第十九話 図書館での邂逅
お昼休み。
ミツバは借りていた本を返しに、学園の図書館へやって来た。
ソウジから一緒に行きますよと言われたが、入学してからずっと頭を悩ませていた問題が色々な意味で解決したため、大丈夫だとお断りして一人でやって来たのである。
(『君達と空飛ぶ焼肉定食を』面白かったな……)
本を胸に抱きながらミツバはしみじみとそう思った。
なかなかぶっ飛んだタイトルではあるが、中身はとても真面目なストーリーラインの青春物語である。
ちなみに続編は『君達と海渡るステーキ定食を』だ。どうやら作者は肉料理が好きらしい。もちろんミツバは借りるつもりである。
まぁ、そんな事は置いておいて、だ。
ミツバがほくほくとした気持ちでやってくると、図書館のカウンターにすでに先客がいた。
艶のある黒髪に泣きボクロが特徴の鬼人の学生だ。あの襟章は三年生だろう。
彼は気だるげな様子でカウンターに寄り掛かり、図書委員の少女と話している。
その左手首に、鈴のついた薄桜色の組紐がはめられていた。
「もう、何度も言っていますけど、延滞はだめですよ?」
「ごめんごめん~。学校に来るのあんまないから、ついね~」
「どんな理由ですか。っていうか、そんなんで出席日数大丈夫なんですか?」
「アッハ、ま~免除されてる分もあるからさ~。ほら、ボク、成績良いし?」
「うっわ嫌味……。じゃなくて、成績良くても、本はちゃんと期日通りに返してくださいね、森川先輩」
順番を待っていると、二人のやり取り自然と耳に入る。
そして聞こえて来た名前にミツバは思わず「えっ?」と反応してしまった。
すると二人がこちらを見る。ミツバは慌てて軽く頭を下げた。
「あ、えっと、こんにちは」
「こんにちは~。本の返却?」
そんなミツバに図書委員の少女がニコッと笑って話しかけてくれた。
額に角はない。人間の少女だ。襟章は二年生のものをつけている。
ミツバは「はい」と頷くと、借りていた本を差し出した。
図書委員の少女は本を受け取ると、本の最後の見返し部分に張り付けられたポケットから、貸出カードを取り出した。
そしてそこに日付と返却日のサインをしている。
(……見られているなぁ)
森川と呼ばれた学生は、にこーと笑いながら、貸出カードを見ている。
嫌な予感がしつつも、なるべく顔に出さずにミツバは確認が終わるのを待った。
「うんうん、期日通りだね。良い子。ほら、ちゃんと見習ってくださいよ、先輩?」
「あはは、怒られちゃった~」
彼は同じ笑顔を浮かべてミツバを見る。
「こんにちは。その襟章は新入生の子だね」
「……こんにちは」
「おやおや、ちょっと警戒されちゃってるかな~」
「そりゃこんなに馴れ馴れしくされりゃ警戒されますよ。ごめんね、君。この先輩、面倒くさくて」
「ちょっとぉ、その言い方ないんじゃない?」
「名乗ってないから当然ですよ。その子の貸出カード盗み見ていたくせに」
「……違いない」
図書委員の少女の素敵に、彼はハハ、と笑う。
「では改めて、ボクの名前は森川サクヤ。三年生だ。初めまして」
「あたしは鈴宮ヒバリ。二年生。よろしくね」
「一年の吾妻ミツバです。よろしくお願いします、先輩」
やはり森川サクヤで合っていたらしい。
ソウジについて来て貰うべきだったなと思いながら、ミツバは二人に挨拶を返した。
◇ ◇ ◇
――その後、ミツバは図書準備室で、先輩達二人と向かい合って珈琲をご馳走になっていた。
「聞いてよ吾妻君。鈴宮君ってば、ボクの首根っこ引っ掴んでこう言ったわけ」
「そうしないと先輩、ぜんっぜん本返してくれないじゃないですか。延滞料金作りますよ先輩だけ」
「金銭のやり取りはまずいんじゃない~?」
「肉体労働に決まっているじゃないですか。図書委員の手伝いですよ。ね、吾妻ちゃん」
「あははは……」
そんな話を振られても、どう返したら良いか分からずミツバは笑って誤魔化す。
本当に何で自分は珈琲を飲んでいるのだろう。
ちなみに豆から挽いた奴――コーヒーミルは司書の先生の私物だ――である。香りがとても良い。お砂糖とミルクで飲みやすくもなっていて、ミツバは「これ好き」と思っていた。
まぁ、幾ら警戒対象がいたとしても、他の人も一緒だ。サクヤとも仲も良さそうだし大丈夫そうかな、とミツバが思っていると、
「そういや鈴宮君、司書の先生に何か頼まれごとしてなかった?」
サクヤがそんな事を言い出した。思わずミツバが咽そうになる。
今思い出すのはやめてほしい。いや、思い出した方が良い内容でもあるのだが。
「え? ……あー! そうだ、本の注文表頼まれてたんだ!」
「ほらぁ。ボクの事言えないじゃない~」
「ぐぬぬ、言い返せない! ちょっとあたし行ってきます! お昼休み終わるまでに戻れるかな……吾妻ちゃん、ゆっくりしていってね!」
ヒバリはそう言うと、珈琲を一気に飲み干して、バタバタと準備室を出て行った。
……出て行ってしまった。
じゃあ私も、と一緒に出た方が良いのだろうけれど、如何せん珈琲がまだ残っているためタイミングが掴めない。
「元気だよねぇ」
「そうですねぇ」
ヒバリを見送りながら、そんな短いやり取りをする。
うーん、と思いながらミツバは珈琲を飲んだ。
とりあえず早く飲み干して、その流れでサッと戻るのが一番だろう。
ミツバがそう思っていると、
「ところで吾妻君」
とサクヤから話しかけられた。
「何でしょう?」
「この間は妹がすまなかったね。迷惑をかけた」
先ほどまでの明るい口調とは違って、真面目な様子でサクヤはそう言った。
ミツバは思わず言葉に詰まる。
それから僅かに間を空けてから首を横に振った。
「いえ。……森川さんの具合はどうですか?」
「ああ、憑き物が落ちたように落ち着いているよ。体調の方も問題ない。たぶん、キミのおかげだろうね。ありがとう」
「いえ。良かったです」
「……ふふ」
ソウジが倒れた事もあったので気になっていたが、どうやら大丈夫らしい。
その事にミツバが少しホッとしていると、サクヤは小さく笑った。
「そんなに素直にお礼を言って良いのかい? ボクの事はキミのお姉さん達から聞いているだろう?」
「……ええ、まぁ。色恋沙汰は面倒なので、今後何かを企んでらっしゃったら、止めていただけると有難いです」
「ハハハ。キミは素直だねぇ。……まるであの人みたいだ」
サクヤは楽しそうに笑う。
下手に誤魔化したり、白を切るつもりはないらしい。
なのでミツバがはっきりとそう言うと、彼は目を伏せた。
「ゴメンね。保証はできないよ」
「そうですか。……困りましたね」
「本当にキミは正直だねぇ。さっきみたいにもっと警戒していた方がいいよ?」
サクヤは薄く笑みを浮かべ、少し目を細くしてそう言った。
どうやら最初から警戒していた事はバレていたようだ。
まぁ、自分がどんな風に思われているかを自覚している人だ。
他人からどう見られているかを推測するのも容易いのだろう。
うーん、と思いながら、ミツバは今しがたヒバリが出ていった方角へ目を向ける。
「鈴宮先輩は良い人ですね」
「うん? ……ああ、そうだね。ボクの噂を聞いても普通に接して来る、珍しい子だよ」
「ですから、もしかしたら噂はあまり、あてにならないかもなとも思ったんですよ」
そしてミツバはそう続けた。
ツバキ達の反応だけを知っていた時だったら、ミツバだってこんな風には思わなかった。
けれども先ほどのサクヤとヒバリのやり取りを聞く限り、そういう面はあまり感じられない。
仲の良い先輩と後輩の、ごくごく普通の会話だ。そこに悪い何かは感じられなかった。
「お二人の事はよく知りません。あなたの事も信用は、ごめんなさい、出来ません。けれど鈴宮先輩は良い人そうなので。その分で少し、森川先輩の印象が変わりました」
「…………」
サクヤはポカンとした顔になり目を瞬く。
それから指で頬をかいて苦く笑った。
「困ったなぁ、ハハ。……もうちょっとで色々片付くから、それまでは迷惑かけちゃうね。ゴメンね、勘弁――はしてくれないとは思うけど。ゴメン」
そう言いながらサクヤは壁の時計を見上げた。
「ところで、吾妻君。そろそろお昼休みの時間が終わるよ。次の授業は大丈夫かい?」
「あ、それはまずいです」
ハッとミツバも時計を見上げて、慌てて珈琲を飲み干す。
そして大急ぎでカップを水道で洗った。
「それでは先輩、失礼します」
「うん、またね。転ばないようにね」
ミツバが頭を下げて背を向けると、サクヤは左手を軽く振った。
ちりん、と鈴が鳴る。
「……まいったな。本当に、よく似ているじゃないか。天秤の子ってのは、皆、そういうものなのかねぇ」
ミツバの姿が見えなくなると、サクヤはそう呟いて手を下ろす。
そして右手の指で組紐の鈴を再び、ちりん、と鳴らしたのだった。




