わたし
一番男前なひとです笑
私はずっと、とある薄汚い欲望だらけの場所に囚われていたらしい。
その間の記憶は私には全く無く、他人事のように頷くことしかできなかった。
髪が伸び、背が伸び、肌は白く、指も足も長く、顔も骨ばって、すっかり成長しきった鏡の中の私は、確かに私と同じ顔なのに戸惑いを隠せないほどの、見知らぬ『他人』の姿。
恋人となったセフィも私を見下ろすほど大きくなり、それでもその眼差しだけは変わらなかったけれど、すっかり大人の男の人になっていた。
決して短くはない年月で私は変わった。セフィも変わった。
涙目で抱きしめてくれた乳母は小さくなり、目元を押さえる年上の乳兄弟は目線が同じになっていた。
小さかったあのころ、遊びに出てはぐれた路地裏でよってきた薄汚い男達の手が伸ばされることから先は、真っ暗闇の中でうずくまる私しか覚えていない。
時折、何かに呼ばれるように顔を上げようとすると、優しい手のひらが私の目を覆って、抱きしめてくれる。
『だいじょうぶ、『わたし』がまもるから。『私』はなにも心配しなくていい。眠っていて、『私』。つらいことも苦しいことも哀しいこともぜんぶぜんぶ、『わたし』がうけとめるから』
たしか、そういうことをいっていたのだと思う。
そのことを話すと、昔から体の弱かった私を担当していた医師はベッドに横たわったままの私の頭を、優しく撫でてくれた。
『人は、つらい思いを受け止められずに、自分の中の一部を切り離して新たな人格を作ることも在ります。エメリウス様もおそらくそのようになされたのかと思われます』
『では、切り離した『私』はどうなるのだ?それも『私』なのだろう?』
『私には断言いたしかねませんな。………エメリウス様が『彼』を受け入れるか、あるいは分裂したまま時折表面に出てくるか、あるいは……『彼』がつらい記憶を持ったまま消えるかで対応が変わります故に』
『そうか』
『今は傷を癒すことが大事にございます。さ、薬湯をのみなされ』
『爺の薬湯は苦い』
『良薬口に苦し、でございますよ』
暖かな日差し、優しい皆、柔らかな空気。
まるで、囚われていた日々がうそのように穏やかな月日。
けれど。……嗚呼、けれど。
『私』は、このような日をすごしたことがあるのだろうか。
セフィに寄り添い、たわいもない話をしながら芝生の上でねころがり、じゃれあいながらともにうたたねをして、体中についた葉っぱをあたたかく叱られながら取られて風呂にほうりこまれるような、ごく当たり前の、普通の日を、経験したことがあるのだろうか。
金と地位と権力と名誉だけしかない、そしてその上にあぐらをかいて利用して強引に手にして壊して、飽きたら捨てて次の玩具を探すような、強欲で醜悪な者達の目に手に触れられて、それでも尚己を持っていた、確かに私と袂を同じくしていた『私』は。
何を思って、私をまもっていたのだろうか。
私を守ることでしか己を保てなかった『私』。
私が帰ってきてよかったと笑う皆は、それはつまり『私』はいらないといっていたも同然で、『私』は、どんな思いで『私』を呼び起こしたのだろう。
私も『私』も、おなじ私なのに、どうして違うのだろう。
「セフィ」
「はい、どうしました?」
「セフィ」
「エメリウス様?」
「セフィは、私と『私』を愛してくれるか?」
「……一度、私はあなたではない『エミィ』を拒絶しました」
「今は、受け入れられるか?」
「ええ。……後悔は、二度も三度もするものではありませんから」
「そうか。よく言った。それでこそ私が恋人にしただけの事はある」
「ありがとうございます」
「良かったなセフィ、両手に花…とはいえないが、恋人が『二人』になる。どちらも私で『私』だからな。特例として許してやろう」
「は?え、ええと……エメリウス様?」
「ふん、私はすこし奥でお前の言い訳を聞いていてやろう。なにせ、『私』は臆病なくせに一途な頑固者だからな」
「エ、エメリウス様?」
戸惑う呼びかけに応えず、目を伏せる。
『ほら、早く出て来い。私が呼んでいるんだぞ』
『え、『わたし』は……』
『ふん、お前は『私』だからな、セフィに惹かれることなどわかっていたさ。……いや、お前ではないか』
『『私』…でも、『わたし』は』
『汚れている、とでも言うつもりなら無理やり引っ張るぞ、『エミィ』』
『!!?』
『ほら、さっさと行って、セフィのうだうだした言い訳を許してやれ。……あれはあれで、きちんと『エミィ』と向きなおそうとしているのだから』
『『エメリウス』……』
『いいか、セフィは私のものだがお前のものでもある。だから、はんぶんこ、だ。いいな!!』
『………うん!!』
やれやれ、まったく。
『他人』の世話なんぞ初めてだから少々強引だったが、まあ、よしとしよう。
『ふん、セフィなら私も『エミィ』も受け止めるだろうな。でなければこちらから捨ててやる』
『ああ、それと、お前達も、これまでみてくれて助かった。またどこか出会えたら……そうだな、ダンスくらいは踊ってやろう。私は今、とても気分がいいんだ』
めでたし、めでたし。
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