096 プチロボコン実演会
それと、同じ頃。
その『彼女たち』は他でもなく、学校にいた。
「けっこう集まって来たねぇ……」
教室でロボットを組み立てていた亜衣は、ふと顔を上げて辺りを見回した。そばでタブレットパソコンを起動していた菜摘が、呼応するようにあははっと笑う。
「ねー。私、土曜日の放課後なんて、誰も残ってないだろうと思ってたのに」
「てか、普段ならとっくに無人になってるよね、この教室も」
「しかもよりによって親や教師まで……」
二人が語るのも、無理はない。私立校ながら週休二日制を採っている閏井と違い、山手女子は土曜にもばっちり通常授業があるので、今日は正規の登校日なのだ。しかし午前にしか授業がなく、午後を目一杯使うべく生徒の大半はすぐに帰ってしまうのが慣例だった。
翻って今、教室には三十名ほどの生徒、それを上回る数の保護者や教師が犇めき合っている。
日本最大のロボコンから凱旋した悠香たち五人には、クラスメートを始めとする多くの生徒から祝福の言葉が贈られた。
その中に多かったのが、『私たちも見たい!』という要望だった。ゴールデンウィーク明けだった七日はテストなどが重なり、そのせいで忙しくてテレビすら観られなかったという生徒が多かったのだという。悠香は喜んで応じ、今日この場所で実演をする事にしたのだった。
ちなみに、中学三年のフロアは最上階にあるため一部の天井が高く、五メートルの塔を積み上げる余裕は十分にある。
「持って……来たぁ……」
息も絶え絶え、といった感じの悠香の声に、二人はドアを振り返った。大きな箱をいくつも持った悠香と陽子が、そこに立って肩で息をしている。
「あ、お疲れー」
「こんなのでどうかな……。中に紙ゴミを詰めて重くしてみたんだけど……」
「……もうちょっとまともな中身はなかったの?」
「物量を揃えるのが大変なんだよ……」
珍しく陽子までもが情けない声を上げている。エレベーターは使用禁止だから、ここまで来るのはよほど大変だったのだろう。
「レイちゃんは?」
悠香の問いかけに、菜摘がトイレを指差した。「あと少しで出てくるよ。そしたら始めない?」
「うん。やろっか!」
疲れを滲ませつつも待ちきれない気持ちを露に、悠香は首肯したのだった。
『プチロボコン実演会』と名付けたこの実演会でやる事は、本番とほぼ変わりない。持ち寄った適当なサイズの箱を積み上げ、あのロボコンで目指した五メートルの高みに再び積み上げるのだ。
ただ積むだけではつまらないから、頂上には植木鉢を乗せる事にした。昨日、この中では一番に美的感覚がありそうという理由で亜衣が植木鉢を選んでくることになり、一輪のチューリップが買ってこられた。
箱よりも脆くて持ちにくく危ないものを運ぶのだから、プログラムの設定も色々といじらなければならない。結局、昨日は物理部の芦田をここに喚び、再び教えを乞いながらプログラミングに従事する羽目になった。明日は来れますかと聞いたら、芦田は首を振ってしまった。何でも、物理部全体の引継式があるのだという。
「それでは、始めたいと思いますっ!」
悠香の一声で、五人は配置についた。さすがに【ドレーク】は危険すぎて扱えないので展示用とし、陽子がその説明に当たる。
特別な事などしない、ただ練習の通りにやるだけだ。ただし、安全には十分に注意しながら。
「全ロボット起動完了! 【ドリームリフター】、予定位置に到着したよ!」
「OK!」
菜摘の言葉を待って、悠香は手にした発熱スプレーを箱に噴射した。【エイム】がすぐに反応し、ピピッ、と声を上げる。
会場ではあまり分からなかったが、教室という狭い空間ではやはり【エイム】の速度は速い。おおっ、と観客から歓声が上がる。【エイム】は周囲の賑やかさなどものともせずに箱の前に滑り込み、しっかりとそのアームで掴んでみせた。
次は、積み上げだ。バックした【エイム】は【ドリームリフター】のリフトに載り、ぴったりのタイミングでリフトが上昇を開始する。と言っても一段目なので、上昇はたったの十センチだ。液状接着剤を撃ち込むためにこの高さにしているが、今日はさすがに教室なので接着はできない。
「すごい……!」
「滑らかに動いてる!」
ため息混じりの感嘆の言葉がいくつも聞こえてきて、悠香は嬉しくなった。スプレー缶を握る手にも、いよいよ力が入るというものだ。
──見ててよね! 私たちのロボット、まだまだやれるんだから!
高さも大きさも断面積も違う様々の箱を、高さ五メートルの塔に積み上げるのに要した時間は、のべ三十三分。
その間、口コミが口コミを呼び、観客はさらに増え続けた。最終的には狭い教室に六十人以上の聴衆が詰めかけ、押し合い圧し合いしながらロボットたちの動きに魅入ってしまったのである。
ゴトン。
最後の一つ──すなわち植木鉢が、頂上に載った。
「終わりました!」
悠香の叫びに、観客たちから口々に歓声が上がる。「これが、五メートル……」
「当日もここまで積み上げました。時間はもっともっとかかってるんですけど」
亜衣がそう説明した。目の前の何十人もの客たちの顔は、興奮してかやや赤みが差しているように見える。私たちも赤いのかな、と悠香は手鏡でも覗きたくなった。
或いはそれとも、外の世界を支配するあの夕陽のせいか。
……と。
パチパチパチパチ。突然、群衆の間から拍手が飛び出てきた。
「さすがだ。あの日は遠すぎて分からなかったけれど、こういう手順だったんだね。効率的かつ、整備も簡単そうだ」
あ、と菜摘が声を上げた。話しながら出てきたのは常願寺だったのだ。
「来てくれたんですか!」
悠香たちは慌ててばたばたと駆け寄った。その人があの常願寺であると気付いたのだろう、観客たちの間からも疎らに驚きの声が漏れ聞こえる。
「あの時の……!」
「ええ、僕ですよ」
常願寺は笑顔だった。「あの日、閉会式にも出ていたんだ。覚えてる?」
「出ていたのだけは」
五人は薄っぺらな笑いを浮かべることしかできなかった。確かに姿は見えたが、周りがあまりにうるさくて発言内容まではとても聞き取れなかったのである。
「岩木さんがあんな事を言った直後だったからね。仕方ないとは思うよ」
「す、すみません……」
「ここで言い直しても構わないよ」
弾かれたように悠香は目の前を見上げた。何だって?
「そんな大した事は言ってないからね。……ちょっと恥ずかしいな」
さっきの動作で諒解と受け取られてしまったらしい。鼻の下を掻くと、常願寺は落ち着いた様子で深呼吸した。
そして、しっかりと五人の先頭に立つ悠香を見据える。
「あの日、僕は『信じられない快挙』って言ったんだ。君たちが初心者の集まりであったことは聞いてたからね。──でも今は、そうは思わない。スムーズな連携が出来ていて人員配置もよく、ロボットそのものも性能が高い。君たちがあれだけの活躍を見せてくれたのは、ある意味『予定されていた奇蹟』だったんだね。
改めて、優勝、おめでとう」
……ひどく、長い長い時間が経ったようであった。
手が差し伸べられている。ちょうどそれを正面に受けた悠香は、その手と自分の手を何度も見比べた。この手は物理部の教員の手なのだろうか。それとも、日本最大のロボットコンテストの審査員の手なのだろうか。
──私でいいのかな……。
こういう時、ひどく不安になる。
はぁ、と空しい息を吐いた時。後ろから亜衣の声が囁いた。
「取りなよ、リーダー」
その声が悠香の背中を押した。
うん、と誰も気づかないくらい小さく頷いた悠香は、思い切って差し出されたその手を取った。
五人と1人を取り囲むように居並んだ群衆の間から、一人、また一人と拍手の音が再び響き始めた。
夕方の光が差し込み、ステージのようになったその場所で、はっと我に返った悠香が手を離すまでの数十秒間。祝福の拍手は一瞬たりとも、鳴りやまなかったのだった。