第42話後編 傲慢少年はおじさんに勝てない
少年は、ガナーシャに『二番目の兄』と呼ばれた男は、震えていた。
記憶の扉がギィイと耳障りな音を立てて勝手に開いていく。その僅かに開いた扉から少年が顔をのぞかせる。赤茶のかわいらしいくりんくりんの髪、貴族らしい目鼻立ちの整った顔、そして、誰の邪魔にもならないように息をひそめ、こちらをじいっと見ている。
「ヴォルガスさん」
声が重なる。
あの頃の声は声が変わり始める前だったのだろうか、だいぶ大人びた少年だったが、声は高く細く小さかった。でなければ、『父』が怒鳴るから。
今の声は、静かで深く、でも、やはり小さかった。
だが、背は高く伸びていた。
(そうか、あの頃のコイツが私を見ている時はこう見えていたのかもな)
年をとっているがあの頃の面影はある。二十七年前のあの頃の。
トスは、10もいかないその小さな体を震わせながら視線を彷徨わせ、やがて、意を決したように口を開く。
「さ、さんじゅうにば、じゃなかった。ガ、ガナーシャだったな。げ、元気そうで何よりだ」
最早、先程までの子どもらしい話し方は鳴りを潜め、二十七年前の口調に、ヴォルガスだったトスは戻っていた。
ガナーシャは穏やかに微笑み続ける。そこには感情の揺らぎはなく、凪のような、静かな表情。トスにとってはそれが何より恐ろしく嵐の前の静けさのようにも感じられた。
「そうですか、ありがとうございます」
ゆっくりとした口調。トスには、疲れているように感じられたが、それが年のせいかどうかは判別がつかない。今、トスは元気な盛りの子どもだし、以前死んだときには二十歳という若さだったから、分からない。
「冒険者をやっているんだな」
「はい」
「そうか」
「はい」
傍からみればおかしな光景だろう。
幼い少年がおじさんに向かってまるで年上であるかのように話しかけている。
そして、おじさんは穏やかに笑いながら、その言葉にうなずいているのだ。
ただ、ひとつ。
周りから見て受け入れられる様子といえば、幼い少年であるトスが大人であるガナーシャを見て怯えていることくらいだろう。
ガナーシャの言葉一つ一つにトスは怯えていた。
「傲慢と、」
大きく震える。そして、ガナーシャを見上げる。
「新たに契約をしましたね。そういえば、貴方とあの悪魔は相性が良いように思います」
額から一滴、汗が落ちる。
頬を伝い、顎にたどり着き、トスの若々しい肌を離れ、地面へと落ち吸い込まれていく。
トスは全ての神経が研ぎ澄まされているのを感じていた。
そう、これは死の危機に瀕した時。
『黒の館』の『子供』を『父』に無許可で手を出し殺してしまった時と。
あの時は咄嗟に罰としての案を出し喜んで受け入れられ、そして、成功した。
今も、何か言わなければ。決定的なことを言われる前に。
乾いた口で少しばかり浮き出たつばを飲み込み、必死で言葉を絞り出す。
「それ、より、なぜわかった? 私が、ヴォルガスだったものだと」
「勘です」
「はあ?」
トスが目を見開くと、ガナーシャは困ったように笑う。
「みんなに驚かれるけど、本当に勘なんですよ。みんなのように決定的な何かを見つけるなんて僕には出来ない。僕にできるのは、出来るだけ拾えるだけの情報を拾って、可能性を探して高いものを順番に潰していくしかできなかった。でも、そうですね」
ガナーシャは、じいっとトスの一挙手一投足を見ながら、言葉を連ねていく。
「イチカの村にいた盗賊の偽装と理由の上手さ。一度冒険者ギルドにイチカの洞窟を調査させて何もないことを確認させるような慎重さ。それらをトムという粗雑な印象の人物の頭で出来るのかどうか、そして、それを従わせられる存在とはなにかということ」
刺すように。
「トムが強いとはいえ、ミレニアさんが従わされるほどの実力ではなかったこと」
弱者を生かしたまま捕らえるように。
「都合よく姉弟が夜中に飛び出して叫んだこと。それは合図だったのはないかと」
生かすことに繊細に。
「それに伴ってミレニアさん達が現れたこと。合図に応え混乱を生み出すために呼んだのではないかと」
ゆっくりと深く刺し込むように。
「策が穴だらけで、まるで見破られてつかまって処刑されて誰かがノーマークになる事を望んでいるようだったこと」
トスが身動きできなくなるように一つ一つ刺さっていく。
小さな針が。だからこそ、恐怖は増幅する。
「そんなところでしょうか。上げればキリがないんです。街のこども達とあそびたがらないこと、こども好きの宿の女将さんがあなたを好きになれないこと、七歳にして時折どきりとしたことを言うというのがあなたがお手伝いに行っている商人ギルドの職員さんの言葉、胸への視線を感じると冒険者ギルドの受付の方も言ってましたよ。無邪気な感じではないと、どれも小さな小さな違和感です。決定打なんて一つもない。でも、これだけ揃えば変だと思いませんか」
「それだけ、集める方が変だよ」
ガナーシャはにこりと笑う。
「僕は臆病なので。出来るだけ情報が欲しいんです。生き残る為に。ああ、そうそう。おまけに、オトさんがあまりにも簡単にケンに惚れたことがありましたね。だけど、これは後々本当に好きになったようなので本当に良かった。若いっていいですねぇ」
「……そういえば、オトは?」
トスは今日オトを探し回っていた。いざという時に人質や身代わりにするために。
だが、見つからなかった。
「冒険者ギルドに依頼を出し、保護してもらっています。貴方も『保護』してもらうつもりだったんですが思いのほか逃げ回りましたね」
「いやな予感がしてね」
「あの時もそうでしたね」
あの時。
あの時をトスは思い出す。
『父』に無許可で『子供』を殺してしまった時。
「処刑される前に実験を提案した」
自分を実験材料に使うよう進言した時。
「自分が大人として巡りの輪に入ると」
死ななければ実証できない実験に立候補したことで『父』は満足そうにうなずいた時。
それしか方法はなかった。
それ以外は最悪の死、もしくは最悪の生。
だが、巡りの実験であれば、一先ず死ねる。そして、上手くいけば
生まれ変われる。今の記憶を持って。
そう考えた上での提案だった。
「うまくいったようですね」
「ああ……二十年かかったのは予想外だったが。……ちょっと、待て。そう言えば、お前は何故外にいる? いや、何故あそこにいて未だに生きているんだ? 魔人計画は成功したのか!?」
トスの顔が歓喜に震える。家族全員の願いがあそこに込められていた。
ちょっとした苛立ちのせいで『父』の不興を買ったが、それでもあの計画は本人にとっては最高に興奮する計画だった。
ガナーシャはそんなトスの顔を見て、困ったように笑う。
「いえ、失敗しました」
困ったように。
「は?」
「黒の館はもうありませんし、生き残っているのは……僕だけです」
笑う。
「……殺したのか、みんなを?」
困ったように。
「そう、ですね……うん、『僕が』殺しました」
笑うしか出来ない。
「あ、あ、悪魔め!」
トスが叫び、ガナーシャは宙を見て少し考えるそぶりを見せる。
「悪魔を知っている人間の台詞ではありませんね。いや、でも、そうですね……よっぽど我々の方が悪魔ですね」
ガナーシャの言葉にトスは声を詰まらせ、顔を伏せる。だが、すぐに何かに気付いたようにパッと顔を上げ、視線を左右に彷徨わせながら口元に手を当てぶつぶつと呟き始める。
「待て……待て待て。お前が何故私に気づいた……? 二十七年前に死んだ人間が生まれ変わる可能性を知っていたとしても、二十七年だぞ……!」
忙しなく視線は動き、トスは呟き続ける。少しずつ石を積み上げるように、不揃いでアンバランスなそれでいて今まで集めてきた彼の大切な記憶を。
「もしかして、もう会っているのか? 生まれ変わりの『子供』に……!」
「相変わらずですね、深い思考に入ると整理をする為に、口に出す癖」
ガナーシャは、じっとトスを見つめ続けるだけ。
「そうか! そういうことか! やはり私たちの考えは間違っていなかったのか!? なるほど、記憶の代償の生贄とは別に、浄化の代償として同程度の時間が必要という事か。そして、お前は、出会った。私より幼い『巡りの子』に!」
トスがうず高く積み上げ出来上がった塔を、答えを見せつけるように表情を輝かせる。
ガナーシャは、その顔を見て苦笑いを浮かべる。
「まあ、そのあたりの考察は、『影』に連れて行ってもらってから沢山話してもらえたら有難いです」
そして、その答えをとんと指でつく。
望んでいた返答が得られずトスは分からないという表情。
「は? 影? なんだそれは?」
「あの時代に溢れていた貴方達のような人間を捕らえ、裁くことを目的とした集団です」
「な!?」
ガナーシャの表情は変わらない。ずっと苦笑いを続けている。
「お、お前もそうなのか?」
「僕はただの協力者です。僕は弱いから、彼らの足手まといですよ。こうして、偶然出会えた人たちを報告するだけです」
「殺されるのか?」
「多分、有益な情報を吐いている間は大丈夫だと思います。ただ、彼らの多くは復讐者です。下手なことを言えばあるいは。なので、お気を付けください」
さっきまでのキラキラとした笑顔は消え失せ、身体を震わせガナーシャに縋りつくトス。
ガナーシャはただただ苦笑いを浮かべる。
「た、助けてくれないか? ま、まだ、私の力は弱いが、この力さえあればもっともっと大きくなれる、強くなれる! お前の願いもかなえてやる!」
「それは、無理です」
「な、何故だ!?」
「僕の願いは、子供たちが笑顔で幸福に生きられる世界。貴方と『傲慢』にそんな世界が作れますか?」
「それは」
「出来るとあなたは言う。『貴方の傲慢』の力があれば、と」
「だけど、そんな力は要らない。それに、僕には無理なんですよ」
そう言ってガナーシャは自分の襟を少しだけ広げ、トスに見せる。
ガナーシャの身体を。
トスはそのガナーシャの真っ黒な身体を見て今までで一番大きく震えはじめる。
「な、な、なんだ、その身体は、契約紋だらけじゃないか……であれば、無理か? 私の傲慢など指先程度のもの。いや、待て、それ以前に……今の、契約紋の形は……巡りの? ガ、ガ、ガナーシャアアアアアア!」
トスがカチカチと歯を鳴らしながら、それでもきかなければならないと、あふれ出る恐怖のままに叫ぶ。
「お、お、お前ぇええ! め、巡りの悪魔と契約を!? なら、何故、お前は……お前は、何を望んで、そんな風に……いや、お前そこまでの契約をして、代償は……!」
トスの心の中。カタカタと震えながら積んだ思考の石、その頂上に辿り着いたトスが見た景色は天国でも地獄でもない、真っ黒な景色。
「おい…………」
真っ黒な。
「お前の、負の感情はどこにいった?」
景色。
ガナーシャは、困ったように笑う。
「……ありますよ。ちゃんと。人よりちょっと小さいだけで。ちゃんと」
「おかしいおかしいおかしい……! そんなはずがない。負の感情は、いわば、人間にとって必要不可欠なものであり、心の調整となるはず。生まれた負の感情を、ただただ悪魔に喰われるだけだと……発散も解消も出来ないまま生まれて喰われてを続けて……何故、お前はまだそんなに笑っていられるんだ……?」
ガナーシャは困ったように笑い続ける。
「僕の望みは二つ。『子供』たちが今度こそ幸せな生を全う出来ること。そして、そんな悲しい目にあう子どもを出来るだけ生み出さないようにする世界を作る事。あとは、どうなってもいいです」
(壊れている……!)
トスの辿り着いた答えは、人間の崩壊。
そして、
トスは尋ねる。
「お前は、巡らせたんだな。『子供』を終わらせ、始まらせた」
「……自己満足ですけどね」
涙が溢れる。
トスは何故自分の目から涙が溢れたのか分からない。
何故ならば、それはトスが嘲り捨て去った、なんとも嘘くさい『愛』によるものだったから。
ただ、人間として生まれ本能的に持っているそれにガナーシャの言葉が刺さり涙が出て来ただけ。
「……何人だ?」
「15人です」
「全員会えたのか?」
「まさか。貴方と違って僕の出せる限りの代償なんですよ。ほとんど記憶も残っていない」
「そうか、そうだな」
「それでも」
「……」
「二人、会えましたよ」
「そうか」
「はい」
「……私は、傲慢だな」
「はい」
「生まれた環境は不幸だったが、それでもこの頭があれば馬鹿どもを操ってなり上がれる。前世よりもうまくやれると思っていた」
「はい」
「傲慢の悪魔を見つけ打ち震えた。だけど、アイツに見つけられただけだったんだろうな」
「はい」
「なんだったんだろうか、この人生は」
「たったひとつ断言できることは」
「なんだ?」
「最強の人間を作る魔人計画の中で残ったのは最弱の人間たった一人だけという事実です」
「……皮肉だな」
トスは自分の身体が今までよりもうまく動かないことに気付いていた。
ずるりと何かが抜け落ちていく感覚。
(絶望はコイツの好物ではない、か)
弱弱しく笑いながらゆっくりとトスは顔を上げる。
黒く燃える左脚で、トスから抜け出た闇を切り裂く男の姿。
その蹴りには無駄がない。
正確に言えば、無駄など出せない。
全てを振り絞り丁寧に丁寧に闇の首を刈り取る黒い死神。
彼はこの時の為に、自分と話すことを選択し、出来るだけ心を折ろうとしていたのだろう。
全ては、彼の最大限の、全力の、必死の積み重ね。
汚く美しい死神の足掻き、藻掻き、抵抗。
自分の人生を持てるだけ悪魔に売り払い、子供たちの幸福を買った死神。
15人を殺した罪を背負う死神。15人の幸せを祈る死神。
あの頃と変わらない赤茶の髪、年をとり皺は増えたが貴族らしい目鼻立ちの整った顔。
だが、狂気と慈愛に満ちたその瞳。
少年は大人になり、じいっと未来を見つめていた。
その明るい未来の中には多分彼自身はいないのだろう。
そのおじさんを見て、トスは諦めた。
自分は彼の言う『子供たち』には入っていない。
であれば、この先に待つのは、償いの時間。
生まれ変われるだろうか。
神は、自分を許してくれるだろうか。
どうか、今度生まれ変わる時には、まっさらで何も知らない無垢なこどもとして。
誰かを呪わない、誰かに呪われない運命を与えてください。
そう、祈った。
それが届くかどうかは誰にも分からない。
お読みくださりありがとうございます。
ニナ編まであと二話? 本当に? 頑張ります。
またまたコンテスト落ちました! 作品供養としてよければ、読んでみてください。
「GCN文庫1周年記念~短い小説大賞~」一次は通過したのでそれなりにはおもしろいんでねえかと。「このヒロイン、実は…」をテーマに書いたコメディです。
『すみません! ヒロイン間違えました!』
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