止まった。


「……まだ何か話があったか?」

「ええ。申し訳ありませんが席を外して頂きたい」


 バルトロメイの怪訝な視線にも、カーティスは動じなかった。ネージュは思わず縋るように直属の上司を見上げたが、帰ってきたのは穏やかな微笑のみで、彼は倒れるような無茶はもうやめろと念を押して退室して行った。

 本当に二人きりになってしまい、ネージュはカーティスから目を逸らして沈黙した。

 心臓がうるさいくらいに高鳴っている。それは憧れの人と向き合う緊張に加えて、話の内容を予感してのものだった。

 カーティスが呪文を唱えてかすかな魔力を放つと、ティーポットが沸騰して音を立てた。大きな手が取手を取ろうとする動きを制して、ネージュは上司のカップから茶を注いでいく。

 暖炉で暖められた部屋においても、紅茶から立ち上る湯気は白く目立っていた。


「君は未来を見たと言ったね。それなら、過去はどうなのかな」


 ネージュは自分のカップに注ぐ手に動揺が走るのを止めることができなかった。

 それは核心を突く問いだった。過去について知っていることは、バルトロメイにも話していない。

 この復讐劇の根底にあるものを誰よりも知るカーティスには、目の前の小娘がいったいどこまでを知り得たのか確認する義務がある。


「全ての騎士を失って、一人きりになった女王陛下は真実を知ったのかい?」


 嘘は得意ではない。どうしても顔に出るし、なんならちょっと挙動不審になってしまう。この時も隠しきれない悲哀を表情に映してしまったのを、ネージュはどこか遠くに感じていた。


「……君は、隠し事が下手だな」


 カーティスは淡く微笑んだようだった。その表情には全てを悟った諦観と、重く苦しい真実を知ってしまった部下に対する労りが浮かんでいるような気がして、ネージュはたまらなくなった。


「シェリーはブラッドリー公の実の娘、なのでしょう」

「……ああ」


 その空色の瞳の中に、この人はどれほどのものを封じ込めてきたのだろう。

 ネージュとは違ってカーティスは隠し事が上手いのだ。残酷な真実に切りつけられても、それを覆い隠して笑うことができる人。


「しかし、そうか。できれば私の格好悪い失態については、知られたくなかったな」

「騎士団長閣下……?」

「確認しておこうか。君が一体何を知ってしまったのか」


 カーティスは語り始めた。ネージュへの質問を交えながら、微笑みを絶やすことなく語られたその話は、ゲームで知り得た内容を遥かに深く掘り下げたものだった。


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