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鏡に囚われた少女  作者: 最上優矢
第一章 鏡に囚われた少女

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何かの気配

 放課後。

 部活動に所属していない僕は、どこも寄り道することなく、まっすぐ帰路についた。


 ベージュ塗装の五階建てマンション、その二階中部屋に僕ら宗田家は住んでいる。

 自宅の扉を開け放った僕は「ただいまぁ」と間の抜けた声を上げながら、玄関に入った。

 と、これまた僕以上に間延びした「おかえりぃ」という母の声が返ってきた。


 廊下を抜け、リビングに入る僕。

 そこにはダイニングテーブルで読書をする、ノースリーブにジーンズという格好をした母――宗田胡桃そうたくるみの姿があった。


 僕は目を丸くした。


「へえ、読書なんて珍しいね」


 細身で丸眼鏡をかけたミディアムヘアの母は、四十歳を過ぎたあたりから老眼が進んでいた。

 それまでは読書をしていたものの、四十五歳の今では読書をまったくしなくなったそうで。


 母は文庫本を閉じ、クッと伸びをした。


「んっ、ちょっと、ね。本棚を整理していたら、懐かしい一冊があったから、それでつい読み返していたの。

 ――ほら、あんたも知ってるでしょ、この本」


 そう母から差し出された文庫本を受け取り、表紙をまじまじと見つめること、数十秒。


「あっ……これ、錫婚式のとき、父さんが母さんにプレゼントした一冊だ」

「そそっ。最後はハッピーエンドで終わる家族小説」

「確かに懐かしいね。何年前だろう、えーっと……」

「六年前」

「……ですね。失礼しました、出直してきます」

「あはっ、大丈夫大丈夫。謝らなくていいってば」


 僕と母は互いにカラカラと笑い合った。


 再び母が文庫本を手にするのを見てから、僕はリビングからそっと離れた。

 洗面所に足を踏み入れた瞬間――僕は何かの気配を感じ、反射的に後ろを振り返る。


 ……誰もいない。


 でも、確かに何かの気配を感じたのだ。


 この洗面所に……何かがいる。


「……ふう」


 僕はため息をついてから、まぶたをゆっくりと閉じる。

 深呼吸、深呼吸、さらに深呼吸……。


 身体がリラックスした頃合いを見計らい、僕はまぶたをゆっくりと開けていく。

 洗面台の鏡に目を向けた瞬間――驚きのあまり、僕は目を見開いたまま、硬直。

 目の前の“鏡だけに映る中学生くらいの姫カット少女”も、僕と同じような反応をしていた。


 今一度、鏡そのものに映る世界と自分の目で見て捉えた現実世界とを比較。


 一方は白のワンピースを着た少女がいて、もう一方にはそもそも誰もいない。

 一人多い鏡の世界、一人少ない現実世界……。


 ゾワッと背筋が粟立つ。


「ひょっとして……幽霊、さん?」


 口を衝いて出たのは、そんな言葉だった。

 鏡の少女は目を泳がせると、やがてポツリと言葉を漏らした。


「たぶん、そう」


 感動のためか、恐れのためか、僕は息を呑んだ。

 そのあと、僕らは無言になり、居心地の悪い沈黙が流れる。


 実際に幽霊とご対面したらしたで、上手く言葉が出てこないのはなぜだ、と僕は焦りを覚えた。


 冷や汗が首筋を伝う。

 けれど、こうしていつまでも黙りこんでいるわけにもいかないのも、また事実。

 事態が進展しなければ、解ける謎も解けないまま。


 僕は意を決し、さらに踏み込んだことを鏡の少女に訊いてみた。


「きみは一体、どうしてここにいるの」


 しかし、

「分から、ない」

 そう鏡の少女は首をフルフルと横に振ってみせた。


 迷宮入りか、と僕が落胆したとき――彼女は「あのね」と言葉を付け足し、恐る恐る話し出した。


「死んじゃったこと、それはなんとなく分かるんだけど、でもわたし、ほとんど記憶がなくて、色々と分からないの。

 どうして死んじゃったかも、自分が誰なのかも、それにそう……どうして“鏡に囚われている”のかも分からなくって、とにかく怖いんだ、お兄ちゃん」


 これが鏡に囚われた少女との出会いだった。

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