第27話 約束した二百着の行方
会場が静かになった。
セシルが瞬きをする。
「……残り?」
「はい」
「まだ届いていないのですか?」
院長の方が困ったような顔をした。
「ええ。二百着いただけると伺っておりましたので……。不足については、エヴァンズ家に何度も確認の書状もお送りしたのですが」
父の顔が引きつる。
母が扇で口元を隠した。
「まあ」
セシルは初めて少し困った顔をした。
「おかしいですわね。二百着お届けすると、ちゃんと申し上げましたのに」
会場の一角から、低い声が上がった。
「恐れながら」
衣料を納めた商会の支配人だった。
周囲の視線が集まる。
「当方が正式に承ったご注文は、百着のみでございます」
「え?」
セシルが支配人を見る。
「でも、二百着お届けすると言いましたわ!」
「はい。そのお言葉は、私もその場で伺っております」
「でしたら――」
「ですので、後日、追加のご注文をいただけるものと考えておりました」
支配人は、あくまで静かだった。
「ですが、その後、追加のご注文はございませんでした」
「……」
今度こそ、誰も口を開かなかった。
招待客たちの間で、かすかなざわめきが広がっていく。
「だとしても……。どうして用意してくださらなかったのです?」
支配人の顔が固まった。
「……ご注文をいただいておりませんので」
「でも、必要だと分かっていたのでしょう? 二百着」
「セシル!」
父が鋭く声を上げる。
「それ以上はやめろ!」
「ですが、お父様――」
「商会には商会の都合がある! 正式に頼んでもいないものを、勝手に百着用意できるわけがないだろう!」
さすがに父には、最低限の常識はあったようだ。
「……そうなのですか?」
セシルは不満そうに支配人を見る。
その顔を見て、会場の空気が少し変わった。
先ほどまでの困惑とは違う。
――この人は、本当に分かっていないのではないか。
そんな認識が、周囲へ広がっていくのが分かった。
「……この件はこちらの不手際だ」
父がすぐに前へ出た。
「商会には注文通り納めていただいている。残りについては、エヴァンズ家で責任を持って対応する」
ざわめきが少し収まる。
少なくとも、父はまだどうにか場を立て直そうとしているらしい。
「後日、孤児院にも改めて――」
「でしたら、今ここで頼めばよろしいのではなくて?」
セシルが口を挟んだ。
その言葉を聞き、父が固まった。
「……何?」
「だって、衣料を扱っている商会の方は、他にもいらっしゃるのでしょう?」
嫌な予感がした。
セシルは会場を見渡し、にっこりと笑う。
「足りないのは百着だけですもの。皆さまで少しずつ用意してくだされば、すぐではありませんこと?」
沈黙。
驚くほど綺麗な沈黙だった。
私は思わず目を閉じそうになった。
隣から、アシュレイ様の低い声が聞こえる。
「……昨日の話よりひどいな」
「ええ。まさか、この場で頼むとは──身内のことで恥ずかしいです」
どうやらセシルの考えなさを甘く見ていたらしい。
凍りついた場の中で、セシルだけはなおも笑顔だった。
「どうでしょう? 困っている子どもたちのためですもの。皆さまも、そのくらいは協力してくださいますでしょう?」
商人たちの顔から、笑みが消えていく。
一人が、ゆっくりと口を開いた。
「セシル様。百着の衣料を用意するとなれば、当然ながら代金も必要になりますが?」
「もちろんですわ」
セシルは当然のように父を見る。
「すべてエヴァンズ家がお支払いします」
「セシル!」
父がすぐに割って入った。
「その件はこちらで預かる。今ここで決める話ではない」
「でも、お父様――」
「セシル」
今度は、はっきりと制する声だった。
「もう下がりなさい」
「どうしてですの? 困っている方を助けるためでしょう?」
父の頬が引きつる。
「……後で話す」
「でも――」
「下がれ」
短い声だった。
それでも、もう遅い。
商会の者も、孤児院の者も、招かれた貴族たちも。
みんな、このやり取りを見ていた。
父はどうにか場を収めようとしている。
具体的な数字にも触れず、商会へ責任を押しつけることもせず、今日だけは何事もなく終わらせようとしていた。
けれど、セシルが自分から隠していた問題を次々と表へ引きずり出してしまう。
もう、なかったことにはできなかった。
「……リディア」
隣から、アシュレイ様が小さく呼ぶ。
「はい」
「まだか?」
私は少し考えてから、首を横に振った。
「ええ。まだですわ」
百着の衣料なら、もう用意できる。
保存食もある。
けれど、まだエヴァンズ家の慈善会だ。
父が立て直そうとしている以上、もう少しだけ見届ける。
そう決めていた、その時。
「申し訳ございません。もう一点、確認してもよろしいでしょうか」
別の商会から声が上がった。
父の顔が引きつる。
「……何でしょう?」
「今年の見習い支援についてです」
フレデリック様まで、はっと顔を上げた。
けれどセシルの顔だけは、ぱっと明るくなった。
「ああ! 今年は見習いの人数も増やしましたのよ!」
私は、そっと息を吐いた。
どうやら。
本番は、ここかららしい。
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