高貴なる皇女殿下①
リスティナ=レーティア・アウレーテ・エルネリア・フォン・リヒトシュタット。
このクソ長い名前の16歳の少女が、俺の結婚相手としてどれだけ『とんでもない』物件なのかということを語り始めれば長くなる。
神聖リヒトシュタット皇国は大陸の中央部に位置する大国で、周辺諸国を侵略して版図を拡大していた時代に比べれば兵力は徐々に衰退してはいるものの、芸術の都として文化面で比較にならないくらいに栄えている。外交の場に出向く時には必ず最上位に席を用意せねばならないとされる国だ。
そんな国の第一皇女さまなら生まれながらの婚約者が決まっていても驚かないのに、適齢期まで放っておかれてわざわざ俺に話が回ってきたのはよっぽど他の条件が悪いとか――と思えば『逆』だ。
リスティナ姫は現皇帝の長女として生まれた。母は現皇后ではないが……それは彼女が妾腹の出だということではなく、数年前に亡くなったという前皇后の娘だということ。いわば、彼女は『もっとも正統な皇女』『もっとも皇位に近い皇女』だ。
リヒトシュタットの皇位は男子優先継承で皇女が嫁ぐときには継承権を放棄することになってはいるが、嫁いだ先で男児など生まれてしまえば『やあやあ我こそが正統な継承者なり!』と名乗れてしまいそうな危うさがある。
実家はともかく本人はというと、これもまたすごい。
『皇国の花』と称えられる楚々とした美貌のほまれ高く、皇女としての品格にかけるところも無し、あまりの完璧さに父皇帝が溺愛し手放すのを惜しんだとか。
縁談の常として多少は話を盛ってあるにしても、少なくとも『悪くはない』のだ。
「……逆に、きなくさいよなあ」
「どうしてですか!? こんなに良縁なのに!」
「『良縁すぎるから』だよ」
侍従のランツェルは『そんな贅沢なことを言うなんて!』と俺を非難せんばかりだが――ここまで『優良物件』を持ってこられると逆にうさんくさい。
俺もこのミリア王国にはそれなりに愛着を持っちゃいるが、はっきり言って伝統も権威も足りないまだまだ二流の国との縁を皇国側は何の得があって望むのかと考えれば、答えは明らかだ。
兵力。数年間の防衛戦に耐える屈強な兵たち。――かの国は、また戦争がしたいのだ。
それがさらなる領土拡大のためか、広がりすぎて治めきれない国土の反乱を鎮めるためかは知らないが。
そのうち『大事な娘をやったんだから身内として人手くらい出せ』と言ってくるだろう、してみると主導権を握れる二流国を選んだ理由も見えてくる。
「そう思い通りにもさせるつもりはないけど、断ることもできそうにない、か。……いいだろう、俺、結婚するよ」
「アルフリッツ殿下……」
「あー、気にしないでくれ! 大陸一の花嫁をもらうのに悲しい顔をしてるようじゃ、男がすたるよな。どうせ政略結婚しかありえなかったんだし、噂通りの美人かどうか楽しみにしておくよ」
しゅんとした顔になってしまって『殿下には幸せになってほしかったのに』と嬉しい言葉を送ってくれたランツェル相手にはおどけてみせつつ、『いざという時』のための計画を今のうちから練っておくことにした。
◆
そんなたいそうな実家を背負った婚約者との顔合わせだ、絶対に相手の機嫌を損ねるわけにはいかなかった。
リヒトシュタット皇宮を訪ねる前には厳重に身なりを整え、ミリア王国の特産品を含む山ほどの貢ぎ物を携えて、前々からの約束を取りつけてあるのに随分と待たされてからようやく皇帝への謁見を果たした。
「皇女殿下へのお目通りのお許しをいただきたく存じます」
「うむ。許す」
「ありがたき幸せにございます」
変な形の髭をたずさえた太ったおっさんの『うむ。許す』をもらうためだけに朝から何時間待たされたのかと思えば、げんなりするに決まっているけれど。待っている間に謁見待ちの控えの間に飾られた風景画に描かれた落ち葉の枚数だって数え終わってしまった。
まあ、いい。とりあえず、粗相はなく謁見は済ませたのだ。
あとは婚約者の住まう皇宮内の離宮を訪ねて初めての顔合わせと挨拶、もしも話が弾めば少しお茶でも飲ませてもらう、という段取りになっている。
「失礼いたします。ミリア王国から参りました、ラウゴルフが子、アルフリッツにございます」
「……ああ、例の方」
「はい。姫君にお目にかかりたくございます」
離宮に続く門のところで行きかった皇女付きであろう女官に話しかけ、案内を頼む。
いちおう話は通っていたらしく、『ここからさらに待たされたらどうしよう』という不安は杞憂で済んだのだけれど――。
「……粗茶でございますが」
「はぁ。たいへん結構なお味で」
応接室に通されて紅茶を淹れられた後は、ただひたすらの無言が気まずい。
皇女殿下が少し遅れて来るらしいのは、女性の身支度には時間がかかるものだろうと気にしてはいなかったのだが、どうも……空気がひんやりしている。
(『どこの馬の骨ともしれない成り上がり者に嫁がせるなんて!』……とか、思われてるのかな)
うちの侍従もそうだが、主人との距離が近いとついつい同情の念を抱いてしまったりするものらしい。
皇女殿下が『あんな野蛮な国に行きたくない!』と毎晩泣き明かしている、とかだとすると、女官たちの醸し出すこの冷ややかな雰囲気にも説明がつく。
そうだとしても、目下であるこちらからは断ることもできないのだが。
だから、現れた少女が貴婦人の手本のように優美な笑みを湛えながらも口元をきゅっと引き結んでいるのを見ても、嫌な気持ちになるどころか、罪悪感すら湧いた。
『お互いに大変な立場だよな、でも断るなら頼むからそちらからにしてほしい』と思ったくらいで。
「……皇女殿下。悩みがあるなら、打ち明けてくださいませんか」
「悩み……?」
「恐れながら、殿下はこの結婚に乗り気ではないように私の目からは見えまして」
「まあ……そんなこと、ございませんわ……」
噂通り、いや噂以上の妖精のような儚さを漂わせた皇女殿下は弱々しい笑みを浮かべて言った。
そりゃそうか。出会ったばかりの『婚約者』に『実はこの結婚は気乗りしないんです』とか打ち明けられるはずもない。下手をすれば外交問題になってしまうし、彼女のような育ちの良いか弱いお姫さまにとっては、国のための決定に逆らうことは選択肢にすら浮かばないのかもしれない。
「心配しなくてもここだけの話にしておきます……とはいっても、信じてはいただけないでしょうが。実は、私には兄がひとりおりまして」
「お兄さまが?」
「ええ。恥ずかしながら、不肖の兄エルベルトは、思いを通わせた女性との愛を貫くために出奔してしまったのですよ」
「まあ」
「王太子として育てられておきながらね。……ですが、私はそんな兄を少しうらやましくも思ったりして」
真っ赤な嘘である。
あの極楽とんぼのおかげで俺がどれだけの迷惑をこうむったかを指折り数えれば、はらわたが煮えくりかえる思いがするし、正直なところ、個人的には恋愛結婚について良い印象はない。
だが、これを聞いてもしも皇女さまが『そうよね、やっぱり好きな相手との結婚じゃないと!』とか思い直してくれれば、こちらのものだ。
『では、皇帝陛下には姫からお話を通していただくということで……』と、ミリア王国の体面は傷つけず、『娘のどこが気に食わないのか』と皇帝の機嫌を損ねる心配もなく、完璧なリスク回避ができる。
打算にまみれながら理解者ぶった笑みを浮かべて彼女を見ると、皇女はほろりほろりと美しい涙を頬に伝わせた。
「実は……お慕いする方がいますの」
「なんと! では、私は身を引きます! ええ、全然まったく私のことはお気になさらず!」
「でも……わたくしは皇女ですから。皇女の務めを果たさねばなりません」
「いえいえ! そんな、美しいあなたの笑顔を曇らせるとあっては私のような男は夫にはふさわしくないでしょう!」
「いいえ! 叶わない恋なのです、諦めるつもりで……それでも、あの方の姿が忘れられず……」
「もうそれはその人と結婚した方がいい! 絶対にそうだと思う! 俺は全力で味方しますよ!」
「でも……」
この手のやりとりを、繰り返すこと数十回。
だんだんと、俺だって気づき始めた。
最初は『気弱なお姫さまが恋心を打ち明けることもできないまま他の男との結婚を決められてしまい、それでもやっぱり諦められず――』みたいな健気で哀しい話なのかと思っていた。でも。
おい、このお姫さまって……まさかとは思うが、『俺から』婚約破棄させようとしてないか!?
いやいやいやいや、皇女殿下は泣きながら『お父さまにはとても言えない……』とか言うけども。あなたにも言えないことは、俺にはもっと言えるわけなくないですか!?
二流国の王太子が生意気にも婚約破棄できるわけがないだろう!?
「……わかった、わかりましたよ!」
俺がとうとう根を上げたのは、それからさらにああでもないこうでもないと応酬を百五十回ほど繰り返した後のことだった。
心なしか、『弱々しさ』を取り繕うのが下手になってきたやぶれかぶれの皇女殿下の声も嬉しそうだ。
「ようやくっ、わかっていただけたのですね!」
「その男の名前は?」
「えっ……」
「ああ、安心してください。危害を加えたりはしません。ぜっっったいに、何が何でも、あなたと結婚していただきますので。仲人を務めさせていただきたいくらいだ」
もうこうなったら、意外と手強い皇女殿下ではなく、相手の男の方を焚きつけて、向こうからプロポーズさせてやろうじゃないか。
俺はこの婚約を回避できるなら当て馬になるのもやぶさかではない、むしろめちゃくちゃ大歓迎だ!
「その……名前は、知らないのですわ……」
「知らない?」
「旅先でお会いしましたので……」
「では、どんな男でしたか。髪は、瞳は、歳のころは、体格は……ああ、そうだ、『旅先』とはどこでいつごろ会った――」
「待ってくださいまし! 今、順番に考え……思い出しますから!」
「ああ、すみません」
まさか、名前も知らない相手だとは盲点だった。
では、わずかな情報はひとつたりとも逃してはなるまい。なんせ俺と俺の国と民の命運がかかっているのだ。
最悪は、似たような年恰好の男を金で雇って、皇女殿下の『想い人』に仕立て上げるのもアリだろう。
一度は押し留められたものの、続きを促すと、彼女は目を左右に泳がしながら訥々と話し始める。
「あれは……そう、今から五年前のことでした。旅先で、馬車が立ち往生してしまったのです。……その、道が悪くて……場所は、ヴィニャック公国の山間を抜ける道、だったかしら……困っているところに、その方が助けてくださって……」
「どんな男でした?」
「わたくしより、五つくらい年上に見えたかしら……いや、もしかしたら大人びて見える年下か、逆に十くらい上だったかもしれないわ」
「それなら今は15歳から26歳くらいか。なるほど、他に特徴は?」
「ええと……お会いしたのは夜だったのだけれど、夜闇みたいな黒い髪で……ああ、目だけがぎらりと猫みたいに光っていたの」
「黒髪に黄褐色の瞳ね。俺と同じか。これならミリア王国の国民にも珍しくない……」
「ミリア王国?」
「いえ、なんでもない! こちらの話です!」
条件を頭の中に書き出してまとめ、ご本人を見つけるよりもそっくりさんを仕立て上げる方に気持ちが傾いた。
まあ、それほど難しい条件じゃない、なんとかなるだろう。
「不肖アルフリッツ、必ずや見つけてご覧に入れましょう! ぜひ協力させていただきたい!」
「いえ……あの、思い出は、美化されるというでしょう? わたくしはあの日の思い出だけで十分ですから……」
「いえいえ! せっかくの恋でしょう、そんな寂しいことをおっしゃらずに! ええっと、五年前のヴィニャック公国の山間の――」
この条件での人探しで間違いないかと皇女に確認を取ろうとして――俺は、ふと気づいてしまった。
「――待て」
「っ、」
「君、そんな時期に、そんなところで何をしていた?」
今から『五年前』ならば――ミリア王国防衛戦の真っ只中で、隣国ヴィニャック公国との国境である山間部など、危なくて通れたものじゃなかったはずだ。
物資の補給のための道すら封鎖されて商人たちも困っていたくらいなのに……ましてや呑気に『馬車』での移動で『神聖リヒトシュタット皇国の皇女』が『旅行』で訪れただと? まったくもってありえない。
「そうか、嘘をついたのか」
「……」
「君は『そんな時期にそんな場所に行ったことはない』……当然『そんな男はいない』んだから、俺に探し出せるはずもない」
ところどころ思い出すように詰まりながら話していたのは、無い記憶をいちから考えていたからだ。
そもそも、今も操だてするほど思い出深い人物だというのなら、『思い出す』必要なんか無いだろう。
「どうして、そんな嘘を?」
「……あなたって思っていたより鋭いのね。いいわ、みんな、二人きりにして頂戴」
俺に嘘を見抜かれた途端につまらなそうな顔をして涙を引っ込めた嘘泣き皇女は、女官たちを人払いした。
態度は傲岸不遜、身に纏う空気は冷ややかで、先ほどの儚く弱々しい『お姫さま』の風情などかけらも残していない。
「まずは、話を聞かせてもらおうか」
これはまた面倒なことに巻き込まれてしまったのではないかと危ぶみながらも、問いただせば、彼女はチッと俺に聞こえるように舌を打ってみせた。
「だから話すって言ったじゃない。『待て』もできないの? この、駄犬が」
「君みたいな猫かぶり……性悪女に言われたくはないが」
「あーあ。せっかく穏便に『あなたから断ってくれるように』イイコにしてたのに」
「やっぱりか!」
そうか。やっぱりあれは俺の勘違いではなかったのだ。
この婚約が気に食わないなら彼女の側から破棄してくれればよいものを、どうして俺に押しつけようとするんだ!
責める視線を送れば、怯える仕草すら見せず座したままの彼女はぴくりと片眉を上げる。
「だって。私、結婚なんてしたくないもの。でもね、『結婚したくない』なんていったら、これまでの『完璧な皇女さま』の評判に傷がつくでしょう?」
「そんな理由で……!」
「怖い怖い、怒らないでくださる? 親切にも、愚鈍な貴方にも理解が及ぶように懇切丁寧に説明して差し上げたのだけれど? 分かったら、とっとと貴方から婚約破棄してくださらないかしら? この、すっとこどっこい」
奇跡のように美しい少女の口から飛び出した言葉に、俺は呆然とすることしかできなかった。




