【番外編】Chocolate from Your Lover?
バレンタインのふたり。
*時期的には"Is This Love?"の前です。
「……あ、お疲れ様です。今日は大変そうでしたね」
『みはま』の暖簾をくぐるなり厭味ったらしいセリフを吐く吾妻には本当にうんざりする。先に晩酌を始めていた来栖が、渋い、本当に渋い顔をして杯を空けた。
「無意味な行事だ」
「何言ってるんですか、こんなこと言ったらあれですけど、いろんな業界の格好のメシの種ですよ、今や。年々バレンタイン商戦って拡大してるんですから」
そんなことは百も承知だ。
鼻を鳴らすと吾妻が呆れたような顔をした。
「それにしてもあんなにチョコレートもらって来月どうするんですか、大変ですよ」
「…そんなこと別に俺だけに限った話じゃないだろ、付き合いなんだから、内の社の男連中なんかみんな似たようなもんだ」
「そんなもんですかねぇ…」
お通しのおきゅうとを出した女将に『あ、どうも』と言いながら吾妻がおしぼりで手を拭いている。初めて聞いた時は「おきゅうと」なんて何の事だか分からなかったものだが、
女将と同郷の吾妻によればなんでも西の方ではよく出る突出しらしい。一度だけ食べたことがあるが、要はところてんみたいなもんだろうか、と思っている。女将は以前、お茶漬けのことがあって以来、なんだか吾妻贔屓な気がしないでもないのだ。
ちゃっかり便乗して二人の間に置かれていた熱燗に手を伸ばす吾妻を見やる。
「あんた、飯は」
「あんまりお腹がすいたんで駅の立ち食い蕎麦でちょっと食べてきちゃいました」
立ち食い蕎麦とは中年サラリーマンばかりの中女ひとりでは、さぞかし浮いたことだろう。吾妻の前にお猪口が差し出され(やはりこれも女将の贔屓だ)、勝手に手酌で酒を楽しんでいる。
「来栖さん、今日すぐ帰ります?」
「なんだ」
「いや、私まだ来栖さんにチョコあげてないじゃないですか。さすがにお世話になってるんでこの後どうかなと思って」
「この後どうって、なんだ」
「いや、ホットチョコレートのカクテルがおいしいらしいんですよ。後輩が教えてくれたんですけど」
「……あんたもそんな洒落たもんに関心があったんだな」
「……喧嘩売ってんですか?」
「……明日も仕事だろ、別にいい」
「かーっ!チョコレートあげ甲斐がないというか奢り甲斐ない人ですね!ほんとに!」
いったいどんな甲斐性なんだ、それは。
大げさに嘆く吾妻。酒が回ってきたのか普段の吾妻より若干テンションが高い気もする。
「もう酔ってるのか?言っとくが今日は送っていかないからな。遅くなる」
「酔ってませんよ。遅くなるのが嫌って酒呑みに来ておいて何馬鹿なこと言ってるんですか、バカなんですか」
「……お前は喧嘩売ってるのか」
「売ってません」
やいのやいの言っていると、耐えかねたのか女将がふきだした。
「仕事中もお二人はそんな感じなんですか?」
「とんでもないです。私、仕事中は何事も理性で抑えるタイプなんです。苛々してもね」
来栖が口を開く間もなく、しゃあしゃあと吾妻が言ってのける。最早、反論する気も起きない。
***
「安くなってますよ」
帰り道。なんでこんなことになったのか数時間前の自分を問いただしたいが、とにかく来栖は今、吾妻の家へと二人で向かっていた。駅を出てすぐのコンビニに寄る。
三割引きの値下げシールがでかでかと貼られた、もらった方が恥ずかしくなるようなピンクピンクしたハートの包みも無造作に買い物かごにいれ、すたすたとレジへ向かう。
会計を済ませ、コンビニをでると早速袋から値下げシールのついたままのチョコを来栖によこしてきた。
「はいどうぞ」
「……もう、バレンタイン過ぎてるぞ」
時刻は12時過ぎ。日付は2月15日に変わっていた。
「じゃあ、別にバレンタインとか関係なくただお菓子あげただけですね」
「……帰ったら食べるから袋にいれとけ」
こんなもん手に持って歩けるか。
「はいはいはい」
「何回も『はい』って言うな」
「はいはいはいはい」
「……」
まばらに立った街頭が二人の姿を照らしている。二人がアルコールとチョコの匂いの口づけを交わすまであと数十分のことだった。
The End...?